ちょっと長すぎる旅ランブログ

百聞は一走に如かず。きっと貴方が好きな大会が見つかります。

京都マラソン2023(2023/2/19) こんなに“終わってほしくない”大会はない!それでも人は「京から明日へ」

7年ぶりの京都マラソン、こんなに“終わってほしくない”大会は他にないなと思いながら走らせていただきました。どこに行っても、学生時代にここで迷ったり挫けたり親切にも助けていただいたりした、沢山の記憶が染み込んでいます。端から端まで堪能させていただき、感無量です。

kyoto-marathon.com

京都について今回一番強く思い知ったのは、地元の方からお坊さんから学生さんまで迎えて下さる応援の多さで、歴史の街であると共に様々な人が集まり入れ替わる京都の持つエネルギーの大きさは特別だと思いました。ボランティアスタッフの皆様も明るく熱心で、ランナーもにこやかに声を掛け合いながらゴミを託したりできて、これはものすごいことだと断言できます。京都人は冷たいみたいなことを(テレビなんかの適当な発言をネタ的に受けて)言いつつ距離を置くのはあまりに惜しいです。是非住むか、せめて走るかしていただくことをお勧めしたいです

コースはもう、説明するのが野暮なくらい、京都に住んだことのある人にはお馴染みの場所ばかりで、これだけ巡らせていただけるなんて奇跡かと思うくらいです。

実は運営の完成度や気配りの水準も極めて高く、エイドのドリンクが絶妙に飲み易い量だったり、コップがつぶし易い柔らかさだったり、歩行者横断の誘導が完璧だったり、距離だけでなく注意を呼び掛ける表示やアナウンスも分かり易かったりと、随所にランナーを唸らせるものがあります。おそらく、同じように感じたベテランランナーさんも沢山おられることでしょう。

体調は主観と客観のズレがあったので無理せず、主要な給食は確実に狙うスタイルを選択しました。チョコソフトぱりんこミニトマト姫千寿せんべいもおいしく楽しくいただきました。最後だけ真面目に走ろうとしたところあの偉大なる福士加代子さんがおられ、記念撮影していただき、感謝です。(3時間6分台,163bpm,192spm,歩幅1.19m,上下動比5.1%,上下動6.3cm,左右接地時間バランス47.5:52.5)

今回は、7年前にしっかり記憶できなかった景色もこの身に刻み込もうとか、この場にいられるのもあと30分かと考えながら走っていました。でも実際は、過去だけでなく、現在や未来とのつながりも感じられたのが今までとは大きく違う一日でした。15年前や7年前より体力や精神面で強くなったということよりも、今日にいたるまでに重ねた時間や自分の周りの変化といったことが一番の変化であり、幸せだと気付きました。また京都に来る時には、自分の中に新たな何かがありますように。それでこそ、「京から明日へ」ということなのでしょう。

過去の自分が今日の自分の走りを見たとしたら、どう思うだろうか、走り始めてくれるだろうかとも想像してみたのですが、彼はひねくれているので、そもそも見ないで家に閉じこもっているか、見たとしてもあまり何も感じないだろうなと思いました。でも、結局そのうち走り始めることになるのも間違いないと思います。村上春樹さんも書いているように、ランナーは勝手にランナーになるのですから。

ここで好記録を出したらもう走るのをやめてしまうかもとすら思うくらい、色々なことが浮かんでは全身に沁み込んでいく大会です。過去の自分をどこまで許せるかはこれからの生き方次第ですが、京都のことはやっぱり好きですね。開催にご協力いただいた京都の皆様、本当にありがとうございました!

