ちょっと長すぎる旅ランブログ

百聞は一走に如かず。きっと貴方が好きな大会が見つかります。

金沢マラソン2021(2021/10/31) また一つ夢を叶えていただきありがとうございます。走る限り出場し続けます!

タイムは目標に遠く及ばなかった(3時間5分台)ものの、この状況下で奇跡的に大会を開催して下さった金沢の皆様のお陰で、また新たに母との大切な思い出ができました。朝送り出してもらい、走ってきて一緒に写真を撮り、家に帰った時に出迎えてもらえて、夕食も作ってもらい話をする、そんな経験が今年もできたことは何物にも替え難いです。また一つ夢が叶いました。

調整も上手くいき自信もあったにもかかわらず、シューズの紐が緩いという初歩的なミスにより、得意なはずの後半は足が強くつらないようにするのが精一杯で、終了後は涙も出ないくらい呆然としていました。今日で終わってもいいつもりだったのに全く頑張れず、食べまっしステーションを完全攻略した2019年より遅いという結果に深く落ち込みましたが、家に帰ってこの一年間を思い返しながら母と話しているうちに、タイム以外は最高の一日だったと気づけました。もし金沢の皆様が大会を開催して下さらなかったら、この一日はありませんでした。心から感謝しています。

大会自体も、感染対策で形を変えながらも、いつもの金沢マラソンの魅力が熱を持って伝わってくるものでした。ランナー受付ともてなしメッセ、加賀友禅大使の皆様のお見送り、太鼓や吹奏楽の演奏、声援は控えておられるものの手を振って下さったり拍手で応援して下さる沢山の方々、(今回は思うところあって見送りましたが)充実の食べまっしステーション、終了後のスムーズな誘導等々、第一回大会から変わらない最高の大会でした。

大会後も立ち寄った谷商店さんで楽しくマラソンの話をして、更に前回に引き続きおまけまでしていただき、本当に多くの皆様が温かい気持ちでランナーを受け入れて下さったことが身に染みました。

今回は5度目の参加でしたが、いつまでも出場し続けようと重ねて思いました。金沢マラソンと出会ってからの6年間は、それまでの人生の9割程は忘れてしまうくらいに生き生きとした、幸せな日々です。金沢には大好きな場所も記憶もぎっしり詰まっています。

今日からまた新たな一歩が踏み出せましたので、レース後の振り返りで確認した教訓(山ほどあります)を実践し、満足のいく走りを目指していきたいです。

最後に改めて。金沢の皆様、いつもいつも応援ありがとうございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします!

(年が変わってしまいましたが加筆しました。真面目な内容なので読まれる方にとっては面白くもないかと思いますが、自分の記憶のために。4月の加賀温泉郷マラソンも楽しみにしています。)

金沢マラソンへの日々

4月・5月 左脛の異常

多度山トレイルの頃には相当悪化していた左脛が本当に痛くて痛くて仕方がなく、ついに走れなくなりました。走って痛いのはまだ分かるのですが、名前を呼ばれたり電話がなったりで僅かに血流が変化するだけでも強い痛みを感じ、もうどうしようもなくなりました。シンスプリントだとは思うのですが、明らかに神経が異常な状態になっていました。スキップはおろかつま先立ちすらとんでもないという惨状です。

4月末から約4週間は走らず、回復を信じて懸命にウォーキングに取り組んでみたりもしたのですが、左程歩きが上手くなったわけでもありません。少し歩くと痛みが強くなり、散歩するだけでも辛かったです。
そろそろよくなったかなと試しにゆっくり走ってみても10分程度で痛みはぶり返しました。走り出してすぐの所で段差に対応できず転んだりもして、我ながらかなり可哀そうな状態でした。

とりあえずできそうなこととして、肩甲骨周りと開脚べたーの静的ストレッチを始めてみました。睡眠時間が減ってしまうのは良くないものの、柔軟性が増したこと自体は最終的にもよかったと思います。※ただ、直前期には筋肉への影響を危惧してやめ、その後も特にストレッチをしていないものの、むしろ速く走れているので、睡眠時間を犠牲にしてまで行う必要はなさそうです。

6月 緩やかな回復

左右接地時間バランスは相変わらず悪かったものの、一時期の45%-55%のような数値も出なくなり、徐々に回復の兆しが見えてきました。6/20の時点でつま先立ちには耐えられる程度になり、スキップも軽くであればそこまで恐怖を感じることもなくなりました。もう少しの辛抱だと言い聞かせます。ひたすらスロージョグの日々です。

