ちょっと長すぎる旅ランブログ

百聞は一走に如かず。きっと貴方が好きな大会が見つかります。

第71回別府大分毎日マラソン大会(2023/2/5) ようやく届いたサブスリー、誰よりも母に

2時間58分09秒、私にもできました。風もなく暑くもない、これ以上ない好条件に絶好調も重なったので、今日駄目なら一生駄目だというつもりで、ペース配分もフォームも心理状態も全て、これまでの経験と策を尽くして“42.195kmで最後の一本まで蓄えた藁を燃やし尽くせる”走りを狙いました。

別大は必ず周りに諦めずに走っているランナーさんがおられるので力を借りられます。一緒に走っていただきありがとうございました。この大会に向けて最大限の準備をされてきた背中に敬意を抱きながら走りました。日々のブログからも刺激を受け、前を走っておられるのだと勇気をいただきました。

伝統の大会で運営も完璧、とにかく快適に走れますし、ここで頑張らないとどこで頑張るというのかと毎回思う大会です。沿道の応援も沢山で、熱がこもっています。

願いを叶えられる幸せな人生を生きていることは、誰よりも母に伝えたいです。

 

ネット前半1:29:31、後半1:28:04と落ち着いてネガティブスプリットを刻めましたし、会心のレースになりました(155bpm※手首計測なので信頼性低し。194spm、ストライド1.22m、上下動5.9cm、上下動比4.6%、左右接地時間48.7:51.3)。

市民ランナーレベルのマラソンは、誰かの不幸と引き換えに自分が一時的な満足を得るも後に苦しみ続けるという、夏目漱石が繰り返し描いた空虚な重荷とは異なり、人がどうあれ自分で願ったものを目指し、時に悩みながらも希望を捨て切らずに日々を重ねられる、そういうところが好きなのだと分かった日になりました。

www.betsudai.com

三年前の自分も、今日の走りで救われました。ちゃんと道はつながっていました。

savarun.hatenablog.com

気の毒さと勝負弱さの歴史はこちらです。3時間0分台コレクターのまま終わるわけにはいきませんでした。

savarun.hatenablog.com

savarun.hatenablog.com

これで同一年度グランドスラムも達成できたのもよかったです。100kmはともかく、富士登山競走は何もかもが特殊なので難しかったです。

savarun.hatenablog.com

savarun.hatenablog.com

別府、大分の皆様、今回も最高の大会を、心に響く熱のこもった応援をありがとうございました!

続きのページには練習レース中のことなど(無駄に長い観光情報も)を詳しく書きました。興味があればご覧いただけると嬉しいです。次は二週間後の京都マラソン、自分と切っても切れない縁がある京都の地を7年ぶりに走らせていただく日です。タイムは気にせず、自由に走れればと思います。

追記ふるさと納税では鶏のほろほろ煮をいただきました。そぼろの甘みの後に唐辛子の強い辛さが続き、食欲を刺激します。

蒸した野菜とあえてもよし。

お陰様で2024年も別大で自己ベストを更新すると共に、100本目のフルマラソン完走も果たせました。私は元気です。

savarun.hatenablog.com

前日(平常心で大分へ)

7:45伊丹発ですので自宅はほぼ始発くらいの勢いです。4時くらいかなと一応時計を見たら6時過ぎで肝を冷やしましたが、どうにかなりました。あと5分気付くのが遅ければアウトでしたね。大変リラックスできていてよしと思うことにします。別府のパン屋さんを楽しみに、水だけ飲んで特に食べずに出発です。荷物は完璧に用意してあるので、着替えて何も考えずにリュックを背負うだけです。

金曜も、カーボローディングらしきことは夕食にパンを一つ足したくらいです。朝はぶりの塩麴鍋(白菜、人参、しめじ、葱)、夜は牛肉とトマト、ほうれん草、人参、卵のオイスター炒めでした。いつもなら食べ過ぎるナッツもそこまで欲さず、無難な量に止められました。寝る前にプロテインを牛乳に溶かして飲みます。奮発してアミノ酸もいっておきました。

金曜の食事。基本は一日二食です。

保安検査も20分前には通過し(ギリギリやないか)、小型機に揺られながら大分空港まで無事に到着です。例によって別府北浜までは大分市内・別府共通4枚(4200円)を一面識もない方と共同購入して2枚ずつ分け合いました。単独なら1500円、2枚なら2600円ですので、かなりお得です。大体行き先は同じですし、それらしいシューズを履いた話しかけ易そうな方に声をかければまず間違いありません。

