何を言っているのかと思われるかもしれませんが、本当の本当に紙吹雪舞うスタートから歓声に包まれるフィニッシュまで応援が一切途切れることなく続いていて、応援してくれる人の向こうにまた応援が折り重なりまた連なるような光景は壮観そのものでした。これを体験できたことを幸せと言わずして何を幸せというのかと思いながら走りました。
ボランティアスタッフの人数も熱意も並外れていて、あれだけの参加人数をしかも大都会東京のど真ん中で走らせるためには、多くの方の善意、他者への思いやり、優しさがなくては成り立たないよなあとしみじみ思いました。走るだけでなく、皆で一つになって巨大なイベントを作り上げるとはこういうことですね。少し大げさに響くかもしれませんが、人が支え合って社会ができていると強く感じる時間でした。自分なりに、「東京がひとつになる日。」に込められた思いを掴むことができたはずです。
フラットコースと程よい気温も大きいものの、自分の今の力を出し切って目標のグロス3時間5分切りを達成できたのは、沢山の方に力をもらいにもらったからです。途中で丁度設楽悠太選手のゴールも映像で見られ、日本記録更新の場に居合わせたことも勇気を与えてくれました。初参加でしたが、言葉にするのも難しいくらい大きくて沢山のエネルギーが注ぎ込まれた唯一無二の大会ですね。
東京自体もそうですが、他のマラソン大会も、同じく沢山の方の努力と優しさで作られているということを改めて実感し、走ることがまた好きになりました。まだまだ走りたいですね。東京マラソンに関わって下さった皆様、一生の思い出となる素敵な時間を一緒に作り上げていただきありがとうございました!
前日(前日受付)
当時は前日も練習していました。0:32'17",6.70 km,4'48" /km ウィンドスプリント4本でその頃やっていた調整です。細かいことを考えず、無理なく自然に動けました。シューズのフィッティングも兼ねており、その感覚も良かったようです。当時は怪我もなく、いけるぞという思いで家を出ます。
移動はぷらっとこだまです。掛川では掛川城が見え、2017年の掛川新茶マラソンは実にきつかったけどいい思い出だなあと振り返ります。こだまが各停のお陰であれこれ思い起こせるのはよかったです。 富士山もゆっくり見られますし、こだま万歳といったところです。
東京駅で相当歩かされた記憶はありますが、何はともあれビッグサイトにやって来ました。以前にも別の用事で来たことがある気がするのは内緒です。
流石大都会東京、豪勢と言いますか、桁違いでした。行けども行けどもブースが続き、協賛していただいている企業さんに感謝です。スタッフの皆さんも笑顔で応援して下さり、熱がすごかったです。走らせていただける幸福感にテンションが上がりますが、明日はゆっくり入るよう心がけます。楽しみな気持ちが募ります。
コースの動画も放映されていましたので、事前に自宅で何度も見ていたのに加えて、ここでもしっかり最初から最後までイメージを確認しておきます。
トロフィー等の展示もあり、やっぱり東京はデザインも洗練されていて、他の地域とは違うなと思いました。どちらがいいとかではなく、これが東京の個性であり、他には真似のできないものだろうということです。
東京マラソンはアボット・ワールドマラソンメジャーズの一つでもありますので、他の大会のTシャツも展示されていました。生きているうちにいくつかは走ってみたいのですが、そうこうしているうちに人生は終わりますので、本心から行きたければ他の全てを犠牲にしてでも参加するべきなのでしょう。
会場のキャパがキャパなだけに、また、参加人数も参加人数なだけに、とにかく行けども行けども終わらず、最後の方は、早くおうちに帰りたい……。と思いかねないくらいの規模でした。別の大会で仲良くなったお店の方に伺ったところ、出店料も高く、その割に足を止めてもらえないという苦労もあったようです。ランナーとしてはできるだけ出店して盛り上げようとして下さる企業さんにお金を落としたいのですが、如何せん前日に疲れることは避けたいため、どうしても早く休みたいという気持ちが先に立ってしまいます。