続きのページはやっぱり個人的かつ長文ですが、コースや応援の様子もかなり詳しく書いていますので、分かる人には分かるはずです。写真だけでもご覧いただけると嬉しいです。

7年前も恥ずかしいくらい色々感じました。

savarun.hatenablog.com

前日(久しぶりの京都、受付からの散策)

金曜日まで食事は変えず、主食はなしです。金朝は少し高価な鯖缶、夜はアボカドサーモンサラダに豚バラ塩麴鍋でした。野菜を一日300g程度に抑えるとお腹も程よく、他の物を食べ過ぎない効果もあるようです。消化しにくいナッツの量も徐々に減らし、前日はなしです。

今までは野菜を食べ過ぎていたかもしれません。

朝食は山本ゆりさんsyunkon7より牛肉と玉葱のカラメルガーリック炒め、レモンも入ってなかなかの美味しさです。

最近豚肉が値上がりし、牛肉が相対的にお安くありませんこと?

思えば京阪で京都に向かうのは二年ぶりくらいでした。やけに懐かく感じるのも当然です。早速待ち合わせのメッカで足止めをくらってしまい、いつまで経っても受付に辿り着けません。

むしろ待たせることになるという。

京都の街を実際に歩くと、色々なことを思い出します。自転車撤去とか、思い出いっぱいです。京都に住んでいて自転車を撤去されたことの無い人はいないのではないかというくらいどこに行っても取締強化区域なのですが、これも住んでいたからこその共通の思い出で、今となってはよきものです(そんなわけない。取りに行く時間と保管料は悔やんでも帰ってけえへんやろ)。

マクドも昔からありますね。

受付会場のみやこめっせはこんなこともない限り来ないので実に7年ぶりでしたが、当時もこうしてワクワクしながらゼッケンを受取り、エスカレーターに乗ったなと思い出します。お昼前の混みそうな時間だった割に、拍子抜けするくらいスムーズでした。無理して金曜の夜に来なくて正解です。大阪マラソンは大行列なので、前々日に行きたいところです。

極めてスムーズでした。

恒例の体組成測定はなく、アシックスさんの控えめな出展に気付くこともなく通り過ぎてしまい、鴨川の流れのように絶えず進んで終わってしまいましたが、神戸マラソンのチラシを配っていた方と昨年の話ができたのはよかったです。今年こそは何とか結果を出したい大会でもあります。

京都といえば、なブースです。

午後まで待てばイベントが。

給食も入念な予習が欠かせません。

このマップも土地勘があると一段と楽しめます。

過去大会の歴史も。

今大会のメダルも。

地下では京都フード&クラフトマーケットがあったため、少しだけ立ち寄り、和傘や貝合わせなども面白く魅させていただきました。

もっとじっくり見たい場所です。

折角ですので明日のラストスパートのイメージを膨らませるべく、フィニッシュ地点から逆に歩いてみました。歩いてみると案外近く感じます。7年前はもう楽しくて楽しくて、ここでは持っている力が全て出せたように感じました。普通に京都に住んでいて、東大路をこんな風に思い切り走れることなどありませんので、その非日常の恵まれに恵まれた時間を喜びながら走ったのでしょう。これは住んだことのある方ならわかるのではないでしょうか。

くぐれない大鳥居と設営中のゲートです。

最後は本当に短いです。

ここはタテカンがまだあるんや、そして知らない姿の建物が。

最後、飛ぶように走りたいです。

百万遍ではまさかの金沢カレーチャンカレ)の出現に驚き、100均ローソンの2月末での閉店も知りました。かなり長いことあそこにあったと思うのですが。

変わりゆく百万遍よ。

そのまま高野まで北上し、キッチンとまと畑さんや焼き肉やる気さんを懐かしみ、長年お世話になった下宿の前で目を閉じてからイズミヤにも行きました。食料品売場のレイアウトから何もかもが懐かしくてクラクラしました。そしてホリデイ・インとのアウフヘーベン(全然違うやろ。ただの合体や)で巨大化したカナート洛北に戦くなどして、時の経過を感じると共に、まだ住んでいる気分にすっと戻れるようにも感じました。京都には不思議な空気があります。