プロペラ機も三年前と同じです。

普通に観光を開始するにはいい時間かもしれません。

別府北浜には10時前に着いたので、まずはパン屋さん巡りに入ります。が、友永パン屋さんは大行列だったので早速断念しました。見た感じ金沢で言えば森長さんのようなラインナップで(そういえば大正創業も同じ)、並び具合はひらみぱんを上回る感じでした。

これは無理です。

ならばと少し歩いて福禄パン屋さんへ。かなり種類が多くて迷いましたが、お店の方がご丁寧に説明して下さったものの中から定番のくるみカマンベールいちじくクリームチーズを選択。どちらも結構チーズの量があり、気前のよさに感謝しながらおいしくいただきました。

地元に欠かせない親切なベーカリーです。

人が増える前に定食をと、11時前にはだるま食堂さんへ。戸が閉まっており休みかと思いつつ中を伺うと、奥からおばあちゃんが出てきて対応して下さりました。わざわざストーブまでつけていただいて恐縮です。“昔ながらの食堂”という評判通り、とても味のあるお店で、とことん懐かしいです。魚フライ定食が550円は安過ぎるので、カツ定食800円を注文しました。わざわざ私一人のために作っていただくのも悪い気すらしましたが、カツを揚げる音が聞こえて少しすると、しっかりした定食が目の前に。カツは揚げたてでおいしく、味噌汁もだしと野菜がよかったです。品数も多くて大満足、笑顔でお礼を言えてよかったです。

こういう食堂は大切にしましょう。大好きです。

受付会場までの道の途中にもIL bakeryさんがあり、入ってみたところなかなかおいしそうだったので焼きカレーパンを購入しました。期待通りこくのあるカレーと生地がぴったりです。ミニ食パンもおいしそうでしたが、先のことを考えて我慢しました。

こちらもたまらぬ品揃えでした

いつもバス待ちの合間に外から眺めるだけだった別府公園を通り、ビーコンプラザには11:30前には着きました。

油屋熊八翁の偉業を学びます。

前々から気になっていたグローバルタワー展望台に行くチャンスです。裏に回って300円を支払い、地上100mの4階へ。ボタンを押していなくても止まる3階の罠にはまりつつ(後続も次々降りていましたし)、360°の眺望に魅了されます。明日走るコースを、高崎山の方から亀川の方までをべったり見てイメージを高めると共に、目を閉じて神戸マラソンのことを思い出しながら、あの時以上の走りはできるはずと言い聞かせます。

あまり早く着いても暇なのは確かです。

この景色を見ておいたのもよかったです。

12:30にはコンベンションセンターに戻り、13:00から受付です。今年はランナーの広場に飲食ブースはなく、つきたての餅がないことを嘆く声があちこちから聞こえてきましたが、どうしようもありません。食べ過ぎずに済んだことを幸運と捉えます。受付自体はあっさり終わり、急いで来る必要は一切なかったなと思います。限定グッズはお土産のクッキーを買ったくらいで、Tシャツが増え過ぎることも防げました。

やや寂しいですが何よりも開催に感謝です。

そして今や珍しいミズノのブースでウェーブリベリオンプロの試着ができたのでこれ幸いと着用してごくわずかですが、歩きとスロージョグで感触を試しました。非常に柔らかくてぐらつく印象で、使いこなすには一定の練習が必要そうです。速く走るとまた違うのかもしれませんが。またあと数年はナイキとアシックスでいくことになりそうです。ミズノは買い足すことがないので、今持っている薄底勢が閾値走やジョグに使えなくなったら……。

自分には履きこなせそうもありませんでした。

別府駅まではシャトルバスですぐ、大分駅より全然楽です。駅のスーパーでみどり牛乳を買い、ホテルシーウェーブさんへ。少し早く着いてしまいましたが、ご親切に対応していただき感謝です。

