目標としていたグロスサブ3まで2秒届かずだった私が言うのはどうやねんという感じですが、大阪マラソンは本当に沿道の応援が多くて、皆様からものすごい熱と力がいただけます。後半も全然不安を感じないのです。これだけ沢山応援していただけるなら最後まできっと大丈夫だろうと思えてしまいます。
縁あって大阪に来て早11年、普段生活していても、都会の単調な暮らしを繰り返している限りは人と人との触れ合いもそれ程はなく、忘れがちになるのですが、こうして大応援団に囲まれてマラソンを走らせていただくことで、ああやっぱり大阪は人情の街なんだ、ここに住ませていただいて幸せだなあとその魅力に改めて触れることができます。これだからマラソンはやめられないのです。
企業の協賛、エイドやボランティアの協力も流石大阪という規模で、前日のエキスポも勿論、大阪プチバナナ、スポーツ羊羹、miniケーキ、パイナップル等走りながらおいしくいただきました。大阪マラソンは本当に楽しいですし、今回は結果が結果でしたのでまた必ず出たいですね。
大阪マラソンに関わって下さった皆様、本当にありがとうございました!毎日お世話になっていますが、これからもよろしくお願いします!
旧コースですが二年前の大阪マラソンも楽しかったです。
前日(受付)
地下鉄、ニュートラムも混んだものの普通に乗れました。11時受付開始、11時7分で既に行列でしたが、リストバンドを巻いたのが28分でしたのでまずまずスムーズに流れた方でしょう。ボランティアメッセージは立ち止まれなかったものの、写真を撮っておくことで後から読めて嬉しいですね。
フィニッシャータオル等もでかでかと展示されており、おおいよいよだなという気持ちが高まります。(因みに事前申し込みのチャリティグッズを受け取るためにはここから更に行列に並ばなくてはならない設計になっており、要改善だろうと思いました。(幸い自分は一つも申し込まずでしたが。))
大会限定グッズも華々しく販売されていましたが、スルーです。それにしても前回も思い知りましたが、流石に大阪マラソンだけあってブースの数がものすごく多く、かつサイズがでかいです。東京マラソンに次ぐ規模感で、やはり他のマラソン大会とは一線を画するなと感心しました。
遠征組ではないため記念に何か買うモチベーションがないなりに面白がってグッズを見てきました。いつか欲しくなる日が来るかもしれません。
井村屋さんのスポーツ羊羹の試食もありましたので、いつも美味しくいただいておりますとお礼を伝えておきました。青木松風庵さんブースで月化粧をゲットするには顔嵌めパネルでの撮影が義務付けられていたためこちらは断念です。EIKADOさんの大阪華かりんは黒糖があまくて美味しかったです。
おなじみ紀州田辺うめ振興協議会さんではウメパワプラス以外にも試食がありました。和歌山の梅は最高です。大阪マラソン名物のまいどエイドの紹介もあり、ああそうか関大さんだったのかと改めて認識。余裕があれば是非何かしらいただきたいという気持ちになります。
チャリティコーナーでは各チーム毎のスペースがあり、名前の掲示や完走祈願が行われています。自分も縁があってこうして社会で生かしていただいているわけですので、ちょっとずつでもできることをしていかなくてはと思うところです。まずは知るきっかけがあることが大事です。
大阪マラソンの次にやるべきことはもうわかっています。スポーツデポさんでズームフライ3が3割引きだったため履いてみたところ、足裏の感覚からして直感的にこれは履きこなせると思ったので購入を決めました。27.5だとやや横が狭く28がしっくりきました。他にキャップ、ランパン、2runを買っています。
この後もカネカさんのおなじみのコエンザイムゼリーや京菓子の鼓月さんのanpower(初めて食べましたが普通に和菓子としてもおいしい)、チアシード蒟蒻ゼリー等の試食、小林製薬さんのピクノレーサーサンプル、中村匠吾選手の推すWINZONEゼリーの特売等充実し過ぎな程のブースが続きます。
全国のご当地マラソン大会、府内大会のブースもあり、楽しく見てきました。真剣に検討した結果同日のいわきサンシャインマラソンを選んだ五島つばきマラソン、毎年別大にぶつけてくる摂津ふれあいマラソン、我らが加賀温泉郷マラソンとバッティングする交野マラソン、いずれも2020年は無理です……。
