ちょっと長すぎる旅ランブログ

百聞は一走に如かず。きっと貴方が好きな大会が見つかります。

大阪マラソン2023(2023/2/26) あの日の2秒に利子を付けてのサブスリー!大阪はやっぱええとこやわ!

2019年に衝撃の3時間0分1秒を記録してしまったこの大会。京都との連戦、普通に考えると駄目だろうと写真を撮ったりお菓子を食べたりといったファンラン活動に励んでいたのですが、気象条件もよく地元の応援パワーもあって後半にふと何かいけそうな感じがしたので、過去にがっしりと両脚を囚われた自分のこの歴史をそのまま終わらせてしまうことにしました。

osaka-marathon.com

やはり走り出すと圧倒的な“これぞ大阪!!”という熱く温かく親しみのある応援がどこまでも続き、ものすごくテンションが上がり夢中で走れてしまいますね。この空気が大好きなのです。

そして長年住ませてもらっていますので土地勘が冴えに冴えており、“え?もう28km?”といった感じであっという間に終わってしまいました。これまでのフルマラソンで一番短く感じました。

2022年は直前に一般部門が中止になり、主催者側も処分に困ったであろう参加賞が送り付けられて心を折られたランナーさんも多かったのか、今年は余裕の定員割れとなっていましたが、自分は、人気大会のプレミアム感があろうがなかろうが出るのみです(昨年のメダルやらは自治体の区分に従って処分しましたが、それはまた別の話です)。

正直、大会のデザインやコンセプトとしては、情報が多過ぎて見にくい公式ページといい、無駄な情報が多い割に肝心のスタートエリアの案内等も載っていない配布物といい(開催要項がウェブなら紙自体不要なはず)、不便そのもののインテックスの場所といい、あまりに広く選択肢が多い結果どこにも寄りたくならない(早く帰りたくなる)エキスポといい、荷物預けから異様に遠いスタート位置といい、防寒衣類の回収も特にない厳しさといい(ついでに言うなら無理矢理びわ湖毎日と統合したことも含めて)何かが間違っている気がします(ある意味大阪らしいですが)し、走り始めるまでは驚く程の平常心でいられるのが大阪マラソンなのですが、走り出してしまうと“やっぱ大阪は最高や!”と思うばかりの時間なのです。何と言うか、大阪は“お上がどうあれ自分らで盛り上げたるわ!損はさせへんで!(でもあかんかったらごめんやで※ここ大事)”という気概が人々の間に溢れているのが最大の魅力なんですよね。

ほんで今回は前回写真に残せなかった景色を記録し、お菓子もバンバンいただくことにして、寒い中エイドで給食をご用意していただいた皆様のご期待にお応えできたかなと思います。“たこパティエのソース味は大阪のイメージ通りやなあ”とか、“大阪花ラングは花弁割れて一枚ずつ食べなあかんわ”とか、“大阪華かりんのあんめっちゃうまいやん”とか、“38kmでええもんちぃの包装破くのきついわ”とか、やたら楽しく走らせていただきました。(グロス2:58:47,164bpm, 196spm, 歩幅1.22m,上下動比4.9%, 上下動6.3cm, 左右接地時間バランス48.8:51.2, ヴェイパーNEXT%2 コバルト)

長年住ませていただいているので当たり前ですが、色々あった大阪でとても楽しい思い出がまた一つ生まれました。大会にご協力いただき、応援して下さった大阪の皆様、ほんまにありがとうございました!