温泉が充実している良きお宿です。夜もよく眠れました。

別府駅前では油屋熊八翁が襲い掛かってきます。

夕方に別府市場でオニパンカフェさんの完売を確認してから駅のリトルマーメイドさんクリームコッペパンと翌朝用にくるみ塩パンを買います。富士登山競走前日も静岡駅のリトルマーメイドに寄ったことの験担ぎもありますし、金沢のニュー三久にあるお店もよく行きましたので。トキハの地下で地元の名店を見ているとパン屋さんで4割引のコーナーがあった(7時閉店なので見切りも早いです)のでレアチーズデニッシュを買い求め、夕食後のデザートにしました。他には、書店を応援するべくリブロで文庫を二冊買いました。

高松にもありましたし、主要都市では結構会えますね。

右の一冊はかなり機智に富んでいて面白いです。

夕食は迷ったものの外見から良さそうだったので駅の豊後食堂さんへ。とり天と団子汁も魅力的で注文の瞬間まで迷いましたが、名物は終わった後のご褒美として明日に回すことにして、チキン南蛮定食を選びました。安定感のあるおいしさで満足です。

前日はおとなしめの手堅い食事がよさそうです。

部屋でデザートも食べて締めます。

20時過ぎにホテルの温泉へ。長湯は疲労につながるので程々に。体重は68.0kgまで増えていたので、一晩眠れば67.0kgくらいでしょう。丁度いい具合に糖質を溜め込むことができました。

21時のチャイムが滝廉太郎荒城の月というのが大分ならではと思いつつ、アミノ酸を飲んで就寝です。寝る前には三年前の別大の時に買った室伏広治さんの『ゾーンの入り方』を読み、失敗してもむしろ大きく頷いてまた頑張ればよいのだと勇気が湧きます。また、最近読んだスポンヴィルの『哲学はこんなふうに』(河出文庫)に「哲学は暇つぶしのたねでも、かっこよく見せるためのいとなみでも、さまざまな概念で遊ぶための道具でもない。おのれの生命と魂とを救うためにこそ、哲学するのだ」とあったことに、“これは走ることと言い換えても当てはまるのでは”とハッとしました。そのことも、ここ数日考えていました。

最後の一本まで蓄えた藁を燃やし尽くすのです。

【練習や体調】
瀬戸内海タートルフルマラソン全国大会からのメニューは、次の通りでした。

月曜:観光スロージョグ(ナイキフリー)、火曜:オフ、水曜:有酸素ジョグ62分(13km弱,139bpm,195spm,エボライド)、木曜:有酸素ジョグ40分(ビルドアップ気味、8.5km,146bpm,199spm,デュエル)、金曜:有酸素ジョグ69分(14.2km,139bpm,197spm,ズームフライ3)、土曜:有酸素ジョグ2時間11分(27km,142bpm,195spm,エボライド)、日曜:2分オン1分オフ×15(500m目安、最後550m ,152bpm,205spm,ヴェイパーNEXT%2, 27.5cm)、

月曜:スロージョグ38分(5km強,102bpm,186spm,ザンテP)、火曜:健康診断でオフ、水曜:有酸素ジョグ61分(12.4km,137bpm,200spm,デュエル)、木曜:擬似本番スタート走1km×3(4分4秒、3分48秒、3分28秒(兼アップテンポ走),ヴェイパーNEXT%2, 27.5cm)、金曜:スロージョグ45分(6.3km,105bpm,187spm,エンペラー3)

神戸マラソン以降を振り返ってみると、一度もダニエルズのいうMペースの練習も、30km走もしなかったことが特徴的かもしれません。とにかく2時間を超える有酸素ジョグ(キロ5程度。140bpm付近。基本無補給)を大幅に増やし、平日も14kmの有酸素ジョグを導入、レースがなければ週一くらいで閾値走5km、全力を出さないハーフが一本、フルが三本でした。結局日々のジョグがものを言うというのは、受験のため基本問題を完璧になるまで繰り返し解くことや司法試験のため条文を必ず確認することと同じで、基本が一番の近道ということなのでしょう。

ガーミンさんも褒めて伸ばすスタイルに転向してから甘い評価が続き、いつしかVO2Max63、予想タイム2時間50分52秒という無茶苦茶な要求をしてきました。この通り走れるわけがないにしても、自分無理やでと言われるよりは励みになるので、その限りではよしとしました。

当日ドンピシャでピークになったのも初めてでした。

特に素晴らしいのはどこも痛くないということでした。普通どこかしら痛みや不安があるものですが、今回は皆無でした。体重も起床時65.8kgで、三年前の同日より2kg以上軽いです(前日比では0.5kg+のみ)。三年前は何をやっていたのか。