食べ物の思い出は永遠です。

どこまでも個人的な一枚です。

どこまでもローカルな情報です。

パン活は、カナートの側にできたツクネさんショコラアプリコットのクロワッサンザマンドからスタート。ジャムたっぷりで激うまでした。このお店の人気商品とのことです。

ここはまた来たいお店ですね。

パンドラディさんはお昼の仕込み時間中、柳月堂さんはお休み中で味わえず。こんなこともあります。

また来ますとも。

おなじみエズ・ブルーさんでは、すごくしっとりのレーズンブレッド全粒粉のオレンジピールチーズがいずれもうまし。アルチザナルさんは、クロワッサンもよかったのですが、季節限定のクルミとさつまいものデニッシュが香ばしさと甘さのハーモニーが特に美味で満足でした。

京都はパン屋激戦区です。

なんとお洒落な……。

ここまで来たからには行列に並んででも著名な餅を手に入れるしかありません。コースと大文字を望みつつ味覚嗅覚視覚だけでなく口の筋肉も総動員で味わい、明日の準備は完了です。やるべきことはやったという自信(食べただけやろ)を胸に、春の桜が美しい高野川を前に少し思い出に浸ってから帰りました。

ものすごく並ぶのですが、終盤の回転の速さもすごいです。

この川沿いの桜が好きです。

家では明日の装備を整えます。荷物も少なくていいですし、食事の量も調整し易いので、やはり近隣の大会は何かと楽だなと改めて感じます。

最近これに落ち着きつつあります。

夕食は学生時代から一番作っている水炊。単に野菜と肉を煮てポン酢をかけるのみで、十分おいしいです。狭い京都の下宿で、イズミヤで買った食材でひたすら食べたものです。

土井善晴先生の一汁一菜は真理です。

【ちょっと真面目な内容】

別大後の練習は、
月曜スロージョグ73分(10km,98bpm,ナイキフリー)、火曜オフ、水曜スロージョグ60分(103bpm,エンペラー3,大阪城公園の梅観賞)、木曜有酸素ジョグ70分(14.5km,145bpm,197spm,デュエル)、金曜有酸素ジョグ61分(12.2km,148bpm,192spm,ハイパースピード)、土曜朝有酸素ジョグ2時間(23.9km,140bpm,191spm,エボライド2)、午後スロージョグ56分8.2km,103bpm,186spm,ザンテP)、日曜2分オン1分オフ15本70分(4:14/km~4:00/kmくらい、最後のみ3:37/km,132→168bpm,200spm強,ズームフライ3、犀川)、
月曜スロージョグ70分(8.1km,100bpm,183spm,エボライドグレー)、火曜有酸素ジョグ62分(12.6km,138bpm,192spm,エンペラージャパン3)、水曜有酸素ジョグ59分(12.3km,142bpm,195spm,エボライド黒)、木曜擬似本番スタート走1000×3(4:18,3:49,3:36,ズームフライ4胡麻豆腐)、金曜スロージョグ60分(7.9km,96bpm,180spm,ザンテP,大阪城公園の梅観賞)、土曜オフ、でした。

土朝の体重は65.3kg。別大直後は増えましたが、またガっと減ってこれくらいで安定していました。

調子が上がらなかった理由の候補は幾つかあり、①単純に別大の(自覚しない)疲れがあった、②前日歩き過ぎた、③前日までの食事のどこかにぬかりがあった、④前半の上りで心拍数が上がり戻せなかった、それらのいずれか又は複数が影響しているように思います。次週の大阪マラソンはどうなることでしょう。

レース当日

レース前(しっかりとした雨と素晴らしきトイレ事情)

9:50消灯5:20起床、まずまず眠れました。体重は66.0kg、うむ、前日あれだけ食べたのに軽いです。朝食は最近の流行りで軽めにしました。9時スタートですのでこんなものでいけるはずです。

他にチョコレートを少し食べました。

家で着替え、ワセリン、テーピング、ソックスもきっちり済ませて出発です。大阪はまだ雨が降っておらず、これは神戸マラソンの朝より旗色がよいぞと思ったりもします。
淡路乗り換えで7:07の準特急最後尾車両に乗ったのですが、奇跡的に座れました。更に桂で乗り換えを覚悟していたところ、特別に西京極にも停車して下さるとのことで歓喜しつつ眠り、省エネモードに入ります。