2019年も大阪の皆様の応援のお陰で、持っている以上の力を出せました。

savarun.hatenablog.com

続きのページにはいつものノリで、コースや給食の写真とやたら長いあれこれを残しています。写真だけでもご覧いただき、大阪のよさを感じ取っていただけると嬉しいです。

このところ都会のレースが続きましたが、当分はヴェイパーも履かずに自然豊かなコースをタイム度外視で走る季節に突入です。またよろしければご覧ください。

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前日まで

金曜日(海の向こうでランナー受付)

木曜日くらいから大阪城公園でも海外招待選手(多分)がジョグをしている姿を見かけるようになり、ここぞとばかりに少し離れて後ろから走りを見学させていただきました。想像より上下動が大きかったり左右差があったりして意外でしたが、キロ3の選手がキロ5で走るとそういうものかもしれません。ピッチは小気味よく、体重移動の滑らかさなど、もう少し近くで感じ取ってみたかったのですが、お邪魔するわけにはいきませんので我慢です。これだけでも貴重な経験になりました。

大阪マラソンの招待選手は結構年齢層が高いのも嬉しいですね。中でもスペインのアヤド・ラムダセム選手は1981年生まれの41歳で、自己最高記録が2022年セビリアの2:06:25という凄まじさ。自分もまだまだやれるという希望と勇気をいただきました。

受付は前日に行くと行列で疲れるので、金曜夜を選択しました。インテックス大阪は不便でしかないのですが、中央線のこの区間も三年以上ぶりですので、とにかく全てが懐かしいです。早速行列で、“どれくらい意味があるのか謎の(やってる感を出すためだけの)アプリ確認のせいなのでは”という狭量な思いも頭をよぎりますが、10分もしないうちに建物の中に入れたので全く問題ありませんでした。

めっちゃ久しぶりや……。

スタッフの皆さんは明るく親切で、やっぱ大阪ええなあと実感しました。これは来たら分かるわ、ほんま。

大阪といえば我らがミズノのおひざ元。何度も書いていますが私は2019年まではほぼミズノしか履かない人だったので、かなりコアなファンと言ってもよいでしょう。別大の際はウェーブリベリオンプロを履いてみて、あまりの接地感の目新しさにこれは自分には無理と悟ったため、今日はサブ3くらいまでを対象としたフラッシュを履いてみました。少し歩いただけですが、そこまで癖は強くなく、転がる感覚もアシックスのライドシリーズに近い気がしました。これならあまり新たな走法を身に着けなくても走れそうです。ただ、フラッシュも耐久性があまり高くないというレビューもあり、手を出すのは正直躊躇われます。折角ですのでエンペラージャパンの素晴らしさを熱く語りデュエルのアウトソールの脆さを軽く嘆くなど、スタッフさんとあれこれお話ししました。久しぶりにミズノのことが分かる方と語れて楽しかったです。

ミズノのシューズは本当に高品質だと思っています。

恒例の第一生命さんの体組成測定は、体脂肪率8.9%とここ5年で一番高い数字が出ました(近い所では金沢前日6.3%、富山前日5.9%、神戸二日前7.3%)。まあ当てにならないのでネタとして受けている感じですが、データは継続的に取って初めて意味があります。

後は記念撮影する気もありませんし、ブースが多過ぎて疲れるので、どこにも寄る気もならずアミノバイタルの試供品だけいただいてスムーズに建物から出てしまいました。ちょっと寂しい気もしますが、致し方ありません。大規模大会ゆえに何かをお手本にしなくてはならない事情もあるとは思いますが、個人的にはそれで“他所にもある巨大大会のちっちゃい版”として埋没するよりも、“他所やったら怒られるかしれへんけど大阪やねんから大目に見てや。細かいこと気にしとったら損やで”というノリでバリバリの大阪イベントにした方がおもろい気はします

とにかく大規模なので、好きな人にはたまらないと思います。

過去大会の歴史はここならではですから面白いですね。

ミーノもおいしいですよね。

食事は相変わらず控えめです。金曜日まではほぼ普通に食べています。金曜朝は豚バラとキャベツ、人参、ほうれん草のピリ辛中華炒め、夜はアボカドサーモンに葱と人参小松菜の塩麴スープ、フードロス削減に貢献した(単にケチなだけや)バッテラ三巻です。