高槻市の袋もいただき、「今更高槻について教えていただかなくても……。」と思ったが甘かったです。魅力ある街だということを思い知りました。高槻は頑張っていますね。茨木はどうでしょうか……。
うまいもん市場もにぎわっていました。こういう空気も大阪っぽくていいです。奥にはステージがありますが、この時間は谷間だったようです。12:44でも入場は列ができていましたので、余程遅く来ない限りは並ぶものなのでしょう。でも東京マラソンより遥かに短いので文句を言うレベルではないですね。
恒例の第一生命さんの体組成測定、体脂肪率は6.4%でした。神戸マラソン直前金曜夜が7.0%です。基本的に夜の方が低く出るので、調整がうまくいっているのかもしれません。
この後ナッツ270g、胡桃少し、レタス、チーズ3枚、プロテインバー1本、ビターチョコ二列、シュークリームを食べました。
夕食はこんな感じです。一体このサラダは何人前なのでしょうか。人参、カボチャ、キャベツ、ほうれん草、水菜、トマト、大根が溢れています。豚ロースと牛肉、卵に納豆。シリアルは結局二杯食べ、直前三日で800gです。ティラミスタルトもうまい、というか全てがうまいです。20時前には完食です。ごちそうさまでした。アミノバイタル粉も飲んでから就寝です。
レース当日
レース前(荷物預かりは遠きにありて思ふもの)
21:45消灯5:45起床です。もう少し早く起きたかったのですがよく眠れたのでよしとします。パン三枚で448kcal、炭水化物62.4g。野菜は少なくてよいのでレタスのみにしました。カフェインは摂らず経口補水液です。量は経験上これくらいがよいと判断しました。6:23には食べ終えました。お腹の調子も良好で水分過多もありませんでした。起床時66.4kgです。
シューズは神戸マラソンに続きエンペラージャパン3です。装備はキプチョゲ選手や大迫選手をイメージした白ノースリーブにランパン、ソックスのみのストロングスタイルです。キャップはナイキで、色が白いこと、つばの内側は黒で光を遮ること、つばのデザインが指にかかり易く着脱が容易であること、軽くて小さく折りたためることから選択しました。
日焼け止めとワセリンを塗った後で、寒いのは分かっていたのでタプソールも足指と足裏にもみ込んでおきます。ニューハレのテーピングも施します。
ジェルフラスコは中村匠吾選手のWINZONEとアミノバイタルパーフェクトエネルギーで一つ、ショッツグリーンプラム(カフェイン入り)二袋を経口補水液で薄めたものでもう一つです。塩熱サプリと2runもお守りに持っていきます。出発前にアミノバイタル粉も摂取しておきます。
徒歩で行ける距離ですのでゆっくり歩いて7:30頃にスタート付近まで辿り着き、先に様子を撮影しました。荷物預けは2年前より少し近くはなりましたが、相当時間に余裕を見た方がいいでしょう。7:50くらいにはどうにか預けてスタートまで歩き、8:10頃に到着。スタートロスは15秒でした。
スタート位置は府庁側に陣取ると有名人のお姿が拝めます。周りのランナーの反応的にはブラマヨ小杉さんが人気でした。
気温的には天気予報も確認の上で、スタート前の寒さであれば問題ないと判断しました(私は寒さには極端に強いのです)。この判断は正しかったです。多少鼻水は出ましたが、震えはありませんでした。
スタートセレモニーではデニス・キメット選手や中本健太郎選手のコールにランナーが湧きます。スタート直前にアミノバイタル赤を飲み干し、塩熱サプリも一つ噛んでおきます。
ハーフ1時間21分台のトライアスリートの後輩が自分の少し前にいて、「頑張りましょう!」と声を掛けて下さりました。彼はフルは3本目ですが、本当に素晴らしい選手ですので、今日は一緒にサブ3を目指しましょう、先にフィニッシュして待っていて下さいと心の中で話しかけます。
レース
序盤~前半(ここ一番で弩級のスロースターターぶり)
出だしは案の定足裏の感覚がなく、冷えているなと思いました。タプソールを塗っていた分ある程度はましだったと思いますし、熊本城よりも感覚が戻るのは早かったです。
