初参加でしたがその温かさに驚くことばかりで参加して本当によかったです。前夜祭から島全体で歓迎して下さり、子供たちが太鼓を叩き、踊る姿と、主題歌がずっと頭に残り、走っている間も力をもらえます。ゲストの川内優輝選手も、前夜祭、当日の走り、翌日のボストンマラソン報告会からジョグまで盛り上げていただき、こんなに嬉しいことがこの先あるのだろうかと思いました。隠岐の島での100kmは一生の思い出になります。
2019年も参加させていただき、大変楽しい思い出がまた一つ増えました。なんと素敵な大会なのでしょう。
前日(受付と前夜祭)
伊丹空港から隠岐の島まではわずか数十分です。値は張りますが、翌日早朝から100kmも走るためには少しでも疲れの少ない状態でいたいですから、背に腹は代えられません。
空港からは受付会場までバスが出ています。宿舎への循環バスも走っており、移動で困ることはありません。餅やグッズの販売もあり、楽しい気分が盛り上がります。
宿舎は相部屋なので、同室の方にご挨拶の後、ウルトラマラソンについて色々教えていただきます。丁度前夜祭の始まる少し前の時間になったため、一緒に歩いて移動し、開場を待ちます。
前夜祭は、子供たちの踊りや太鼓での歓迎、テーマソングの演奏、そして川内優輝選手のトーク(ボストンマラソンのメダルを見せびらかすなど)で大いに盛り上がります。一時間があっという間に過ぎてしまいました。ここで目にした応援と聴いた歌が翌日どれほど自分を励まして下さったことか。
料理も、刺身、おにぎり、隠岐蕎麦等がおいしくいただけますし、隠岐誉やビールまで飲むことができます。(人の写真はあまり上げられないのが残念ですが、とても楽しい時間です。)
宿舎に戻ってから夕食をいただきます。隠岐の島は初めてですが、海の幸は流石です。シャワーを浴び歯磨きも念入りにして9時半くらいには眠れたと思います。耳栓とアイマスクを装備して少しでも休めるように心がけます。
レース当日
レース前
三時起きで長い一日が始まります。こんなに早い時間から朝食を用意していただき感謝です。食後、服装や持ち物を整えてスタートまで歩いて移動します。早く着いても暇なので、同室のメンバーよりかなりゆっくり出発しました。
テーピングとソックスは丁寧に確認します。今回はタイツも着用し、ワセリン、日焼け止めもがっつり塗ります。サンシェードもポケットに入れておきました。携帯したのへ、塩熱サプリ8つ程、経口補水液ゼリーと青、アミノバイタル粉3袋でした。2023年に振り返ってみると、アミノバイタル粉は正解でしたが、エイドが多いウルトラならほとんど手ぶらでもいけますね。レストステーションへの荷物にはゼリー赤と参加賞ゼリー、経口補水液、日焼け止めを入れました。ゴールへの袋には餅、ゼリー青、タオル、靴含む着替え、衛生用品にフェイタスとコインランドリーの時間つぶし用に本一冊です。
スタート前にはかなり明るくなっています。荷物預けもスムーズで、皆さん楽しみにしている様子が伝わってきます。どれくらい水分を摂っておくべきかは分からないため、念のため給水を二杯いただきました。整列は緩やかですので、結構前の方に陣取れました。
レース
序盤~前半(朝焼けの美しさとそこそこのアップダウン)
朝日が昇るのに合わせてスタートし、涼しい中を走っていきます。最初は周りも速かったので、ここは自分が一日持つペースを探すことだと思っていました。一つ目のトンネルや橋から既にワクワクです。
左に折れたところで最初のエイドですので、余裕を持って水を取ります。ここからそれなりの上りが続き、ウルトラマラソンらしくなってきます。高低差100mちょいはこんなくらいかという感覚を探る機会です。フルだと概ね40mくらいまでが多い(※例外は榛名湖や柏崎潮風)ので、未知の領域です。上りでは途中の応援幕に勇気をもらいました。フォームが安定している方に話しかけたら昨年8時間40分台とのことで、すごい方がいるものだと感心します。到底ついていけないので尊敬の眼差しで見つめるのみです。
すっかり明るくなる頃には、青い空と緑の草木を見ながらアップダウンのそれなりにあるコースを進みます。上りはそれほど苦戦しなさそうだとわかってきました。下りは周りが飛ばすのでお先にどうぞという展開です。20km辺りのエイドのトイレはきれいそうでしたので、疲れる前に入っておくことにしました。あまり急いでも仕方ないので、焦らずコーラで元気をもらってまた走り出します。