西京極では後ろの方の臨時改札から軽く出られてよかったのですが、雨は本気で降ってきてしまい、どうしたものかなと思いました。自分一人ならよいのですが(寒さと雨に強いので)、今日は職場の後輩のデビュー戦でもありますので、辛かろうなと心配していました。

京都に着いてみると本降りです。

その後、わかさスタジアム前で後輩と会えたのですが、しっかり荷物預けも済ませていて初めてとは思えない手際のよさに驚きました。むしろ私がもたもたして、荷物預けもギリギリになってしまいました(何やってんねん)。

荷物預けは1番のトラックだったのですが、何も混んでいる所を通らず、もう少し頭を使えば楽に辿り着けただろうなとその時から察知しましたが仕方ありません。途中やむなく泥エリアを通ることになりましたが、まあ間に合ったのでよしとします。

今日は走行距離269㎞のヴェイパー白(28.0cm)にしました。天気関係なしに、金沢で買ったシューズで京都を走りたかったという個人的な事情です。

今日はよろしくね。

スタート整列に向かうかと思ったところ、催したのでこれはトイレに行かねばと少し焦ります。どこに行くべきか迷いましたが、Sブロックに近づけば近づく程混雑度合いが緩和されていきましたので、そこに勝負をかけます。驚く程スムーズに順番が回ってきて、全く問題なくスタートゲートに入れました。これは感激するレベルでした。そして設備もきれいです。

心穏やかにスタートを見渡します。

スタート前には我らが谷口キヨコさん(ある世代以上の京都の人なら誰でも知っている名パーソナリティさん)の盛り上げとアナウンスが素晴らしかったです。特に、“衣類やゴミの回収の際、隣のランナーと声を掛け合って協力しましょう”という呼びかけは効果てきめんで、皆様滑らかなリレーを見せていました。仕方ないとは分かっていても、投げるのは見ていてあまり気持ちのよいものではないのですが、新幹線のシートを倒す際のちょっとした一言が気持ちよさを添えるのと同様、こういうことは今の時代だからこそ大事だなと思いました。流石は観光都市京都です。

スタートではこちらも我らが森脇健児師匠がボクシングの動きを見せたり、今日も走られる山中教授が登壇したりと、これぞ京都マラソンという豪華な布陣でした。

こんなに立派な会場からスタートさせていただけるとは。

雨は大分弱まって来たので、配布されていたポンチョを脱ぎ、スタッフの学生さんに託します。アミノバイタル赤を飲んでスタートに備えます。

レース

序盤~前半(応援の多さと熱に京都のよさを実感)

スタートロスはわずか7秒という申し訳ないくらいの好位置からスタートし、まずは転倒しないように気を付けながら全国高校駅伝気分で西京極総合運動公園を飛び出します。いきなり応援が沢山で、流石京都マラソンや!と笑顔になります。京都外国語大学吹奏楽はたしか大塚愛の「さくらんぼ」だったと思います。しかし今の若者に全盛期の大塚愛が分かるのでしょうか(今も全盛期だった場合は失礼します)。

序盤から大盛り上がりで嬉しい限りです。

今日は体調が正直よくわからないので、当面様子見です。確か2kmで9分を超えていましたが、ここから上がっていけば金沢マラソンや瀬戸内海タートルフルマラソン全国大会くらいには落ち着くでしょうし、上がらなければそれでもよしくらいの気持ちでした。たまにはタイムを見ますが、もうそんなことを気にしている場合ではないのです。今自分は京都にいるのですから。今この時間を全身で感じなくては、次があるかはわからないのですから。