スタート直後は流石に混雑します。最初の右折で転倒があった様子でした。大きな怪我をされていなければよいのですが。
京阪沿いを走り、造幣局を通過し、南森町を進みます。最初の1kmで5分程かかっていたものの、この辺りでもそこまで遅いという感覚はありませんでした。何よりも今回は前半で抑えに抑える作戦ですので、お先にどうぞという気持ちでガンガン抜かれます。天神橋を渡り、土佐堀通を北浜方面へと進みながら2年前の幸せな時間を思い出します。
5kmの入りは22分くらいを予定していたのですが、まさかの23:33でした。既に想定から大幅に遅れてはいますが、ここでレースを投げてしまうようではマラソンはできませんので、この先必ず詰めていけるのだと信じて、その時に出せる力を出すしかありません。
この辺りは経験のなせる業なのですが、地点ごとの時間を計算しても混乱するだけですし、ペーサーが貯金を作るタイプだとすると目標にはできません。そのため“大体どの地点でアベレージがどれくらいなら届く可能性があるか”という発想で走ることにしました。
ところで何故14km毎に区切っているかといいますと、神戸の最大の反省は後半の自分を信じられずに、身体の温まっていない前半で貯金を作ったものの力尽きたことを踏まえて、三人の自分のリレーだという設定で走ったためです。(14km毎に区切る発想は館山若潮マラソンのコース攻略で金哲彦さんから教わりました。)
第一走者が一番大事で、この人が後の二人を信頼せずに飛ばすと結局不安は的中して後の二人は潰れます。二人目は一人目のロスが大きいと焦るところですが、ここから別のレースが始まったのだというくらいの気持ちで淡々と進みます。三人目は繋いでくれた二人の分も頑張るという考え方です。後半自信を持って走れた方がトータルでは速くなりそうですし、何より辛くないので、勝負レースはこれでいこうかなと思います。
失敗レースに終わったとはいえ得るものも多かった神戸マラソン2019の記事はこちらです。熱い大会です。
御堂筋を南下する時間は贅沢そのものです。黄金色の銀杏並木のど真ん中を気持ちよく進みます。土地勘があるので、淀屋橋から心斎橋、なんばはあっという間に感じます。ビルや高架が見えていますので、なんだあそこまで行けばいいのかくらいの感覚です。
右折して緩やかな上りを経て京セラドーム大阪の傍を通過すると10kmです。グロスで44:27ですから全然間に合いません。しかし細かいことは気にせずにただリズムを刻むだけです。今回のコースは折り返しが多い分、トップ選手や仲間の姿が何度も見られて元気が出ます。憧れの中本健太郎選手は第二集団で走っている姿を見て力をいただきました。
みなと通も何度も走ったことのある道ですので胸熱です。九条を目の当たりにしながら、今日こうして走るためにあの日々があったのかなあと思ってみたりもします。弁天町近くで折り返し、またなんばの方へと向かいます。たしか14kmの通過で1時間1分数十秒くらいでしたので、神戸より大分遅いな、しかしその分余力があるに違いないと思うことにしました。
中盤(徐々に希望の光が)
15kmのカメラに笑顔を見せて力むことなく走っていきます。ここで先ほどの後輩の応援に来られていた奥様が私を見つけて下さり、大声で名前を呼んで下さりました(私が彼の応援のため大阪城トライアスロンに行った際に顔見知りになりました。)。とても元気が出ましたし嬉しかったです。この後なにわ筋を折り返してきた後でも、更には五條宮でも応援して下さり、本当に素晴らしい奥様だと心の底から思いました。
なにわ筋に入ってからも余計なことを考えずに開けたストレートをひたすら進みます。17.8kmのエイドで大阪プチバナナがあったので、どうせリラックスして走っているのだからここはひとつ食べておくかと少しだけ減速してジェントルタッチで優しく掴みました。かなり取り易いよう、上手く並べていただいていました。エイドは基本的に右側が多いので、給食を狙うにしても金沢マラソンのように左手を鍛える必要はないと思います。
ちなみに6か所の食べまっしステーションを攻略した(和菓子、ラーメン、カツカレー等)金沢マラソン2019の記事はこちらです。とっても楽しい大会ですので皆様も是非ご参加いただければと思います。