何が何でも出場するしかない状況ですので、開催されなかったとしても金沢市に寄付できるなら本望ということで、ふるさと納税エントリーを選択します。

7月 富士登山競走オンライン

普段はバーチャルイベントに感じるものはないのですが、獲得標高3776mを目指すコンセプトは面白く感じましたし、上りを増やしたいと思っていたのでエントリーしました。
事情があって金沢にも行く機会が増えたので、ひたすら野田山を上り大乗寺丘陵公園からの眺めに励まされる日々でした。朝日に覆われた金沢の街と日本海が見渡せる景色は、何度見てもよいものです。

7/4には現状確認ビルドアップ10kmまでは漕ぎつけることができ、嬉しかったです。48分11秒でしたが、左右接地時間バランスも崩壊せず、これで大丈夫かもと思えました。まだ金沢マラソンが中止になるという発表もなかったため、このまま何とか開催してほしいという一心でした。

8月 思い通りの練習ができる身体に

平日に3分オンオフ*5~10、日曜朝に走力確認ビルドアップ10kmをこなせるようになりました。3分オンオフは身体へのダメージも少なく、多少暑くても集中できますので好んでやっていました。スピードを上げている時の方が左右接地時間バランスが良く、自信になりました。
ビルドアップは厚底でやるべきだろうと考え、長らく履いていなかったズームフライ3を練習用に投入しました。3分オンオフはレスポンスを重視してZANTE SOLASで続けます。

以前は土曜の朝にビルドアップを入れていましたが、レースは日曜なので、日曜にピークを持ってくるリズムがよいだろうと考えました。嫌なことは早く片付けたいという発想で土朝に頑張ると、日曜もだらけてよくないという判断もあります。

練習以外では湯涌温泉までスロージョグをしてみたり、金沢おふろ旅というスタンプラリー企画であちこちに行ったりと気分転換もしながら、ポイント練習は全てこなすことができました。

卯辰山にも上りました。
湯涌温泉まで走った日は奇跡的に曇りで助かりました。
まさか真夏の青空の下、金石まで犀川を下ることになろうとは。

金沢の早朝は大阪より涼しいこともあり、例年に比べてしっかり走れた8月になりました。8/22の走力確認ビルドアップ10kmが42分20秒で、夏とは思えないくらいに動けました。手応えを感じます。

一日に3L以上の水を飲む生活を続けたせいか、この頃は体重が64kg台まで落ち、耳詰まりがあったりもした(ワクチン二回目の副反応かもしれませんが)ので、その後リバウンドしたのも全体としてはよかったかもしれません。

9月 本番を意識した練習を継続

暑さも和らいできたので、ビルドアップも15kmに戻しました。シューズと練習メニューの組み立ては8月から基本的に変わっていません。
金沢マラソンは本当に開催されるのだろうかと思いながらも、いやまだ中止の発表はないのだ、きっと開催していただけるのだと自分を元気づけます。

10月 最終調整へ

大阪での3分オンオフやビルドアップも厚底で脚を回転させる練習をするべきと考え、asicsEVORIDEを投入します。※履き始めはよく分からなかったのですが、その後も継続的に履いてみたところ、このシューズは自分との相性はとてもよく、クッションと回転へのアシストに優れているのがよく感じられます。非常に安心して走れるシューズで、流石はアシックスさんだと思い知らされています。お財布にも優しいとあって見逃す手はないと考え、とりあえず更に2足買いました。

そして念願のヴェイパーNEXT%2を購入し、15kmビルドアップ、3分オンオフ、10kmビルドアップで感触を確かめます。
本番一週間前の10kmビルドアップは40分15秒で、寝起きにしては楽に速く走れたのでほぼ間違いなくベストを出せると考えました。キロ4分より上げた時の伸びは全く違いましたし、シューズも軽いので、後半勝負がかけられるという安心感もありました。

最後の水曜朝はズームフライ3での1分オンオフ*10に止め、金土と二日間は走らずに脚を休めることにしました。2019年の勝田では二日間の休養がかなり効果的でしたので。

食事も9月頃から、最も吸収効率の良い(特にDHAEPAの豊富な青魚)を食べるようにしました。野菜やたんぱく質が多いのは相変わらずです。酢を牛乳やきな粉と共に飲むといったことも始めました。思えば2019年の冬頃も黒酢を増やしていましたし。

9月30日の朝食はこんな感じでした。

精神面の対策として、スマホからSNSアプリを全削除しました。走っている間もその他の時間も、通知が来ているのではなどと一々気にならなくなったのはとてもよかったです。
本番に近い時期は重い気持ちになる小説や社会問題を扱った本は読まないようにしました。直前に読んでいたのは、ドナルド・キーンさんの『日本の文学』です。

ガーミンの光学式心拍計もオフにするようになりました。スロージョグで心拍数170と誤検知し、滅茶苦茶なトレーニングステータスやVO2MAXが表示されてイラつくのは馬鹿馬鹿しいと判断したためです。別売りのハートレートモニターを購入し、計測したい時のみ装着することにしました。こちらの方が数字は正確で参考になります。勿論トレーニングステータスはディトレーニングと表示されたりするわけですが、そんなものは無視です。