トンネルは涼しくてオアシス的な位置づけです。(なお、今回は防水の観点からスマホをビニールから出さずに写真を撮ったため、上手く撮れたものが非常に少なかったです。何事も経験ですね。)
26.3kmのエイドではお楽しみの給食です。のり巻きと味噌汁をいただきました。少しだけ行った先にある私設エイドでは杏ゼリーもおいしくいただき、また元気を注入していただきます。右に折れてから急に上りが始まります(地図が頭に入っていないので一々驚きます)。
前半は時間が早いことに加えて日陰も多いことから、それほど暑さは感じず、キャップも被っていませんでした(40kmくらいからは使用)。ただ、長丁場ですので被り水は積極的に使いました。途中からほぼ全てのエイドに被り水が用意されており、大変助かりました。30km過ぎ辺り以降は毎回頭を冷やしていました。
ペース配分は先の予測が全くつかない中、速くなり過ぎないように注意したくらいで、全体のアベレージを何となく把握している程度でした。上りでもそこまで落ちてはいないことは分かっていましたが、他方下りでもそれ程取り戻せるでもなし。35kmの下り辺りで、大体70kmでキロ5分40秒くらいならいけるのではという気がしてきました。そうは言っても、少し下ればすぐまた上りというコースは予断を許しません。
中盤(レストステーションと連続の上り)
コース上には公設私設のエイドが沢山あり、隠岐の島の皆様がランナーを歓待して下さります。40kmの坂を下りたエイドでレモン、バナナ等を、45km手前の坂を下った箇所にある私設エイドでよく冷えたコーラをいただきました。例年だと焼肉エイドらしいです。2019年にはしっかりとお肉をいただきました。
48kmのレストステーションでは、預けた荷物を受け取れるため、ゼリーを交換したり日焼け止めを塗り直したりしました。カレーもふるまわれるので食べるしかありません。肉も入っていておいしいです。コーラ二杯を飲み素麺も食べます。かなり気温が上がってきたため、氷の袋は不慣れだったため少し扱いに迷いましたが、暑い時は握りしめたり首筋に当てたりすれば大いに助かります。しばしうろうろして気分転換し、おそらくここで5分くらいはロスしています。
後半戦も長閑な景色を気持ちよく見渡しながら進みます。再出発後少しの上り下りがあったもののしばらくは平地です。氷の袋を少し破いて冷たい水を浴びます。隠岐牛を眺めながらジョギングペースで進み、この辺りで2回目のトイレを挟みました。終盤にはとても行きたくないのでこれくらいでは済ませておこうかと。2023年時点では、全体で1回、多くても2回で足りると考えています。
コース的には大体60km辺りからの100mオーバーの山越えがきつそうだということは把握していました。60km以降70数km過ぎまでやや長い上り下りが3つ続く辺りが頑張りどころと言いますか、ここで挫けなければ完走は間違いなしです。
トンネル手前の温度計も25℃を示し、なかなか疲れもあるのですが、どこに行っても応援して下さるので、なんて温かいのか、嬉しいなあと幸せを噛みしめているうちに距離は進みます。70km付近では大応援団が待ち構えていますので、笑顔でお礼を言います。
後半~終盤(川内優輝選手の激走と歓喜のフィニッシュ)
三つ目の大きな上りの手前、70.8kmにもエイドが設置されており、フルーツをいただけます。スイカがおいしかったです。とりあえずエイドまでは走り、水をかぶり、飲み物と食べ物をもらって少し歩いてからまた走り出す、坂の上の方に来たら歩く、という作戦で無理せず進みます。
メインの坂を上り切り、下りになった先の76.4kmのエイドでは豆腐やぜんざいがふるまわれます。ただ、この年は自分の身体に自信が持てなかったので、ぜんざいは食べられずでした(雪辱戦となる2019年は余力を残しまくりで、全ての給食をいただきました)。
氷ももらえたので首や腿、鼠径部を冷やしつつ進みます。少し進んだ私設エイドでもまたしても氷をいただけたのでありがたく交換。どこに行っても応援が多く、名前をわざわざ調べて呼んで下さるので、少し照れつつ大いに感謝して走るのみです。
最後の空港への上りは、高低図的には全然大したことないのですが、距離が距離、時間が時間だけにとても長く感じます。ここでも、親切なエイドの皆様に応援していただき、フルーツに元気づけられ、歩きながらも前へ進みます。