20kmが近づいた折り返し前に後輩の姿を確認し、まだペーサーまでは大分あるなと思いつつも淡々と進みます。西成でも小さな子供からお年寄りまで沢山の方が沿道を埋め尽くして下さり、これぞ人情の街と感謝しながら進みます。折り返して少し行ったところでファンタグレープが提供されていましたので、ここでも飲んでおきます。甘いもの、炭酸は元気が出ます。
中間点の通過は1時間31分30秒くらいだったと思います。想定より1分は遅いのですが、ここから新たなレースが始まるくらいの気持ちでいました。神戸の前半で1時間29分40秒台でしたから、おそらくそれくらいは楽に出せる、ということは頑張って3時間1分くらいか、自己ベストはどうかな、と色々な考えが頭を巡ります。身体の疲れも感じていませんでしたので、ある程度はいけるものの、ハーフのベストは出さなくてはならないということは分かりました。
そうこうしているうちにまたしても給食の気配を感じ取ります。バナナを取っておくか?と迷ったものの、手がべとつくので回避しようと思ったところで井村屋スポーツ羊羹の存在に気付きます。これは容易に掴めると判断し、右手で上から軽やかに捕獲します。このくらいのスピードでフードを取る人は少ないため、エイドのお母さま方に喜んでいただけました。フードファイターの腕の見せ所です。
そのままなにわ筋を北上して、大体どれくらい行けば千日前通かも分かり切っているので気楽に進みます。環状線の高架や歩道橋を目印に進めば長く感じることもありません。自転車を持ち上げて歩道橋を渡れるように助ける力持ちボランティアさんの姿を走りながら見て、これはいいなあ、ありがたいなあと思いました。
右折して府立体育会館を過ぎて国立文楽劇場辺りで25kmというのも頭に入っています。ここでまたも給食に気付きます。ウメパワプラスは周囲のランナーとの距離が近過ぎたことと掴みにくそうで取る自信がなかったことからパスしました。弾く可能性が高そうでしたので。
しかしバランスオンminiケーキの表示が見え、ケーキは取りたい!と思ったので、迷わず手を突っ込みます。ここで下手に一つだけ狙うと失敗確率が上昇するため、流れに任せて二つ掴み取りました。取ったはいいけど袋を開けるのは億劫だなと判断し、共に腰のポケットに捻じ込んで後で食べることにします。
勝負レースでお菓子なんて取るのはどうやねんという考えの方もおられるとは思いますが、自分はそれくらいリラックスして走った方が丁度いいようです。性格的なものもありますし勝負弱さの原因でもあるのでしょうが、普段から辛い練習はせず、本番も楽しみながら笑顔で走るのが好きなのです。
後であの坂を上るのだと確認してから右折して松屋町筋を南下する流れになります。南下の際に日差しが眩しく感じるのは先週の下見ジョグで予習済みです。距離的にはたかが日本橋から恵美須町まで走る程度ですので、オタクランナーとしては勝手知ったる距離感です。たしかこの南下中にキロ4分17秒くらいまでは上がって来ました。天王寺公園北口の折り返しで4分16秒を見たかなくらいだったと思います。これはいけるかもしれないという光明が僅かながら差してきます。
後半(結果は後で考えろ、しかしこの結末は)
本来であれば28kmの通過時点でタイムを見るのですが、この時に見たか、はたまた見ること自体を忘れたのかは定かではありません。
コースで最も急な上町台地の上りは肘でリズムを取って進みます。予習通り、多少ペースが落ちても諦めないことだと言い聞かせながら、歩幅を狭めつつ脚の力を残します。ここは奥熊野いだ天ウルトラマラソンで体得した上り方を使います。榛名湖マラソン程距離も長くないため、少々力強く行っても持つという判断です。なお、全てが衝撃的な榛名湖マラソンの記事もありますので興味がある方は是非ご覧ください。
上り切ってもすぐに急な下りになるわけではなく、少しなだらかな平地を走ることは下見の際に確認済みです。まいどエイドがあるのは分かっていましたのでリラックスして進みます。2年前は何も取らずに後悔したなと思いつつ、今日は取れそうだなと狙いを定めます。これは弾きそう、止まるしかなさそう等と瞬時の判断を繰り返していると、カップに入っていることもあり一つだけ明らかに取り易かったパイナップルが目に飛び込んできました。しっかり狙って難なくゲットです。
