ある程度のシリアスランナーなら知らぬ者はいないこの大会。この年は三連休の初日で出場し易かったのでエントリーしたのですが、全く歯が立ちませんでした。更に左ふくらはぎも悪化の一途を辿り、この後のアオタイ、加古川と悲惨な走りで2018年が終わっていきました。でも、それでも出られてよかったです。
23.7kmのライスセンターで左に折れてから、目に見えて周囲のペースが落ちます。ここから11km強、前方から吹き付ける強い那須おろしの中を上るのは誰しも不安です。怖くてペースを上げることができず、そのまま心も折れて何となくジョグで終わってしまったのは自分だけではないと思います。
ここで上げなくては惨敗と分かっていながら上げられないのです。そうこうしているうちに投げてしまう、そんな展開でした。ライスセンターを右手に見ての左折シーンは一生忘れられないと思います。大田原を走り切れるランナーには素直に憧れます(前半1時間33分台、後半なんと1時間38分台で計3時間11分台でした……。)。
運営は完璧で、トイレも整列も一切ストレスなく走りに集中できます。全てがスムーズです(撤収もスムーズで、4時間ギリギリの人やブースを回っている人は15時の最終バスに乗れたのだろうかという気がしないでもないですが……。)。
ランナーも慣れている方が多いので、給水でいきなり立ち止まって追突といったお粗末な事故も起こりませんし、譲り合いも滑らかです。防府や別大同様、やはりシリアスな大会ならではのよさを感じます。
2019年大会を最後に(コロナ関係なしに)休止を発表していますが、今後も11月23日開催を基本に検討を続けておられるとのことで、必ず再開して下さると信じています。
骨のある大会を支えて下さった大田原の皆様に感謝です。応援ありがとうございました!
続きのページでは写真も撮らずに走ったので味気ないですが、心折れて惨敗した話と人が多過ぎてハードルが高い日光観光の話などを書いています。そういう話の方が参考になるのかもしれません。
前日(新幹線乗り継ぎで長距離移動)
11月23日開催ということで前日移動のためには有休を取る必要があります。ルートは迷ったものの、ぷらっとこだまから東北新幹線にしました。何と5時間も新幹線に乗れます。
那須塩原駅に到着し、駅前の 那須ミッドシティホテルにチェックイン後、怪我の不安をかき消したいという焦りもあったのでしょう、新品のエンペラー2の感触を確めるためにも8km程ジョグをしました。ちなみに駅前以外は暗すぎて、スピードが出せる場所がほとんどありません。
平成食堂さんにて豚カツ定食をいただきました。豚が溶けるような食感で素晴らしかったです。美味しさを損なわない完全禁煙というのも大変嬉しく、満足です。
人生初のダイユーで水とパンを調達。セブンのとり天、菓子パン、柏餅を食べて気は済みました。栄養がどうというより、気持ち的に落ち着くかで食べる量が変わります。
当日
レース前
静かな上にベッドが広くて快適でしたのでよく眠れました。朝食バイキングはまずまずしっかり食べられました。相席の方が兵庫から来られているサブ3ランナーで、ヴェイパーフライや練習、トレイルのこと等色々教えていただけました。前半はキロ4で入ると仰っていたので途中で会うことはないのですが、フィニッシュ後に見つけられる程度の遅れに収めたいと考えていました(結局それどころではありませんでしたが)。
誰でもスペシャルドリンクを預けられるという親切運営ですが、容器と目印をどうするか事前に検討する時間がなかったので、多分取れずにゴミを増やしてしまうだけと判断しスペシャルは預けないことにしました。結果として、気温が低かったのでゼネラル給水のみで持ちました。気分転換にゼリーをポケットに入れ、スペシャルのタイミングで飲んだりもしました。他は塩熱サプリくらいです。
那須塩原駅からはシャトルバスで移動です。スペシャルドリンクなしであれば、8時50分発9時10分頃着でも全く困りませんでした(スペシャル預けは9時までです)。会場の体育館は立派で、受付、貴重品預かりやロッカー、トイレなど全てが洗練されています。