精神的にもかなり落ち着いていました。木曜の夜に三年前の記事を見て気持ちが昂り、夜は珍しく何度もマラソンの夢を見ました。どれも、サブ3を達成した後に解放された気分で“夢ではないよな”と確かめようとするもので、目が覚めて“夢やったんかい”と思うことが数回ありました。ランナーズには「寝ても覚めてもサブスリー」という恐ろしい響きのコーナー(夜くらい静かに寝かせてよと思います)がありましたが、これのことかと少し苦笑したりもしました。

当日

レース前(体調よし。力を温存)

準備はとても上手くいきました。7時過ぎまで起きずに9時間以上横になっていることに成功しました。空調は使わなくても十分眠れる室温でしたし、暑いと目が覚めるのも経験済みです。

スタートが12時、朝食は7時30分頃と間が空くので迷うところですが、クルミ塩パン、卵、チーズと牛乳だけにしておき、必要に応じて適宜少しだけ足すことにしました。

簡素な食事ですが前日のドカ食いで大丈夫です。

出発する前にホテルでお腹の調子が良いことも確認でき更に安心します。やはり前日はナッツをやめて野菜も控えめ、パンと米を沢山で正解らしいです。

更衣室には椅子がないので、ホテルでテーピングを済ませ、ワセリンも足指に塗り込んでソックスも履いて出発しました。バスは更衣室の混雑緩和の為に指定されており、8時40分とやや早かったのですが、着いてからはとにかく休んでいればよいので構いません。

ヴェイパーさんに全てを賭けます。

コースを眺めつつ、別府からうみたまごの近さを認識します。

美しい空と海、これから走る道を眺めます。

テントでも目を瞑る時間を長く取りました。少し固形物を食べたくなったので2時間前にプロテインバーを食べ、50分前にはアミノ酸を摂取します。アミノバイタル赤は要らないかと思いましたが、スタート3分前に飲んで途中のゴミ箱で捨てる選択をしました。持ち物はジェルフラスコ2つ、経口補水液アミノ酸を溶かしたものと、コーダのカフェイン入りジェルを溶かしたものです。

それにしても別大は本当に選手のことを考えてくれていて更衣テントも広いですし、外もスペースがあるため動的ストレッチも一通りきちんとこなせましたし、更にトイレもほとんど待たずにスムーズに行けるというのは改めて感銘を受けるものでした。ここまでやっていただいているからには走りできっちりお応えしたいところです。

スタート前はプレラインナップから歩き、スタートラインまで少々距離があるものの三年前の陸連登録なしより遥かに近いですし周囲も速いので、この時点で大幅なアドバンテージを感じました。号砲を待つ時間は、練習の効果で2時間を超えても疲れなくなったこと、三年前と比べて格段に強くなっていること、神戸マラソンと比較しても走力が大きく上回っていることを考え、自信を持っていこうと決意しました。

レース

序盤~前半

序盤から大きくは流れに乗ればサブスリーペースだろうと考え、最初3kmくらいでキロ4:12まで徐々に上がったのでその先は7kmごとで十分と判断しました。7kmで29:45程なのでこれでぴったりくらいです。15秒ずつ6回積み重ねれば、スタートのロス30数秒と195m分のタイムは十分埋められます。

心拍数は手首計測なのであてにせず、体感で絶対にキツくならないペースを維持し、それが今の速さとマッチしているようだったので、それ以上にやることはありません。練習もそうなのですが、目標タイムにペースを合わせるのではなく、体感にペースが合うかが問題だと思っています。ダニエルズのVDOTも、“これくらいで練習できているのでレースもこれくらいの結果が出てもおかしくない”という見方をしています。

10kmの亀川の折り返しはお馴染みで、少し上り下りがありますが、上りはピッチを意識的に上げて怯まずに上ります。折り返してから弱めの向かい風になりましたが、これくらいなら神戸より遥かに弱いですし、35kmで折り返してからの終盤が楽になるのでラッキーと考えていました。