手に入る材料で食べたいものを拵えるスタイルです。

前日(貴重な大阪の週末)

京都マラソン後は連戦なので回復を最優先し、月火完全休養、水~金スロージョグのみでしたので、速い動きを思い出すべくウインドスプリントを少しだけ混ぜて30分だけ動いておきます。会場の下見も兼ねています。

明日どれくらいで走れるかなあ。

朝はブーランジェリーフクシマさんのクリームパンといちじくクリームチーズを買ってきました。人気No.1の前者もおいしく、金沢のピストリーナエイスキーと甲乙つけがたいくらいですが、後者も大変自分好みの味わいでした。ついでに鮭のムニエルバター醤油ソースもただただ簡単な割においしくできて満足です。

パンが好きで好きで。

珍しく週末に大阪にいるわけですから、ここぞとばかりに事務作業を進め、自転車で雑紙を捨てに行くついでにパン活を実行しました。ベーカリーみやぱんさんはチョコフランスが香ばしかったのとレーズンブレッドが期待通りの味でいつ食べても間違いない感じです。

翌日に取っておこうと思ったのに食べてしまいました(幼児並の忍耐力)。

ブンディールケケさんは、今日は売れ行き好調だったようで大分商品が少なくなっていましたが、パンオレザンは柔らかい部分のもっちり感がとてもよく、京都のレ・ブレドオルで食べたパンオレザンを思い出しました。セーグルフリュイはずっしりと重く、バターと食べると最高です。金沢のたねを思い浮かべます。

幸福感しかありません。

自転車で少し徘徊し、明日のコースの序盤も見ておきます。普段あまり意識することなく通っていますが、冷静に考えるととんでもない大都会を走らせていただくという事実を再認識します。明日は大阪弁のおっちゃんおばちゃんのちょっと荒い声援が飛ぶのかなあなどと想像しつつ、スーパーに寄って帰宅しました。

前日のうちにウェアやテーピングなど、明日の準備を進めます。何と言ってもご近所の大会ですので、荷物は最小で済みますし何かと楽です。昼過ぎには終わりますしね。おやつにプロテインバーを一本食べて日中の食事としては十二分に心と体を充電できました。

夜は糖質の燃焼に効果的なビタミンB1を意識して豚肩ロースの水炊きです。この冬は金沢ヤマト醤油のポン酢を愛用しました。皆様も是非。

野菜は程々でよさそうです。大根おろしめっちゃ多い。

夜はケチらずアミノバイタル粉を飲んでから就寝です。やはり多めに摂取しておくとダメージが少ないように感じます。

レース当日

レース前(台地の向こうで荷物預け)

22:30消灯二度寝を決めての6:30起床です。自分としては、早く起きる最大のメリットは腸が目覚めてすっきり安心のスタートを切れる確率が高まることだと思っています。他方、ギリギリまで眠ることでとにかく元気になることもあるので、そのバランスは見極めていきたいです。今回は近所の大会でもあり、またゲートの締め切りが9:00、スタートが9:15ということ、寒いのに防寒衣類回収もないことから、あまり早く行くメリットがないと考えて遅めにシフトしました。

朝食はやる気なく、買ってきたサンドイッチにチーズと牛乳のみです。遠征先ではこういう食事になることも多いので、自宅でも軽くするようになりました。片付けもすぐですので心の余裕もあります。

もうこれくらいでいいです。

前日のうちに一式を詰めておいた袋からウェアやテーピングを取り出し、順番に身に付けていきます。経口補水液アミノ酸、今回は余っていた粉飴も混ぜました。最後に見て空っぽになっていれば忘れ物はない設計です。

ある程度真面目に走る場合はこれで固まりつつあります。

起床が遅かった割に出発前にお通じもあったので万全の状態で遥か彼方の荷物預けを目指します。道中他の参加者の方とも笑顔でご挨拶できて、今日は一日ご機嫌だぞと思います。