今日のお宿に着きました。ファーストキャビン赤坂さん、狭いことはあえて否定しませんが、土曜の東京の中では税込み6,300円と安かったですし、お風呂もあるので十分です。満足しています。
夕食は大戸屋さんでチキンかあさん煮定食です。ボリュームもあり、味も確かなので気に入っています。ちなみに、北海道マラソン2019前日にも食べています。
北海道マラソンは大好きな大会ですので、2020年は休止となったものの、また必ず出るつもりです。記事も書いていますので、ご覧いただけると嬉しいです。
レース
レース前(スムーズな移動、しかし寒い)
22時50分頃消灯、5時起床です。夜中3度起きていて、眠りは全体に浅かったのですが、身体が痛いわけでもなく眠気も感じなかったので問題ありません。寝る前に、全部捨てるのも勿体ないからとドライゼロ(試供品としていただいたもの)を半分くらい飲んだのはよくなかったと思います。水分補給では、前日昼からスタートまでに経口補水液を500ml飲んでいます。
5時台にコンビニに出掛けて食料調達を済ませます。水分は足りていたので牛乳はなしにしました。シャワーを浴びて髭を剃り、テーピング、ソックス、ワセリン、日焼け止め等全て済ませて出発です。おにぎりはゲートの中に入ってから食べました。
6時55分赤坂見附発で7時50分くらいにはスタートブロックに入れました(駅からこんなに歩くものかと感心しましたが)。荷物預けから気分は盛り上がる一方です。ご存知のとおり防犯対策の都合上、スタートエリアにペットボトルは持って入れませんので、間違って直前に購入しませんように。捨てる羽目になります。
荷物預かりの後でスタートに向かって階段を上った先にあるトイレは早い時間であればかなり空いていましたので、最初の方にあるトイレにこだわって行列の一部を形成する必要はないと思います。
座り易さの観点から左端を選択しましたが、スピーカーが近くて耳がやられそうでした。それ以上に寒さが大問題で、スタートまでの1時間以上がとんでもなく長く感じました。あと5分待っていたら倒れていたかもしれません。不要な服は洋服ポストで回収して下さるので、厚着した方がいいです。自分は一枚だけでしたので、もう少し考えておけばよかったなと思います。
割と近い位置に川内優輝選手のものまねでお馴染み、M高史さんもおられました。この大会でその存在を知ることとなり、以後ツイッターやブログを拝見し、ご活躍を陰ながら応援しています。(その後、さが桜マラソン2019でようやくすれ違うことができました。)
すぐ横をペースメーカーやトップ選手が通ります。こういうこともあるので端の方はおいしいのです。この高速コースに勝負をかけている選手も沢山おられるわけですから、緊張感も漂っています。
今日はエンペラージャパンで頑張るぞと足元を見つめます。座りながら、しっかりフィットするように靴紐も締めましたし、計測チップも違和感がない位置に着けられました。いよいよ、あの、ニュース等でしか聞いたことのない東京マラソンが始まります。その夢の舞台を構成する一人として私自身が組み込まれた東京マラソンが。
レース
序盤~前半(東京マラソンの高揚感に夢心地)
スタートは紙吹雪が舞い散る、壮観としかいえないものでした。スタートラインを越える時、自然と「よっしゃ行くぞ」と小さく呟きました。スタートロスはわずか44秒(!)でしたので、これはグロスで記録を狙うべきと直感しました。今日という今日は真面目に走ると決めていたので、この先は写真も撮っていません。
最初は緩い下りから入るので、周りは飛ばすのですが、どうせ混んでいますし先は長いので焦らないよう注意します。全体でキロ4分23秒を切るくらいでまとめるつもりでしたので、タイムを細かく決めるのではなく、最初はキロ4分30秒前後で、中盤4分22秒くらいまで上げて、30km過ぎてから4分20秒を切るという程度の大まかなプランだけは持っていました。
入りは感覚としては遅かったのですが、4'31"/kmとほぼ予定通りでした。5kmから4'23"/kmは少し速いと思ったので、20kmまでは休みながら上げ過ぎないように気を付けることにします。後から見ると4'22"/km、4'21"/kmでしたが、感覚的に抑えてはいました。加古川マラソン2017の教訓(※試しに序盤からサブスリーペースで突っ込んでみてしっかり撃沈)から30kmは持つと分かっていたので、いけるかなとも考えていました。やはり過去に一度経験したことであれば予測が立ちますし、再現できさえすればいいと考えられ、自信を持って落ち着いて走れます。