スタートの陸上競技場に戻って来る頃にはどうなっているのか、風はどれくらい強いのだろうかと不安に思いつつも、まあ上手くいけば自己ベストが出るのではなどと甘々な見通しを持っていました。(当時のベストは東京マラソンの3時間4分50秒台でした。)
レース
前半(心の油断を生む下り基調のコース)
スタートから最初の5km程は公園の周りをぐるりと走るのですが、意外と混むなという印象でした。まあそんなものだろうと割り切ります。グロス23分26秒はそれだけ見ると遅いですが、金沢マラソン2022では23分38秒もかかっていますし、今でも普通にたたき出してしまうタイムですね。何とかせねば。
ライスラインからは基本下りで、辛いことはありません。長閑な風景が続いたこと、応援の方がいて下さったこと、給水とゴミ箱が着実に設置されていたことしか覚えていません。左ふくらはぎに不安はあれども、この調子で行けば3時間5分くらいでいけてしまうのではないかなどと考えます。
中盤(ライスセンターの悲劇と那須おろし)
高低図を見ているとどうということはなさそうですが、確か14km過ぎの軽い(はずの)上りと、17km手前の折り返し前のわずかな(はずの)上りで、想定より疲れを感じます。この辺りから不穏な空気が漂い始めます。それでもまあ何とかなるさと直線を進み中間点を通過。1時間33分11秒ですから、いつも通りのネガティブスプリットを刻めばいい感じのタイムで終われます。いつも通りいければの話ですが。
そのまま直進すると、右手に23.7kmのJAなすの湯津上ライスセンターが見えてきました。そこをランナーが左折していくのですが、何故だか流れてきた物がカクっと方向を変えて吸い込まれていくように見えました。ここまで“後半落ちるのでは”という不安から目を背けようとしてきましたが、いよいよ自分もそこに行くしかないという事態になり、怖かったのだと思います。とにかく、あの曇り空の中に屹立するライスセンターの威容は一生忘れられないと思います。
さて、逃げることもできず左折して高架を潜ると、やんぬるかなしっかりと風が吹き下ろしてくるではありませんか。“今日だけ無風とかないかな”とか、どんだけご都合主義やねんという願望も捨ててはいませんでしたが、動かしようのない事実が立ちはだかります。
そしておそらく前半貯金を作る作戦だったのでしょう、周囲のランナーが明らかにそれまでとは異なるペースになっていると感じました。自分も大きくは落としてはいけないと言い聞かせながら何とか進みますが、やはり向かい風の中頑張ると終盤大崩れするのではないかという不安が強く、なかなか前に出る勇気が湧きません。皆様同じように感じておられたのか、牽制し合っているわけでもないのにずるずるとペースだけが落ち、どうにもできずもどかしい時間が続きます。
コース動画は何度も見てイメージはしていたのですが、実際に走ってみないと分からないことが多いです。それでも勿論、事前に動画を見ておくことは自分を助けてくれます。
後半~終盤(手加減知らずの難コースに心折れる)
何とか30kmで左折する辺りで展開が変わらないかと思っていたのですが、自分の力では太刀打ちできませんでした。20km以降のラップは、21分45秒と23分22秒。大きく落ちて精神的にも堪えます。
右から来る大きな道路と合流すると道の駅があり、ここは応援も多いので頑張れるはずなのですが、既にダメダメな走りを10km続けている上に、もう一段回上りが急になるというダメ押しぶりにもう成す術なし。どうにか3時間10分は切りたいところですが、それも微妙です。35kmでようやく長い坂が一段落し、給水もあり回復できそうなものですが、その後も少し下っては上るのがしんどくて、もう駄目だと思いました。下りはなくてもいいから上りだけは勘弁してください、と。30km以降のラップは、23分42秒と23分38秒でした。