招待選手はこっちなんですね。

かつては紅葉が美しかったんですけどね。

荷物預けなしを選択することもできるのですが、そういう方も結局は検温のために荷物預けの付近までいかなくてはならない(※実はスタートまでの動線上に一か所救済の検温所がありましたが)ことはどうかと思いましたが、大多数は地下鉄やJRで来るわけですから、マイノリティは切り捨てるのが正解かもしれません。まあいずれにせよ終わった後に身体を温めるためにも衣類は預けなくてはならないので、手荷物預けなしを選択する方は余程特別な事情があるのだろうと思います。

大阪城公園の誇る梅林を見られるのは良い点です。

大体予定通りに手荷物預け場所に到着し、ヴェイパーに履き替えます。京都からの連戦でタイムは狙えないであろうところに勝負シューズはどうかと思ったのですが、折角の高速コースでもありますし、ヴェイパー3が出たら2はお求め易くなるのではという考えもあり、ここは惜しまずに投入すべしという結論に至りました。

荷物を預ける前に、金沢ではお馴染みの別所のかすていらを食べてもう一段心を温めます。別大のスタート前にカステラを食べている方が何名かおられて、おいしそうだなと思ったのも一因です。

本店、カジマート、ニュー三久で買えます(ローカル情報過ぎるわ)。

荷物を気持ちよく預かっていただき、スタートエリアに向かうわけですが、案内には30分くらいかかるとあります。なんでやねんと思うかもしれませんが、実際途中のトイレの列にぶつかって進まなくなったりしますので、相当時間がかかります。おそらくあの移動に満足している人はいないだろうと(個人的には)思うのですが、昔から一貫してこの形式ですので、おそらくは物理的に改善の余地が無く、今の形がベストなのでしょう。これは天命として受け入れるのみです。

多分これがベストなのでしょう。

8:10くらいに出発して8:40前にはスタートエリアに入れましたので、震えながらも小さくなって寒さを凌ぐばかりです。今回は流石に寒いと分かっていたので、クリーニング店のビニールに穴を空けて被りました(ヤングドライおじさんです)。普通のゴミ袋だと頑丈過ぎて破りにくそうだったので、どうせ捨てるだけのビニールを活用しました。スタートブロックの横にはゴミ袋が設置してあったため、スタート3分前くらいにそこに捨てれば問題なしです。

ちなみに前回も書きましたが、有名人を間近で見たいなら府庁側に陣取ることをお勧めします。元阪神のショート、鳥谷さんのお姿を間近で拝見することができました。

名手はオーラが違いました。ありがたや。

スタート15分前にはアミノバイタル粉を摂取し、狭いながらもご迷惑をおかけしない範囲で動的ストレッチを試みます。肩甲骨周りと、京都で一時さしこみの気配を感じたことから体側も伸ばしておきました。

スタートロスは21秒でした。

レース

序盤~前半(怒涛の大都会レース開幕)

まずは下りからですが、流石に混雑しますのでとにかく接触とピッチだけは気を付けて進みます。いきなり応援が多くて“うおお、嬉しい!”となります。一年前はここでエリート選手が出発していく姿を見ていたなと思い出す瞬間でもありました。

三年前は最初の右折で転倒された方がいたので、ここは要注意だろうと気を引き締めました。幸い今年は自分の周りでは事故がなく、怪我人も出なかったのでよかったです。京橋方面への直線もいつも見慣れた光景ですので、“大阪に来てから長いもんだなあ”と少ししみじみしました。

しかしこの道の先に京橋ダイエーはないのです。

左折して京阪の高架を潜り、右手に早くも太鼓の応援があり元気づけられます。左折して銀橋を通り大川を渡ります。大川沿いは桜を見ながらスロージョグをする場所ですし、造幣局桜の通り抜けもあります。南森町方面へ向かい、左折して天神橋を渡る、このエリアもお馴染みですのでもう本当に近所を走っているようなもんです。ご町内の大会のとんでもないバージョンです。