確か14kmで59:35くらいだったと思います。7kmの進みとしては少し遅くなったものの、入りとしては十分なので焦りはしませんでした。

中盤

気付けばもう別府に戻ってきていて、順調だと感じました。少し行けば海沿いに出て、案外うみたまごが近いと分かっていたので落ち着いています。給水に加えて、7km毎にジェルフラスコのアミノ酸を摂るようにしました。アクセントになりましたし、30分に一度というのも感覚的によさそうです。

中間点に向かう辺りから、徐々に周囲は無理が祟っている人が増えてきた印象でした。ピッチを高く保つことと、バンクの傾斜が急にならないようなコースを取ることには気をつけました。段々前に出る場面も多くなり、実際スピードも出ていたようです。

21kmでネット1:29:09ぐらいでしたので、その前から29:34くらいでは走れていると自信になりました。やはり7kmの距離感を身体に覚えさせたのは大きいです。細かいラップは気にもならず、“7kmごとに答え合わせをする”ことを楽しんでいました。“お、思ったより15秒くらい得しているぞ”といった感じです。

中間点がグロス1:30:05ですので、これはネットだけではなくグロスも手が届きそうだと思いました。新品ヴェイパー27.5cmも、ずれたり窮屈な感じもなく、おニューの反発の恩恵もひしひしと感じます。足裏の感覚としては、少しだけ指先寄りに力がかかる感触があり、これはいぶすきでズームフライ4で上げた時に掴んだものですが、ヴェイパーはより角度がえぐれていて、このおいしい所に当たり易くなっていると思います。

中間点を過ぎて少し行くと大分方面へ下っていき、もうここまで来たのかという気がしました。初参加の時は随分遠く感じたものだと少し当時が頭をよぎります。ここまで来ればもうしばらくで28kmが近づいて来るので、大分川の手前だがどこかなと探していると、何と曲がりながらでした。ここでネット1:58:30くらいだったか、あまり覚えてはいないのですが、更に貯金ができていてしかもこのペースを維持するだけなら可能だと感じていました。

多分ここを通っていると思います。

こうして見るとこの直線はすぐ終わりますね。

ここで曲がりながらの28kmです。
後半~終盤

大分川を渡る時は上りでピッチを上げて力みを減らすことができました。橋の上は少し風が強かったものの、それよりも三年前にはここで腹筋が疲労していてその後減速した経験と比較して圧倒的に楽で余力があることで強気になれました。30km手前でトップがゴールしたことを花火で知り、“やはり気象条件がいいから好タイムが出たのだ、自分もできる!”と更に元気が湧いてきます。

後はキープだけでもいけると思いつつガーミンを見ると4分一桁が表示されていましたので、これは崩れなければいけるとの考えを強めました。世間的には30kmの壁という言葉もありますが、その不安もありませんでした。だって実際楽で加速すらしているのですから。

わずかに行けばもう大分川です。

32km辺りからはジェルフラスコも二つ目の、カフェイン入りジェルを溶かしたものを飲みます。もう30分にはこだわりません。その先の道も、三年前に挫けた翌日、悔しさの中でジョグした光景なので当時を想起しました。今日こそはいけると言い聞かせながら。東京事変の『閃光少女』の中に、“今日現在(いま)を最高値で通過していこうよ 明日まで電池を残す考えなんてないの”“今日現在(いま)がどんな昨日よりも好調よ 明日からそうは思えなくなったっていいの”という言葉があり、今日のテーマは正にこれでした。

もうしばらく直進すれば折り返しです。

35kmの折り返しは、二つ細かなアップダウンがあることもあって少し遠く感じるものの、ここでも4:15/kmに落ちることはなかったので、追い風を心待にターンしました。35kmでネットで32分10秒程の残り時間があり、7km30分を保ちさえすれば、195mに1分かかったとしても、グロス35秒くらいを足しても間に合う、今の余力と追い風を考えれば大崩れしない限りはいけると確信しました

その後もガーミンのラップが4分一桁を見る度に自信を深めて歓喜の時が近づいて来るのを待ち、こちらからも近づいて行く時間でした。苦しさに顔を歪めるでもなく、常に余力を感じ、“ああ、そういえばベストが出てしまう時はこんな感覚だったな”と忘れていたものを思い出します。