95kmも近づいた辺りで先導車に抜かれたので、川内さん来た!と身構えます。50kmの部のゲストランナーである川内優輝選手、いつもの苦しそうな表情で颯爽と上り坂を駆け上がって行く姿を間近で見ることができて感無量です。ちなみに、川内選手は50kmを2時間40分台で走り切りますので、逃げ切るには概ね9時間15分は切らなくてはなりません。無理ですね。
95kmを過ぎてもまだ緩い上りが続きますが、終わらない坂はありません。他のランナーともうサブ10は堅いですね等と話しました。彼は「9時間30分台ならいいか」と言っていて、その後上げて行きました。
ついに下りに切り替わり、いよいよ無事に100kmを完走できるのだという実感が湧いてきます。最後も被り水で頭を冷やし、ラスト2kmの表示を見ながら西郷大橋を渡り、少し下って左折すればトンネルです。
トンネルを抜けると虹見坂、ここは声援に応えてもう最後の力を振り絞り、幸せ過ぎると喜びに包まれながら上ります。そして会場に戻ってきて全力の笑顔でフィニッシュです。後で自分の写真を見ましたが、こんなに嬉しそうな一枚は初めてと感じるものでした。タイムも予想より大分速い9時間34分台でしたので、尚一層嬉しかったです。
アフター
当日(幸福な食事)
フィニッシュ後、町長自ら出迎えていただき、握手を交わした後アイシングコーナーに行くと川内選手がおられ、おおこんなに間近で……。と恐縮し切りでした。思ったより早く終われたのでレインボーアリーナのシャワーもスムーズでラッキーでした。普通に川内選手がシャワールームに入ってきたのが面白かったです。考えてみると普通のことなのですが、雲の上の存在が一般人と同じシャワールームにおられるということが。
会場には出店もありますので、闘牛ブリバーガーとビールを堪能します。会場から歩いて少し行った所に島唯一のコインランドリーがあるので洗濯を済ませ(史上最高額の700円)、少し応援をしてから宿に戻ります。夕食はこの日も豪華で、100km走った充実感もあって心からおいしく感じました。
翌日(川内優輝選手ボストンマラソン優勝報告会&おしゃべりジョギング)
翌日のメインイベントまで時間があるので、朝の涼しい空気の中を、前日の思い出に浸りながら散歩します。港や西郷大橋、トンネルを経て、フィニッシュ会場ももう一度見ておきます。長い道のり、応援幕や看板が本当に沢山あって励まされたなとしみじみします。
最後の最後にある虹見坂は楽な上りではないものの、掛川や佐倉、加賀温泉郷に比べると短いので耐えられます。応援も多く、上っている時間は苦しさより嬉しさが勝りますし。フィニッシュゲートもまだ残っていました。
朝食後、民宿のご家族にお礼を言って川内選手のボストンマラソン優勝報告会へ。川内選手のボストンマラソントークはキレが抜群で、どんどん引き込まれます。プロになっても変わらないスタイルで走り続ける姿が見られるのはとても楽しみです。
ボストンマラソン優勝報告会の後は、川内選手とおしゃべりしながら一時間程ジョギングです。市民ランナーとしてこれほど嬉しいことはなかなかありません。記念撮影にも応じていただけましたし、レース後のリカバリーや学習院の津田元監督の著書(『常識破りの川内優輝マラソンメソッド』)について伺ったり、暑さに強い中本健太郎選手の話等、こんなに沢山、川内選手とお話しできるなんて…と夢のような時間でした。感激しましたし、この方はこれからも応援していきたいと心から思えました。
本来はこの後飛行機で帰るはずだったのですが、地震の影響で飛行機が欠航になったので、フェリー、バス、やくも、新幹線、JR、地下鉄を乗り継いで24時頃に帰宅する展開になりました。ここではJTBさんが米子までのバスを手配して下さり、大変助かりました。
期せずしてフェリーで帰ることになったのですが、最後までフェリーに向かって手を振って送り出して下さる隠岐の島の皆様には本当に感謝しかありませんし、また必ずここに戻って来ようと決意しました。2019年も走らせていただきました。
最後に
いかがでしたでしょうか。とにかく歓迎ぶりがものすごく、走っていてもゼッケンから名前を読んで下さる方が多かったり、テーマソングを皆で歌ったりで、三日間ずっと笑顔でいられる幸せな時間が経験できます。是非走ってみてください。一生の思い出ができることでしょう。
隠岐の島の皆様、幸せ過ぎる時間を作っていただき、本当にありがとうございました!
後日談
隠岐の島町にふるさと納税をするとこんなによいものがいただけます。少額ですが、少しでも恩返しができたのなら嬉しいです。