そこそこのスピードで走りながら物を掴む場合、柔らかいものは力加減が難しい、袋入りの小さなものは結局はじく可能性が高い、揚げ物を落とすのは勿体ない等、様々な要素を考慮して、短い時間で判断をしますが、経験によって培われたこの能力には自信があります。
この辺りはアップダウンに一喜一憂しないためにもタイムは見ないことにしていました。坂を下って右折した辺りで30kmですが、ここで何とあの川内侑子さんのお姿が。「ここは隠岐の島のお礼を言わねば!」と近づいて「川内さん、こんにちは」とお声がけしたところ、ちょっと驚かせてしまったようで申し訳なかったです。若干しんどそうに見えたので、そのまま前に出ることとしました。
玉造筋も短いながら少しだけ上りますので、油断していると堪えるかもしれません。こちらも下見の成果が出て気負わず進みます。勝山通は腐らず、標識を目掛けて進みます。ここで後輩の奥様から3度目の声援が。本当に、本当にありがたかったです。後で伺ったところ何と5か所で声援を送って下さったとのことです。感謝しかありません。
北河堀の折り返しでもいまいちペーサーとの距離が詰まっていないことに失望しつつも、大騒ぎせずにとにかく自分の身体に集中します。実はこの四天王寺の折り返し辺りで後輩を抜いていたようですが、その時は全く気づきませんでした。最後まで、彼は自分の前を走って余裕でサブ3を達成しているのだ、自分のことを慕ってくれているその気持ちには応えたいと思いながらただ前へと進みました。今回頑張れたのは彼と奥様のお力によるところが極めて大きいです。自分一人ではとっくに諦めていました。
JRの高架を過ぎ、御勝山古墳を見て今里筋を目指します。この辺りの距離感も一週間前の下見で予習済みです。35km今里筋に入る辺りでアベレージ4分15秒ならいけるという想定で走ります。勝山通を下って左折する頃には狙い通り4分15秒まで上がっていました。
この先はすぐに近鉄の高架、長堀通とクロスする今里の交差点、緑橋の高架と目印を見ながら覚悟を決めて進みます。直線で加速できていたので緑橋では4分14秒まで上がります。GPSは長く出ますし、平均4分14秒ではさが桜の経験上間に合わないと分かっていたので、ここからもう一押し上げて4分13秒に持っていけばあるいは可能性があるかもしれないと言い聞かせます。呼吸は乱れず、体感的にこの脚の軽さなら最後まで持ちそうだという感覚だけを頼りに前を目指します。とにかくリズム、リズム、リズムです。
体感的には4分一桁で走っていましたが、細かなタイムは見ていないので正確なところはさっぱりわかりませんでした。「ここでサブ3を決めるぞ!」という沿道の声に励まされながらも、たまに設置された時計を見ても残りの距離をあと何分何秒でという計算もできず、と言いますか計算を試みる度にどうも厳しそうだという弱気になりつつも、それを打ち消すようにただ自分の身体との対話を繰り返します。
緑橋まで来れば本当にもう少しだとよくわかっていますので、また気力が湧いてきます。後は大阪城公園の縦一本くらいで橋を渡り、目の前にある高架を潜ればすぐに左折して、スーパー玉手を目掛けて走れば40kmです。流石にこの辺りでは疲れが出てきている感覚はありましたが、とにかくキロ4分13秒だけは死守するのだという気持ちだけは保ちます。その結果がサブ3でもそうでなくても構いません。とにかく今の状況でできることをやるしかありませんので。35kmから40kmは20:38でした。
JRの高架を潜り、わずかな上りが堪えます。若干減速した感覚があり、また弱気に襲われます。最後のエイドでは手袋を外さずにそのまま給水しようとして二度スプライトを弾いてしまったのが更にまずかったです。最後にどうにか水は取れましたが、あそこで炭酸を取れていればまた少し違った展開になったかもしれません。
ラスト2kmでもペーサーの背中が見えなかったので、これはもう間に合わないのだろうと思いましたが、それでも最後まで粘ればあるいはという思いも微かにあり、かなり苦しくなってきたもののそのままのペースで進みます。この辺りで緊張したのか、やや腹部にガスを感じる瞬間がありました。こんなことは珍しいので苦しさも強まってきましたが、気にしている場合ではないので、とにかく早く終わってくれることを祈る気持ちです。