中盤(多過ぎる応援と設楽悠太選手の走りに奮起)
15kmは浅草寺ですが、ここで写真を撮る余裕はありません。撮って目標を達成できないと後悔すると思ったので、その後のスカイツリーもこの目で見たことで満足することにしました。折り返しの光景も覚えていますが、本当の本当に沿道の応援が多くて驚きながら走っていました。何せあまりにも人が重なっていて、最前列の方以外は全然見えませんでしたから。
コース的には、坂と呼べるような上りはありませんでした。ふわっと上がるくらいです。それまでに走った中で一番の高速コースでしたし、その位置づけは2年後の今でも変わりません。フラット中のフラットといえば東京マラソンとさが桜マラソンでしょう。
16km辺り?で先頭集団とすれ違い、設楽悠太選手を見ることができました。この辺りでゼリーも飲みました。事前の練習と同様、塩熱サプリを6kmおきくらいで食べました。感覚的にこれは効いたと思います。
給水は2kmか3kmおきにありますし、テーブルも非常に長いので、混乱なく取れます。気温が低ければいくつかパスしても脱水にはならないと思いますので、冷静にいけばよいでしょう。
22kmのエイドでは、このまま最後まで何も給食を取らないというのも不安があったので、気合を入れてみかんを取りました。半分に割って下さってはいたものの、剥く作業は必要でしたので、少し食べてポケットに入れ、また少し進んでから食べ、という感じで気分転換をしていました。ポケット付きのランパンを愛用している理由はこういうところにもあります。精神的にも、こうして給食を取るくらいの心の余裕がある方が実力を発揮できるようです。ちなみに、2019年までの自己ベストを出した大阪マラソン2019でもお菓子を数回取っています。初サブスリーの2023の別大では、そもそも給食はなく、水分一本勝負でした。
28kmくらいで、トップの選手がゴールする映像が流れていて、設楽悠太選手が2時間6分台でゴールしたのはわかったのですが、日本記録を更新したことまではわかりませんでした。それでも、この同じ時間に同じ場所を走ったのだという思いで勇気が湧いてきました。ここから上げています。25kmからは4'17"/kmでした。
後半~終盤(最後の勝負は懸命に)
30kmを過ぎてからは勝負ですので、ここは抑えずに、潰れない範囲で上げました。ここに至るまで脚に痛みもなく、膝のタメとリズムを意識して走り、力を蓄えていました。ビルドアップで上げる意識づけはできていたので、自信もありました。ここで226人抜いています。30kmからは4'12"/kmでした。
35kmで折り返した後、給水を取り、その後は補給していません。どの大会でも終盤のエイドは歩いていたり大幅な失速をしていたりするランナーが多く(自分もそうなることがあるためよくわかります)、神経を使いますので、取るかはよく迷うところです。やや逆風になりましたが、大したことない風でしたし、まだ余力もありました。それでも4'19"/kmくらいには落ちており、もっと上げたいのに上がらないともどかしい時間でした。
37km辺りから5kmのビルドアップだと切り替えようとしつつ、40kmを迎えます。ここで残り9分15秒を切るくらいで行けばグロス3時間5分が可能だと分かりましたが、如何せん思うようには上がりません。これは駄目か、いや今日は出し惜しみなしで行くのだ、これまでのスパートでも十分可能なタイムなのだと自分を励まします。腕も脱水で痺れていましたが、数キロなら問題ないのは経験済みですので、弱気になる必要はないと言い聞かせます。
41km過ぎで左に折れた後でボランティア参加している友人が応援してくれていると連絡を受けていたので、右側に寄って一人一人顔を見ながら走りました。どうにか見つけられ、めっちゃ応援してもらえたので百人力でした。本当に嬉しかったですし、今もあの光景ははっきりと覚えています。東京マラソンの中で最も鮮明な記憶として刻まれているのはこの場面です。