四条通を西進し、徐々に道幅が狭くなってきたなと思う頃には桂川沿いに出ます。ああそうだった、この景色だと思いながら走ると、渡月橋も見えてきます。観光名所が見えるスポットでは看板で案内していただけるのが親切です。そして渡月橋は少し見えたら右折するため、油断していると撮れないことにも注意です。紅葉も桜も見に来た嵐山を懐かしく仰ぎ見ます。

桂川も何度も来ました。

渡月橋を寸止めでお預けに右折すると、最初の上りらしい上り、嵐山高架橋です。まあそこまでの上りではないのですが、この先どうなるのかなあくらいには思います。ここでは左にもわざわざ階段を上ってきて下さった方がおられますし、右を見ると建物の屋上から声援を送って下さる方もいて、やっぱ京都の方はこういう時に優しいなあと早くも実感します。

京都はこういうところが素敵です。

清滝道を少し行くと右折して、広沢池が近づいてきます。エイドは給水のテーブルも長く、紙コップ専用のごみ箱とそれ以外が分かり易く区別されていてとてもよかったです。道中でも相当な数のスタッフさんがゴミ袋を持って立っていて下さり、ランナーも「ありがとう」と言いながら託す場面が多かったです。やはりこれだけやっていただいている以上、街を汚すわけにはいかないと気も引き締まりますし、こういう、ボランティアスタッフさんとの声の掛け合いがあることはとても素敵なことだと思いました。人数が少ないと難しいですが、どの大会もこの方針を参考にするとよいだろうと感じました。

広沢池の横を通るとまた少し上ります。いつか真面目に走る日のためにも上りこそ写真を撮っておきます。そこまで長くないのですが、序盤で心拍数が上がると脳と身体がその感覚を覚えてしまうのか、この後あまりスピードは出ず終いでした。まあそんな日もあります。7kmで30分30秒くらいだったでしょうか。体感とあまり合わない気がしましたが、別にいいです。

ここもしかと見届けました。

結構まめに上ります。

ちょいちょい上りを重ねているうちに福王子までやって来ました。コースアウトして左に進み続ければ右京区の奥地までいけるなあ(とある晩秋の夕方、自転車のライトが点かず死にかけた思い出あり)などと考えつつ、まずは右手に待ち構える御室太鼓、鳴滝子供太鼓に力をいただきます。

ガンバリます!

そして左には、待っていました、仁和寺の僧侶の皆様の大応援団です。いつも「世界平和」のような壮大な願いをかけておられる皆様と大日如来のお力をお借りしてニコニコしながら進みます。

沿道の応援も本当に多かったです。

ここからまた上りで、う、と思わないでもないのですが、まあここもそのうち終わるのであまり気にせずピッチは落とさないことと腹圧を意識しながら進みました。下りで休憩しつつ、立命館大学の前で給水と、ガチの応援団の皆様の声に背中を押されます。

ぶれてしまって申し訳ないです。

右折して南下、左折して少し行けば西大路を北上する時間です。桜の美しい平野神社向かいの和食さとの駐車場では、子供たちの応援が始まりそうでした。西大路では“前回はあまり覚えていないけど、ここも上りだったのか、そういや全国高校駅伝とかでも上ってるわ”と思いつつ、「左大文字」の案内を見て、これは写真を撮らねばといそいそとスマホを構えました。

前回はよく分かりませんでしたが、今回は大丈夫です。

よく見ると奥の方にちゃんと見えます。

確か14kmで1時間1分30秒くらいだったと思います。どうもタイムは駄目そうです。

中盤(賀茂川北山通から府立植物園)

わら天神は看板に気付くも撮影できず残念に思っていたのですが、悔やむ間もなく北大路通を少し進む時間です。ここは下りなのでしばし休み、左折して今宮神社の方へと進みます。この辺りに限らず、島方式の横断の誘導が非常にスムーズですごいと思いました。早めにどちらに寄ればいいかも教えてくれますし、皆様の職務への忠実さに感謝していました。