右折して大通りに出て高架を潜れば40km、後はもうただ進むのみです。

40kmで11分近い余裕があり、もう間違いないと、脚がつったり接触して転倒したりしないように気をつけながら進み、給水も最後まで顔にかかるミスもなく取り続け、待望の大分川手前の右折です。三年前はこの先が長く、なかなか競技場が見えないと苦しみましたが、もう今日は笑顔です。沿道からの「サブスリー!」という声にも、“そうなんです。もう間違いありません。ありがとうございます。”と思いながら、残り4分程を噛みしめる時間でした。

右折時の足元は要注意です。緑のフェンスの先が歓喜の競技場です。

もうあと少し、この時間も終わりです。

競技場に入る時に時計を見ると2時間56分台でしたので満足感に浸りながらバックストレートに入り、順位を上げられそうだったのでヴェイパーと一体となっている足裏に反発をしっかりと感じつつ、全身で喜びながらスパートしました。最後の最後まで苦しくならず、ああやっとここを乗り越えることができたと思いながらフィニッシュラインを過ぎ、時計を止めてから力が抜け、少し涙が出ました。

アフター

レース後

これ程充実感と満足感に身体中が充たされることも生涯でそうないだろうなと頭のどこかで落ち着いて考えつつ、それと同時にこの何年間のことを思いやはり押さえきれない感情も打ち寄せました。笑顔でタオルとドリンクを受け取り、競技場を見渡しながら、かつ最後まで走っているランナーの姿にささやかなエールを送りながら、余韻を惜しむように歩きます。

大量の水分と共にすぐにアミノ酸を摂取し、荷物受け取り後にプロテインプロテインバーも補給します。前日買ったカカオの恵みもバクバク食べました。脚は全く異常なく、痙攣する気配もないので着替えもスムーズでした。

今日身体を守ってくれたギアに感謝です。

ヴェイパーさんも本当にありがとう。流石です。

友人がわざわざ速報をチェックしてくれていて、連絡をくれたのが嬉しかったです。競技場で数枚記念の写真を撮り、今日という日を生涯忘れることはないのだろうと思いました。

ついさっき走らせていただいたとは信じられない気がしました。

なお、ふぐ雑炊などあろうはずもないのですが、念のため競技場の外周もうろうろしてみました。また復活する日を心待ちにしています。

まあそりゃそうですよね。

まずはホテルトレンド大分さんにチェックインして荷物を整理し、夕食とお風呂を求めて旅立ちます。三年前に行った大納言さんもネットでよさげだった別のお店もお休みだったので、あまり深く考えずにカツトミさんに入ったところ、ヒレカツ・ジャンボ定食がデカ盛り系で最高でした。もう大迫力で。おばちゃんも注文時に心配して下さりましたが、私は沢山食べることがとても得意なので、流れるように平らげました。ビールも久しぶりに飲み、お祝いです。心からおいしく感じる夕食でした。

確かにでかいです。最高!!

お風呂は府内温泉さんへ。流石は大分、街のど真ん中で温泉が楽しめます。水風呂もあるので交代浴も存分にエンジョイします。駅でガンジー牧場ソフトクリームをおいしくいただき、スーパーで乳製品を調達して宿に戻り、洗濯と振り返りを済ませて就寝です。

イルミネーションがきれいな大分の街です。

もう好きなように過ごします。

翌日

どう考えても神経が昂っていたようで寝つきも悪く、少し眠れたかと思えば目覚めての繰り返しでした。レース中の映像は目に浮かびますし、これからまだ強くなれそうだと思うと胸も高鳴りますし、これからどの大会に出ようかと想像するとワクワクします。普段以上に高速で様々な感情が去来したので、眠れるはずなどありませんでした。

とはいえとにかく6時には起きます。昨日の思い出を辿りつつ、コースの一部をスロージョグ。三年前にここを走っておいたことが昨日の後半の距離感につながりました。気付けば丁度10kmでキリよく終了です。途中にあった滝廉太郎終焉の地とはさながら武将のような扱いです。

大名や武士以外では初めてかもしれません。

コースの写真は上の方に載せました。

ホテルでは朝食まで付いていたのでここぞとばかりにほぼ全てのおかずをいただき栄養補給に勤しみます。この皿数はリーズナブルにも程があり、感謝です。

折角用意していただいたのですから。

荷物をまとめてまずは大分県立美術館へ。毎回気になっていましたがようやく来れました。オープンスペースは無料かつ撮影可能で輪廻転生を表現するバルーンが存在感を放ちます。三階の展示はデザインを特集したもので、恩地孝四郎室生犀星の本の装丁を手掛けたり竹久夢二との交流があったことに金沢との縁を感じます。撮影不可な分、静かな部屋の中でしっかり見ようと思えてよかったです。