ご近所ながら尋常ではない光景がここに。

土佐堀通を御堂筋まで進むようになったのは、3年前と変更になったところだったと思います。確か中央公会堂の方から回っていたような。大阪市役所前では関大の大応援団が盛り上げて下さり、大阪の若いパワーを思い知るところです。

おっちゃんおばちゃんだけやないで。

渡辺橋の方も含めて、個人的に色々なことを思い出して然るべき場所なはずなのですが、最早ほとんど過去のことに興味が無くなっているのでしょう、そんな昔のことではなく、三年前のことや、淀屋橋ビルの解体でミズノショップが無くなったことなどを考えているうちに御堂筋突入です。

今更言うまでもないことなのですが、御堂筋をこうして思い切り走れるなんて常識ではありえないことで、この機会を迎える度に感慨に浸ります。大阪マラソン最大の見どころの一つと言ってもよいでしょう。そして堺筋長堀通、難波とあっという間に過ぎ去ってしまうのです。最初の給水は両サイドでばらけるので取り易く、テーブルも長いので非常に快適です。

こんな贅沢ありえへんわ。

7kmで29分台後半だったかと思います。体感よりは少し速いので、どうやら調子はよさそうだと推測します。

道頓堀ではグリコの看板を撮影できず惜しいことをしましたが、千日前通を高架に沿って西に進む光景も、“こんな巨大建造物の合間を走れるのはここか東京くらい(他は名古屋ウィメンズ?)だろうなあ”と毎度同じような感想を抱きます。

肉眼ではちゃんと見たんやけどな。

そして大正橋を渡る頃にはサブスリーのペーサーさんが見えてきました。基本的に彼らは前半貯金を作るはずですので、間違っても追いついてしまってはいけません。給水で気を遣うのも避けたいことから、一定の距離を置きながら、何となくついていきました。橋は少し上りますが、京都の前半に比べると気のせい程度です。

ガスタンク?も見えますね。

京セラドーム大阪の姿を見届け少し行くと、トップ集団とのすれ違いです。やはりトップアスリートの走りを見ると気持ちも高まります。我らが川内優輝選手はこの頃は抑えていたようですが、最終的に2時間7分35秒のセカンドベストを出されたとのことで素晴らしいです。

もはや眼福です。

距離調整のためっぽい折り返しも、自分にとっては“あの公園も通ったことあるなあ”とか、“ジムに行くためにみなと通も何度も行き来したなあ”という思い出が浮かぶ場所です。“あの日々が今につながっていたのか”と考えていました。

そしてJRの高架前で折り返して帰って来る道では、古くからの友人とすれ違うことができてお互い喜び合いました(私も見つけやすいように左側を走っていました)。トライアスロンを主戦場とするアイアンマンの彼女は二週間前の泉州国際で粘りに粘りギリギリ3時間30分切りを果たして私も強く感銘を受けたのですが、今日も長い手足を活かした余裕のあるフォームを見ることができました。

環状線手前で折り返し。この先にはデカ盛りのお店が。

14kmで確かネット58分台、前にペースランナーがいることも考えると、これは流石に速いと察しました。しかし余裕もありますし、もしかすると後半少々落としても3時間に間に合うのではという気もしてきました。アミノ酸を溶かした経口補水液は30分毎に摂っていきます。

中盤(豪華給食陣のお目見え)

大正橋を戻ってきて少し行くとなにわ筋を往復する時間です。ここでは18.6kmでたこパティエが提供されるので、逃すわけにはいきません。身体も温まって来ましたし、給水の都度着脱を繰り返すことも億劫なので、ここで手袋を外してポケットに捻じ込みました。三年前は最後のエイドで手袋を外さずに給水に失敗しましたので、外せる時に外してしまおうという考えもありました。