しかしこの先僅か1kmがなかなか終わらず、感覚的には遅くないもののキロ4は出ていないのではと不安になりながらも、少しでも前に進もうと懸命に腕を振ります。42kmで3時間5分までは残り50秒程だったので際どいと思いましたが、左程上がりません。左に折れると予想していたより近くにゴールがあり、何とか切れたかすら分からないままフィニッシュしました。ネットで3時間5分を切っているのは間違いなかったのですが、ここまで来たらグロスでも、という思いはありました。着替えてから恐る恐る応援naviで確認して、3時間4分50秒台のタイムを目にしてようやく安堵しました。
今回はスタート前の寒さ以外は好条件が揃い、数十回に一回あるかくらいの環境だったと思います。内的にも経験を総動員して、ペース配分やビルドアップで上げる感覚、腕の痺れへの自信、補給、給水パスだけでなく、周囲との距離の取り方等全てに上手く対応できました。現時点でできることを全てやったと思います。 後半の方が2分程速いのはよかったのですが、スパートが決まらないことに課題を残しました(40km以降は9分9秒でした)。
アフター
フィニッシュ後、荷物受け取りと更衣室までの距離は長いです。そして寒いです。が、スタッフの皆様がお疲れ様と声を掛けて下さるので、笑顔で応えて進みます。
終了後はアミノバイタル粉を飲み、持っているゼリーも全て吸い尽くします。いただいた水とポカリをがぶ飲みし、ランチパックとカロリーメイトも食べました。更衣室を出てからお土産と記念品を少し購入し、東京駅へと向かいます。
駅に向かう途中で友人にお礼を言い、あれこれと近況やこれからの話をして、お互いに楽しく走り続けようと誓い合います。そして、一緒に、まだ走っているランナーを見送ります。その後彼女もトライアスロン(こちらが主戦場)とマラソンを続け、2023年の泉州国際で3時間30分切りを果たした時は私も心底嬉しかったです。
自分達のすぐ近くだけでも沢山のスタッフさんがおられます。これだけの途方もない数のランナーが集まって東京のど真ん中を走るという規格外と言っていい大規模大会を、事故なく、皆が安全に走れるように運営するには多くの方の善意や他者を思いやる心が不可欠なのだと改めて実感する時間でした。社会はそういう風にしてできており、支え合うことで生かされているのだと、この記事を書いている今もまたその思いがじんわりと胸を満たしてきています。
周辺に店が星の数程ある結果、特に出店があるわけでもなく肉に襲いかかるいつものやつができなかったので、ぷらっとこだまのクーポンでビールをゲットしました。これはこれでいい旅行じゃないかと思います。
疲れと新幹線特有の温度により眠りに落ちましたが、お馴染み三河安城を定刻通りに通過しましたアナウンスのお陰で蘇生しました。数多のサラリーマンが救われてきたJRの心憎い演出ですね。新大阪まで何を考えていたのかは、今となっては思い出せません。きっと、東京マラソンという夢の舞台を走れたこと、そこで目標としていたタイムを出したことの嬉しさを噛みしめつつも、これから先のことを考えてワクワクしていたのだろうと思います。
最後に
次に当選するのはいつのことか全く分かりませんが、この大会に出ることができて本当によかったです。その時点で自分が持っているものを全て使って挑戦できたことは、自分の成長の為に非常に多くのプラスになりました。ここまで頑張れたのも、大会を支えて下さった皆様、少しでも気にして下さった皆様、交通規制や騒音も寛容な心で受け入れて下さった皆様一人一人のご協力のお陰です。
先ほども書いたとおり、社会がどういう思いで成り立っているのかを全身で感じられる一日でした。「東京がひとつになる日。」という大会コンセプトは、そういうことだったのかと、走らせていただいた一人のランナーとして感得すると共に、しっかりと胸に刻まれています。これをきっちり受け止めて、人間としての成長につなげていけるかは自分次第です。
大会に関わって下さった皆様に、心よりのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!