芸術はそこにしかないものですので。

室生犀星といえば金魚ですね。蜜のあわれは想像の遥か別次元をいきます。

さっきあれだけ食べたばかりですが、混雑前にと11時過ぎには大納言さんへ。三年前食べたとり天が恋しくて。衣のサクサク具合が丁度よく、お肉もしっとり、これならどんどん食べられると再認識しました。繁盛しているのも納得です。

だんご汁もここで食べておくべきでした。

12:15大分駅発で別府まで移動する途中、うみたまごを見て昨日のことだと思い出します。何だか随分前のことのように感じました。

あそこからスタートしたとは。

未踏の別府ロープウェイを目指したのですが、バスが出たばかりでしたので残念ながら諦めました。ならば六年前にも行った地獄巡りしかありません。バスはICOCAが使えて大変便利でした。海地獄で降車し、共通入場券を手に入口の空いていた鬼石坊主地獄から順に下りながら回って行きました。バスを降りた時点で硫黄の香りが漂っていますが、グツグツと沸き上がる灰色の坊主を見たり、真っ青な海地獄から立ち上る湯気を浴びたりしているうちにすっかり私自身も硫黄の衣を身にまとい、鼻も利かなくなってきました。久々に来て、やはり地獄巡りは迫力があるなと、自然の神秘を感じました。

どこへ行ってもただ事ではありません。

あと、前回も必ず言ったと思うのですが、鬼山地獄だけは温泉関係なしに極めて怖くて生き地獄そのものだろうと思います。ワニ危なすぎでしょう。

怖さ以外に何があろうというのか。

山地獄は共通券の対象外で500円が別途必要ですが、癒しの時間はここだけですので是非入っておきたいところです。山羊やカピバラ、ウサギが近くで見れますし、フラミンゴは止まっていても不思議な姿が面白いです。

えさやりを期待して、手ぶらでもウサギの方から来てくれます。

温泉の熱を利用しての熱帯魚の飼育もあり(ここでもピラニアに地獄を感じます)ますし、龍巻地獄の間欠泉も丁度見られてバリエーション豊かです。血の池地獄でゆで卵を食して別府行きのバスに乗りました。金沢だと何でもかんでも「百万石」ですが、別府だと何でもかんでも「地獄」が付くのが面白いです。

つつじ園順路は行っても(この時期は)行き止まりですね。

このシチュエーションでゆで卵を食べられるチャンスもそうないでしょう。

今回はあまりに観光予定を立てておらず、行き当たりばったりにも程があるのですが、結局だんご汁もりゅうきゅうもやせうまも地獄プリンも食べられずでした。全体に食べ過ぎて食欲が満たされていたせいかもしれません。とにかく最後に何か別府らしいことをと三年前と同じく別府タワーに上りました(800円もしたかいなとか思いつつ……。)。今回は走りで望んだ結果を残せたことで、亀川方面も別府方面も、前回とは違った気持ちで眺めることができました。ここを通った時は、失敗を疑わず、きっといけると思いながら走っていたなと、その時間はかけがえのないものだったなと。

この時間を与えて下さりありがとうございます。

空港まで移動し、最後に湯布院ミルヒの美味しいチーズケーキを食べて遠征を締めくくりました。別府・大分は、がっつり観光のみを目的に来たい場所でもあります。来年はおそらく他の大会に出るかと思いますが、次に来る時はきっと。

最後まで楽しみつつ。

ありがとう大分。また会う日まで。

最後に

長年サブスリー目前で足踏みを繰り返し、このまま終わってしまうのかという不安も抱えていましたが、練習を見直した結果地力が付き、別大の好環境に助けられてようやく念願を果たすことができました。やってきたことは間違いではなかったという自信、希望が現実になる瞬間をはっきりと思い描いて走っている時の高揚感、願いを叶えたことによる満足感、それらの記憶は自分が最期の時にも、確かに生きてきた時間を肯定してくれると思います。それは自分だけにしか意味のないことですが、自分にはそれ以上のものもないでしょう。

この記憶を与えてくれた皆様に、そして誰よりも母に、感謝しています。