待望のエイドが近づいて来ましたので、すぐ後ろにランナーがいないことを確認し、大きく手を振ってアピールし、クレーンゲームのように比較的取り易い盛り方になっている山を見極め、思い切りよくむんずと掴み取りました。一つだけ取ろうと指先で頑張ろうとすると弾いてしまうこともあるので、勝負をかける時は取れそうなものを思い切り取ることが大事です。結果として取れ過ぎた場合は素早くお返しすればよいので、とにかく大きく弾いて地面に散乱することだけは避けたいものです(てかこの情報が数少ないこのブログの読者さんに響くのか?)。

たこパティエは二枚取れ、うち一枚をポケットに押し込み、もう一枚の袋を歯で破り(指先がかじかんでいる中個包装は難しい)、期待通りの甘辛ソースの味に納得します。

多分最も大阪のイメージに適った逸品です。

そうこうしているうちに20kmも過ぎて岸里の折り返し。北上するエリアでは岸里連合町会の皆様が熱い応援で出迎えて下さります。この先もチアの応援があり、“ここまでやって下さるなんてありがたいなあ”と走っていきます。しかしここで油断したため、森脇健児師匠のお写真を撮ることができず、無念の通過です。しかし声はしっかり聞くことができましたので、元気が出ました。山中教授と森脇師匠は京都マラソンに続いてのご参加でした。

前回に引き続き、ここも応援が多かったなあ。

中間点が1時間29分くらいだったでしょうか。三年前より2分30秒程早いのですが、後はキープするだけでよいので、段々サブスリーが現実味を帯びてきました。フォーム的には京都の反省を活かして、もう一度仙骨を後ろから押されるイメージを確認し、ピッチも高く保つようリズムを重視しました。勿論ヴェイパーの鮮度の差も大きいのでしょうが、身体の使い方も多少違っていたと思います。

なにわ筋ではもう一か所給食がありますので、狙うしかありません。前回もゲットした井村屋スポーツ羊羹あずきは確実に仕留め、初登場の大阪花ラングに狙いを定めます。気合一閃しっかり掴みいざいただかんといそいそと開封すると、何と言うことでしょう、ご覧の通り砕けています。“もっとジェントルタッチで行かなあかんかったか”と思いつつも、“でも花弁を一枚ずつ食べるというのもまた乙なものよ”と切り替えてレーズンの甘みに元気をいただきます。

割れてもうたけどネタになるから儲けもんやわ。

右折して千日前通に復帰した後にもう一袋もおいしくいただきましたが、やはり割れてしまったので、お土産としてお持ちする際には気を付けようと思いました。まあ料理と一緒で、食べたら一緒やけどな。

29kmの坂をチラ見して右折です。

松屋町通を天王寺公園前まで往復する間にはウメパワプラス大阪華かりんが待ち構えていますので、これらも確実に捕獲します。流石に三つくらい掴めてしまい申し訳ないと思ったので、それぞれ一つのみ手元に残して瞬時に山に戻します。ここはあべのハルカスがちらっと見えるので、折り返し前で細心の注意を払いながらも撮影し、落ち着いてからあんの甘みに元気をいただきました。

左にちょっと見えてるで。

結構忙しい時間です。甘いものはうまし。

28kmで持ち時間が残り1時間2分弱程あったことと、全く疲れていないことから、これはサブスリーに届くと分かりました。と言いますかやはり応援と土地勘の力が大きいのか、“もう28kmも来たのか、あと30分をたったの二本でいいのか”という感じでした。

後半~終盤(ちょっと上るけど大したことないで)

29kmで右折してから谷町台地の坂を上ります。ここがコース内で最も目立つ上りで、飛ばしてきたランナーは疲れが出る辺りということもあり全体に遅くなって前が詰まる感じがあります。まあペースランナーとも離れていないしむしろ近づいているしええかという感じで焦らず上り、しばしの平地を経て給水しつつ下りです。