最後はホームセンターやスーパーがある郊外の道に戻ってきて、ここくらいは頑張ろうぜというはずなのですが、左ふくらはぎもかなり痛くなっており、全身に力も入らず、情けないと思いながらもジョグペースで進むばかりでした。呼吸は苦しくなく追い込んだという感覚はないのですが、要するに故障でまともに走れなかったということだと思います。確か、もうやけくそで歩いてやろうかというくらいの気持ちでした(沿道の方にとっては、しょんぼりと歩いている姿を見るといたたまれない気持ちになると分かっていたので、動ける以上は走る責任があると考えて走り続けましたが)。何とか公園に戻ってきて、応援の方が沢山おられるなあと思いながら競技場に入り、上げられるはずもなくフィニッシュしました。2.195kmに10分58秒もかかってしまい、惨敗以外に形容しようがありません。
ピッチはトータル187spmで悪くはなかったのですが、どのようなフォームで走っていたかは思い出せません。足は身体の下に真っすぐ下ろそうとはしていました。ただ、当時はシューズの踵がどんどん削れていた頃で、腰のキレや重心の素早い乗り込みといった今意識している視点がなかったことは確かです。2022年だと、金沢マラソンが194spm、富山マラソンが193spmですから、走りは明らかに変わっています。
アフター
当日(何とか宇都宮で餃子を)
無惨な結果であろうとそれはそれとして、打ち上げの儀は執り行います。唐揚げ、けんちんうどん、甘酒をいただきました。
折角なので駅でお土産と与一くんハンドタオル、草餅(素甘)も購入しました。
栃木には滅多に来られませんし、餃子タウン宇都宮に宿泊します。行って分かったのですが、宇都宮で餃子をと考えている方は早目に移動した方がいいです。都会より大分早く閉店しますから。
危うく餃子を食べ損ねて終わりそうになったものの、駅の宇都宮餃子館さんに救われました。元気セットはスタミナ健太餃子とニンニク餃子。元気が出ました。
洗濯を終え、ファミマでブリトーとクイニーアマンを食べて帰巣します。
翌日(ハードな日光観光)
翌朝も宇都宮を見てみたいと思ったので、痛みをこらえてジョグしました。これが正しかったのかはわかりません。
後で、開店直後ならあるいはとみんみんに行ってみたが既に行列で断念しました。
宇都宮から日光まで移動したまではよかったのですが、日光駅からのバスが渋滞で全く進まないのはきつかったです。35分でバス停一つしか進まなかったので降車し、150円と30分程を無駄にしました。足の痛みと重たい荷物がかなり辛いですが、歩いて日光東照宮まで行きます。だってそうするしかありませんから。
それでもどうにか東照宮は参拝できました(中の撮影は禁止)。金沢の金箔が使われているという説明が記憶に残りました。
寒さに加えてバスが来ない、来ても満車で乗れないという展開が続き辛かったのですが、ギリギリ華厳の滝にも行けました。ここは何としても再訪したかったので、いい形で記憶を上書きできてよかったです。とても寒いのですいとんと華厳団子をいただきました。前日は雪が降ったとのことで、栃木の自然は手強いと感じます。
日光が寒過ぎたので風呂は必須だろうと幸手で降車してスーパー銭湯へ寄ります。やよい軒で夕食も取りました。
初めて乗ったラグジュアリーな夜行バス、ドリームルリエの快適さは期待以上でした。格が三つくらい違います。特にシートの前後幅が広くて膝が圧迫されることが一切なく、パーテーションとカーテンで完全に個室を演出しているのがよかったです。トータル5時間近く眠れたと思います。安全運転ありがとうございました。
最後に
「自己への挑戦状!」というキャッチコピーはあまりにも的を得ていて、私も自分の弱さを思い知らされ、這う這うの体ですごすごと帰る結果となりました。怪我もありましたし、走りとしては褒めるところがないくらいですが、それでもあの素晴らしい大会に挑んだ経験は自分にとって貴重なものになりました。大田原マラソンTシャツを着ると、そのシリアスな空気に揉まれた時間を思い出し、気合が入ります。
シリアスランナーを惹きつけてやまないこの大会が帰って来てくれることと、叩きつけられた挑戦状をあの日より強くなった自分が乗り越えられることを願っています。
大田原の皆様、応援ありがとうございました!