この辺りはちょっと位置が分かりにくいです。

御薗橋を少し進んで右折すると賀茂川沿いを走れます。ここでは景色も楽しみなのですが、17.6kmエイドでぱりんこチョコソフトがふるまわれると分かっていましたので、確実に取るぞと決めていました。周囲との距離を測りつつきっちりゲットし、まだ給食に手を伸ばすランナーが少ない時間帯だったということもあり、喜んでいただけました。

コース最北端へと向かいます。

まずはチョコソフトを袋から取り出し、ゆっくりと味わいながら西賀茂大橋を渡ります。食べることに集中していたため、上賀茂神社のことは忘れていました。ここも自転車で時折訪れた好きな場所なのですが。次回は確実に見届けたいと思います。

食事と景色で大忙しです。

再度賀茂川を渡る頃にはぱりんこの摂取に着手し、喉につまらないように注意しながらおいしくいただきました。そうこうしているうちに20kmを過ぎ、北山通に入ります。“え?もうここまで来たの?”という感じでした。とりあえずむせるリスクを冒してでもミニトマトはゲットし、若干皮が喉にさざ波を立てる不穏な気配を感じつつも嚥下に成功しました。

素通りなどできようはずがありません。

中間点は1時間32分58秒でした。これは調子が悪いとよく分かりました。私のいう所の調子が良いというのは、主観的に無理なく例えば7kmを30分のイメージで走った時に、概ねずれなく走れることですので、ここまでずれていると修正はきついです。とはいえ普通の調子であれば後半は上がるに決まっていますので、まあ3時間5分くらいでいけたらいいなとは思いました。

さはさりなん、タイムがどうこう言っている場合ではなく、今はかつて優雅に徘徊した北山通を目に焼きつけなくてはなりません。土地勘があり過ぎると全く長く感じず、あっという間に終わってしまうもので、ここも“うわあ懐かしい”と思っているうちにどんどんと高野川手前の折り返しが近づいてきます。修学院のフレスコの気配を感じつつ、前回同様、このまま時空を超えて京都の下宿に帰ってしまいたいという気持ちをこらえつつ、折り返します。

何て短いのかとすら思いました。

北山通は、西に向かった回数の方が多かった気がします。マツヤデンキも、何もかもが懐かしいです。ここでは同志社大学の応援団の皆様がおられました。対岸では懐かしのサンバ・デ・ジャネイロがかかっていたと思います。しかし今の世代に分かるのでしょうか。

またもぶれててホンマごめん。

もっと北山通を走っていたいと思いつつも左折して下鴨本通を往復します。松ヶ崎浄水場からの疎水、ここも水面の桜が美しく、人も京都にしては少ないので、お気に入りの場所です。そして北大路通をチラ見するだけでも胸熱ですが、名店グランディールさんの前を通るとベーグルが食べたくなります。こういうことも、住んでいたからこその記憶です。当たり前ですが、分かる人には分かりますし、分からない人にはさっぱりですよね。

この流れはたまらないものがあります。

そして楽しみにしていた府立植物園に突入し、笑顔が止まりません。春夏秋冬いつ訪れても様々な色と光に満ちた素敵な場所なのです。“ここをこうして走れるなんて贅沢過ぎるよなあ”としみじみと感じ入っていました。

ここをコースに組み込んだ方に感謝です。

舞妓さんの応援は曲がってすぐで油断していたため写真は半分逃した感じになってしまいましたが、誰しもが真っ先に思い描く京都の姿ですから、ここではゆっくりとしたいところですね。

華やかなひと時でした。
後半~終盤(終わってほしくない時間)

植物園内で急なカーブを曲がったと思ったらいきなり北山通に飛び出します。真面目に走っていない時でも、こういう段差にはかなり注意します。これから北山通へと入っていくランナーさんを見送りつつ、賀茂川を下り、河川敷を迎えます。

北山通に別れを告げて。

29.5kmのエイドでは今回最大の目玉であろう姫千寿せんべいが提供されますので、絶対に失敗は許されません。幸い周囲にそれ程人もいなかったので確実に右手で掴み取り、どうすればより映えるかを試行錯誤しながら写真を何枚も撮った上でおいしくいただきました。ごちそうさまでした。