大阪城公園に入っても思い描いた程上がりませんでしたが、逆に意外と落ちていないこともあるので大丈夫だと思い込むように努めます。こういう展開で結局自分に負けるのかな、ちょっと届かなかったらどんな気持ちになるだろう等とごく短い時間に様々な考えや感情が浮かんでは消えてを繰り返します。
気力を保とうとしたものの、最後の地味な上りでかなり失速してしまった感があり、城内に入った辺りではこれはギリ届かないだろう、3時間0分10秒くらいかという思いが頭を掠めました。それでもさが桜の時に少し浮かんだ「グロスで切れないならネットだけ切っても意味ないじゃん」という思いが巡ることはありませんでした。今日は何とか自分に恥ずかしくないよう走りたいという気持ちの方が強かったです。
ここで、極楽橋も近くに迫った辺りで急にカウントダウンが始まりました。「駄目だと思っていたが、これはもしやいけるのか!?」と急に思い立ちます。この辺りは目まぐるしく思考が変化しました。とにかく最後まで可能性に賭けようとダッシュしましたが、無念、2秒届かずです。40km以降は09:01でした。
フィニッシュゲートを潜る直前にカウントダウンが終了してしまい、3:00の表示を見た瞬間は流石に、「まさか自分の身にこんなことが起こるなんて!!」というショックは受けました。しかし、結局、本当に届くかもと思ったのも、残念に思ったのもラスト15秒くらいだけでしたので、その残念感はあまり長く続きませんでした。
仮に間に合っていたとしたらどうでしょうか。たらればを語っても仕方ありませんが、おそらく棚ぼた感が強過ぎて満足はいかなかったに違いないと思います。サブ3を達成するのであれば、きっちりと余裕を持って決めたい、次に向けて回復をしなくてはという気持ちもすぐに芽生えてきました。(幸い自己ベストを更新した割にダメージは少なく、二日後の時点でかなり回復していました。)何だかんだでネットでは2時間59分台でしたし、ピッチも189spmと十分、フォアフットで走り切れたことも大きな収穫です。
アフター(少しの寂しさと、それでも前を向く)
完走メダル、タオル、フード、ドリンクなどを次々と受取り、荷物も手渡していただき、プロテイン、プロテインバー二本、いただいたパンや途中でゲットしたバランスオンminiケーキなどをおいしくいただきます。ランナーズアイを確認して応援して下さった方に感謝の気持ちを抱きます。
後輩とはその後会えなかったので、仕方なく家まで歩いて帰ります。途中ゴミ箱に書かれた応援メッセージを見て、とても楽しく幸せな時間だったなあと少しの寂しさと共にあの3時間と少しの時間を振り返ります。コンビニで唐揚げやスイーツを買って家に到着後、好きな物を食べてささやかな打ち上げを執り行いました。
最後に
結果は結果として(それ程嬉しくないながら)受け止めるとして、何よりも伝えたいことは、大阪の街を走ることで感じ取れる喜びです。これはもう実際に体験していただくしかないのですが、ああ今自分は大阪のど真ん中をこんなに沢山の方に応援されながら走っているのだと笑顔になれて幸せな気持ちが全身に満ちるのです。自分が人生の大半の時間を大阪で過ごしていることもあり特別な感情を抱く部分もあるのですが、きっと、他所で暮らしておられる方にも大阪ってええな、ちょっと好きになったかもと思っていただけるのではないかと自信を持っています。
大阪マラソンに関わって下さった皆様、本当にありがとうございました!次は確実にサブ3を達成させていただきますので、応援よろしくお願いいたします!
【追記】その後時間はかかりましたが、2023年の別大でようやくサブスリーを達成しました。ヴェイパー、194spmで押し切れ、この日より強くなれたことにホッとしました。このままでは終われないと、3年以上も引っかかるものがありましたので。
エンペラージャパン3もこのまま終わってしまうのは申し訳ないと思っていたのですが、決戦の富士登山競走で山頂まで共に上ることができました。ありがとう。