ガーミンの表示もスピードにしました。時速14kmだと3時間で42kmですから、分かり易いと考えました。全体の時間、時速、平均ペースが分かれば十分と判断しました。

受付は金曜のうちに済ませました。もてなしメッセはほぼいつも通りで、ナンバーカードやTシャツを受取り、ああここに帰って来たのだとしみじみ思います。

金沢、石川の有名店が勢ぞろい。食べまっしステーションはやはり豪華です。
記念グッズの中でもライトは便利で、愛用しています。
お土産に好評のまつやとり野菜みそも8つ買い、製造部Yさんにもご挨拶できました。
8つ買って職場で配りました。毎回大好評です。

第一生命さんの体組成測定でも2年前とそう変わらない測定結果で、こんなものだろうというところです。

体脂肪率8.3%は気持ち高めかも。

アシックスさんの試走が意外と空いていたため、これ幸いとMetaSpeed Edgeを履かせていただきました。トレッドミルなので正直よく分からないところはありましたが、やはり軽く脚はよく回るという印象でした。スタッフのお姉さんにフォームがきれいだと褒められて調子づきます。シューズについて色々と伺えたのもとても楽しかったです。※関西地区ランナー記録会の記事にも書きましたが、別の機会の試走でもかなり好感触で、ヴェイパー以外に勝負シューズを用意するならこれかなと思っています。

トレッドミルだけでなくロードで試走できると衝撃を受けます。

当日の振り返りは次のページになります。

レース当日

レース前

22:50消灯5:20頃起床です。直前は不溶性食物繊維を減らした効果か朝も上手く身体を軽くできました。今振り返っても、調整は上手くいったと思います。
余裕を持って食事を済ませ、笑顔で出発します。いつも通りのルートを歩いて会場へ。この状況下で本当に開催して下さるのだとこみ上げるものがあります。

一時よりは朝食の量を抑えてみました。鮭はよかったと思います。
当日の装備はこんなところです。
ヴェイパーさん、今日はよろしくお願いします。

Dブロックには早目に整列し、座って待ちます。ただ、この時点で心拍数が普段より高く、明らかに興奮しているのが分かりました。とはいえどうすることもできませんので、力まないようにだけ考えていました。公式テーマソングの”いっぱいいっぱいありがとう 伝えよう 伝えよう”というフレーズを噛みしめます。

ああ、またこの場所からスタートできるのか。

かなり前の方に陣取れたこともあり、目の前にサブ3のペーサーさんがいます。前半は距離が空いても構わないので抑えていこうと言い聞かせます。

いよいよです。胸が高鳴ります。

レース

序盤

スタートのビハインドはわずか18秒です。これくらいなら全く問題ありません。最初は流れに乗りながらピッチだけは高く保つ意識で走ります。抑えているはずがやはり速く、最初の1kmが手元4分13秒台でした。

前半で家の裏を通るので、ここで後続のランナーさんに道を譲り、後ろが大分空いていることを確認してから約束通り沿道で待っていてくれた母親の隣で止まり、記念撮影を果たします。母曰く、「活きのいい魚が飛び込んできたようだった」とのことで、確かに後で写真を見ても驚いている母親とやけにギラギラした自分が写っていて笑ってしまいました。一生の思い出がまた一つ増えました。

ロスは10秒くらいと踏んでいたのですが、その後もほぼキロ4分15秒ペースを刻みます。例年と異なり最高点に最初の食べまっしステーションがあり、もしかしたら取れるかもと思って見たところ、はじく可能性が高くストレスになると直感したので、今日は全てスルーしてタイムに専念しようと判断しました。

中盤

例年下りの割にあまりスピードの出ないトンネルを二つ抜け、ああいつもの応援の女性がおられないなと考えているうちに田上地区に入りました。この辺りでも14km/h前後を刻んでいて、ペース自体はよかったと思います。ただ、この辺りで若干右足がシューズの中で動いている気配はありました。

若松橋を渡り歴史ある町並みの中を駆け抜け、賢坂辻へと出るとすぐにスタート直後に通った兼六園下です。ここから浅野川を超えてひがし茶屋街の方へと進みます。百万石和菓子スポットをスルーするのはとても残念でした。

中間点は1時間30分3秒でした。スタートロスを考えると、全く同じペースで進むだけで3時間を切れる計算になりますのでこれはいけると思いました。鳴和の辺りも縁深いエリアで、色々な思いが胸をよぎります。浅野川病院を超えて左折し、JRの下を潜ると疋田です。ここには新出製パンの研修所があることも下見ジョグで確認済みです。北陸自動車道を潜り、イオンが見える辺りで給水という流れももうお馴染みです。