まずはこの景色が嬉しいです。

これで今日のミッションは成功です。

河川敷もほとんどは舗装路ですので、雨が降っても問題なしです。エイドのテーブルの一部が芝の中にあり、シューズを犠牲にするか迷うところですが、マットが敷かれているテーブルを狙えば大丈夫です。ここは道路を占有する非日常の世界とは異なり、正に京都の生活の一部といえるエリアだと思いますので、気持ちよく下っていきたいところです。京都産業大学の応援団には男子部員もいて、きっと力の必要な場面で活躍されているのだろうと思いながら走っていました。

写真がことごとくぶれていてすみません。

食い意地が張っていたせいかはたまた調整ミスで体幹が疲れていたのか分かりませんが、この辺りでは極めて珍しくさしこみが来そうな気配がありました。体側を伸ばしたり強く押したりする方法もあるのですが、特に気にせず景色を楽しんでいるうちに、いつしか波は去っていきました。結果オーライではありますが、原因と対策は考えたいところです。

河川敷から丸太町通りに出る最後の数十メートルのみ沼ですが、怪我などの異常はなく舗装路に復帰できました。ここから御所の南烏丸通まで真っ直ぐ行って折り返します。ここも一人で桜を見たり誰かとキャッチボールをしたりと、ふと訪れた記憶が沢山あります。

折り返しが増えても巡りたい場所です。

河原町通を南下する時間は、“こんな街のど真ん中を走ってよいものか”と思うくらいですが、気付くと35kmです。もう後30分かそこらしかここにいることはできないと思うと、“何故終わってしまうのだ。もっとここにいさせてほしい”という気持ちになりました。7年前も、同じことを考えていたはずです。

市役所前でゼスト御池(かつては人が少なく歩き易かったのですが、今はどうでしょう)の気配を感じて折り返し、河原町通りを北上して丸太町通を通って鴨川を渡ります。

あまり来ない市役所前ではありますが。

あまりに多くの若者が青春をこじらせた場所です。

川端通は短いですが、大体の大学生が三条で飲んだ後、夜この道を北へと帰ったはずの道ですので、一体当時は何を考えていたのだろうかと思いながら進みました。何の根拠もなくただ未来に何かを夢想していたのでしょう。沿道からブルーハーツTRAIN TRAINが聞こえてきて、何て大学生活らしい選曲だろうと思いました。

ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない。

東一条通に入って(※恐ろしい分量の米が登場し、お残しは絶対に許されないお店)はどの辺だったかなと見ているうちに東大路に到着し、北上。博物館前では太鼓に元気づけられ、百万遍の坂へと入ります。

最後までブレが多くて申し訳ないです。

運命の百万遍です。

この上りもそこまできついわけではなくゼーハーなるわけではありませんが、如何せん今日の調子ではスピードも出ません。まあそんなことを気にしても仕方ないのでハイライトの姿を写真に収め、一回生の新歓の頃を思い出したりもします。今出川通のこのエリアも、何の展望も期待も無く、ただ一人よがりで生活しながら行き来したな、もっときちんと生きるべきだったなと思いながら進みます。

ここで楽しそうに走っていた方は人生のどこかで地元民だったのでしょう。

もうすぐ折り返しかと思った所で大文字の存在を示す看板がありましたので、これは撮るしかありません。太宰治が『富嶽百景』で描いたように、京都はどこに行っても大文字なのですから。

走っていてはっきりと見えます。

折り返せばもう終わりです。

折り返してしまえば後は楽なもので、ただ流れに任せて進みます。やはり初めてここに来た頃のこと、母が喜んでくれたことを思い出し、明らかに自分に非があったことは認めつつ、己を全否定するまでのこともなく、幾らかは返すことができたはずだと言い聞かせながら左折し、東大路を下っていきます。