左折して木越に向かう辺りでも余裕がありましたし、いけるはずだとまだ思っていました。ただ、28m辺りで時計を見ると時速13km台がちらつきましたので、これは気合を入れなくてはならないなと危機感を抱きます。浅野川を上り左折する辺りでジェルフラスコ一本目を飲み切り、腰に着けていたショッツ3本入りのジェルフラスコにスイッチします。ただ、これは粘度が強過ぎて飲みにくかったです。もう少し経口補水液を多めにした方がよいと学びました。

後半~終盤

30kmの通過は2時間8分11秒でしたので、後半いつものように上げられれば十分に間に合うタイムです。

いつもであれば城北市民運動公園でも余裕で、金沢カレーを狙うのですが、徐々に右足の違和感が確かなものになって来ました。左手だけがゼッケンに時折引っ掛かり、やはり身体の歪みがあると分かります(たしか2019年の大阪マラソンでもそうでした)。
折り返しですれ違った吉田香織さんが「諦めないで頑張ろう!」と笑顔でエールを飛ばして下さり、素敵な方だなあと思っていました。この辺りではもう一度上げようと試み、少しは戻すことができました。

それでも、何とか同じくらいの走力の人についていこうとするものの、あまり上がらないまま金沢駅に戻って来ました。応援も多くて本来一番頑張れるところです。ただ、右足のつりが顕著になってきたため、給水も上手くいかず、ただひたすら駅西50m道路を進むしかありませんでした。走っている途中、顎が上がり腰が後傾してしまっているのが分かり、何度も立て直そうとしたものの、すぐに戻ってしまいます。このままではまずいと分かっているのに、身体が反応しないのです。この5kmのラップが21分51秒で、状態の悪さがタイムに如実に顕れています。

県庁を過ぎればもう5km程しかないわけですから、どんどん上げていくべきなのですが、ここでは完全に右足の痙攣が爆発一歩手前になり、ペースを落として回復を待つしかなくなりました。これまで数えるくらいしか攣ったことはないのに、この一番大事な日に頑張れない自分の情けなさばかりが重くのしかかり、折り返しで颯爽と駆けていくランナーの姿を直視できません。6年前と同じく西松屋ではとても走っているとはいえない状態になり、時速12kmよりも遅い時間もありました。大好きな金沢でこんなことになるなんて……とそればかり考えていました。この5kmは24分27秒もかかっています。

明るい表情で走るランナーに次々と抜かれ、心も沈み切り、示野橋の手前で3時間の声を聞きます。もう全く間に合いませんでした。最後だけでも頑張って上げなくてはと思うものの、脚は少しでも違う動きをすると大きく攣るサインを発し続け、どうしようもありませんでした。何度もジョグで下見に来ては思い描いた姿とは全く異なる状態で競技場に戻ってきて、トラックを進み、茫然自失のままフィニッシュラインを越えました。2.195kmで11分18秒もかかってしまいました。いつ以来かと思うくらいの失速です。

こんな結果になるとは……。

涙も出ないくらいの状態でぼんやりと歩き、わずかな段差にも痙攣しそうになりながら、どうにか荷物を受取り着替えます。珍しく足の爪の中で出血していました。シューズの中でかなり動いてしまっていたことが分かります。
脱水もあったかもしれません。コップも大体一つしか取れず、飲む量も一口でした。終了後しばらくしてからようやくトイレに行きました。金沢マラソン史上初の雨なしで、若干暑かったかもしれません。

フォームが崩壊したため、いつもよりアウトソールにダメージがあります。

ふるまいのおにぎりとバナナを食べ、自販機で買った水を飲み少しずつ元気を取り戻し、母と少し電話で話しました。本当は明るい声で報告したかったのですがそれも叶わず、大好きな金沢マラソンでこんな結果になってしまい気落ちしていましたが、母にとってはタイムがどれくらいでも大して違いはないようで、まあこんな日もあるだろうお疲れくらいのリアクションでした。それもそうだよなと思いつつ、このままでは終われないという気持ちが心の深くで熱を持っていることも感じました。

食べることで心も和らげられます。
走られた皆様の安堵の気持ちが伝わって来ました。
表彰式も見届けます。

その後犀川沿いをゆっくりジョグしながら帰宅します。今回も犀川大橋横の谷商店さんに寄ったところ、応援が楽しいなどとお話しして下さり、またも100円へと値引きしていただき恐縮の限りです。帰宅後おいしくいただき、その後も時々寄って色々試してみるようになりました。

この街を走れるだけで十分幸せですよね。
谷商店さんにはその後もお世話になっています。

夕食も食べ、こうして金沢で過ごせる時間は貴重なものだと幸せを噛みしめながら、これから先のことを思いました。
まあ長期的にはともかく、とりあえずは翌週の富山マラソンで課題を解決する糸口を見出さなくてはなりませんので、まずはそこからということで。

ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。