昨日ここでの走りをイメージしていたため、“最後くらいは上げよう、自分だけの時間だ”と集中し、この道を走れることに感謝しながら加速していきます。東一条も丸太町もすぐですから、もう終わってしまうのです。ここだけはピッチも意識してちゃんと走ります。

が、41kmを過ぎた辺りで何とあの福士加代子さんがおられるではありませんか。ペア駅伝にゲスト参加されていたんですね。ここでただ抜き去ってしまうと後悔する、こんなチャンスは二度とないと思ったため、お願いして記念撮影していただきました。あの元気いっぱいの福士さんでした。ありがとうございます。

サービス精神旺盛どころの話ではありませんでした。この笑顔です。

最後の冷泉通みやこめっせ前も短いですし、右折したら意外とすぐ終わるのも知っていますので、ペースも上げて進みます。最後の最後にスパート勝負を挑んできた方がいましたが、負ける気が全くしなかったのでグッと上げてフィニッシュしました。後半も1時間33分25秒もかかっています(2.195kmも何故か(※数行前参照)9分12秒も要しています)が、まあ30km以降で150人以上抜いたこと自体はよかったと思います。

短いようでやっぱり短い42.195kmでした。

アフター(ささやかな打ち上げ)

まずは無事に京都マラソンを完走できたことにほっとしつつ、満面の笑みでメダルやタオルを受取り、くぐらせてもらえない大鳥居の前で折り返すことにあの日を思い出します。

くぐることもできず、ただ前に立ちすくむことも(邪魔なので)できません。

給食をいただき、地下の更衣室へ。ヴェイパーさんのダメージが気になるところですが、身体は特に痛みや倦怠感も無く無事でした。

守ってくれてありがとう。アウトソールは大丈夫かな。

手早くアミノバイタル粉、プロテインバー、プロテイン、完走賞のおにぎりとカロリーメイトポカリお茶で補給を済ませ、茶の香を噛みしめます。

フィニッシュ後の給食は重宝します。

後ろ髪引かれながら会場を後にします。

その後三条まで歩き、京都らしく志津屋ビーフカツサンド(ハーフ)ラ・ポムを食べてから後輩と合流し、天丼まきので打ち上げと相成りました。彼女は残念ながら関門に引っかかってしまったのですが、律儀にも完走経験なしと申告して最後尾スタート、序盤から結構ギリギリという気の毒な展開でした。しかし中学時代は1000m3分(!)で走っていたらしいので、ちょっと練習したら大変な選手になります。持久走で学年下位10番辺りのドン亀だった私とはモノが違います。是非頑張って下さい。

何もかもが京都らしいです。

天ぷらは自分では作れないので、ここぞとばかりに味わいます。

朝はあれ程強く降った雨も上がり、見たいと思っていた京都の空と鴨川の姿を見ることができました。これ以上望むものはないと思いながら、帰路に就きました。

時の流れと空の色に何も望みはしないように。

最後に

7年ぶりの京都マラソン、走ってみるとどう感じるかは分からなかったのですが、実際、想像した以上に京都にも、自分の中や周りにも様々な発見や喜びがあり、驚くくらいでした。

“終わってほしくない”と思いながらも「京から明日へ」向かうことが生きるということであり、自分もその中にいるのだと気付く一日でした。時間は常に現在しか存在せず、過去も未来も現在としてしか現れないため、とにかく現在を生きるしかないのですが、そこで過去の事実をどう捉えて未来に希望を持てるかが、人生の最後に納得できるかを左右するのだろうと思います。

個人的なことはさておき、京都はとにかくリアルに体感してみると、豊かな自然、古都の空気と共に、文化と歴史の交流点が持つその独特のエネルギーが唯一無二だと思いますので、是非是非、訪れていただきたいですし、好きになってほしいと思います。長々と書いてきましたが、京都マラソンの魅力が少しでも伝わり、参加してみたいと思われる方が一人でもおられたら嬉しいです。

今回京都マラソンの開催にご協力いただいた京都の皆様、本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします!

ここまでご覧いただきありがとうございます。