貴重な上りの写真も撮っとこか。

南下する辺りで「サブスリーいけるよ!」という檄が飛び、おそらく周囲のランナーさんも鼓舞されたことでしょう。この辺りはわずかな上りということもあり、下見をしていないと意外と堪えるかもしれません。また、五條宮前へと向かう道は一部狭くなっており混雑しますが、ペースランナーとの距離を目安に行けば大丈夫でしょう。

ここからが正念場ですが流れに乗れば大丈夫です。

四天王寺を過ぎての折り返しでは、三年前に後輩と競り合っていた(当日抜いた記憶はない)ことを思い出し、これで上りはほぼないので勝山通を軽く下って今里筋を行けば終わりだなという気楽な気持ちです。

主な上りはここでおしまいです。水でも飲んで一服しましょう。

35kmでグロス2:28:19。息も全く苦しくなく、脚の痙攣や疲労もないため、31分かかることはないと分かりました。後は集団に運んでもらえば余裕で終われそうです。別大の時もそうでしたが、サブスリーに届かなかったとはいえ後半の逆風にめげずに前半から1秒落としただけで走り切った神戸マラソンの経験は確かな自信を与えてくれました。

savarun.hatenablog.com

気付かないくらいの橋を渡って左折すれば今里筋、もう近鉄長堀通や高架といった目印を目掛けて淡々と進むのみです。

もうすぐ今里筋や。

が、37km辺りだったでしょうか、何とペースランナーさんのピンクの防止が風船ごと飛ばされてしまい、それが目の前に来たので、余裕のある私がキャッチする展開になりました。沿道に渡そうかと思ったもののそれも味気なく、試しに少し被ってみた(何やってんねん)ものの他の方を混乱させるのも悪いと思ったので、ここで集団の前に出て、ペースランナーさんにキャップをお返しすることにしました。笑顔で受け取っていただくことができてよかったです。

集団の前に出たことで、38.1kmの給食が取り易くなったのはラッキーでした。初顔のええもんちぃを取ってこそミッションコンプリートというものです。今大会初の左手キャッチですが、ここは金沢マラソンで鍛えた左手の妙技で全く問題なくゲットです(※金沢マラソンは左が多いのです)。食べるかは一瞬迷いましたが、指の感覚的にゴミを落としかねないと思ったため、ポケットに収納して残りの道を進みます。

フィニッシュ後においしくいただきました。

高架から小さな橋まで大阪城公園縦一本分北上することも、前日に自分のブログを読んで思い出していたため懐かしく、余裕を持ってこなし、鴫野で40km、2:49:34ですから残り10分かかったとしても大丈夫です。間に合いそうです。

指入ってますが40km手前の橋の下りです。

もう後は何回もここを通るたびに、色々なことを、走ること以外にも、沢山のことを思いながら過ごしたこの三年間のことを思い出し、自分なりに戻らない時間のことを思いました。コノミヤもスーパー玉手も、何度も見ました。アンダーパスを潜り、前回はここで頑張れなかったけど、ようやく上書きできると思いながら、無理せず進み、最後の給水はもう取らなくても大丈夫と見送ります。

最後はビル街を駆け抜けろ。

大阪城公園に戻ってきて、三年前はここから右折して間に合わなかった、でも今日は左折して終わりだと万感の思いで見慣れに見慣れた大阪城を写真に収め、でも橋のマットの段差にも気を配りながら左折、最後の直線を気持ちよく走って笑顔でフィニッシュできました。三年前は目の前で3:00:00を見てしまい悔しがる姿が動画に残っていましたが、今日は嬉しそうに手を叩いてゲートをくぐっていました。

あの日とは違い、はっきり見届けました。

アフター(遠く遠く離れた街で 元気に暮らせているんだ)

予想外に三年前の借金2秒を利子付きで返済できてしまい、棚ぼたながらやり切ったぞと嬉しく思いながらドリンクや月化粧をいただきます。

ヴェイパーさん、今回もありがとう。貴方のお陰です。

生着替えはやめてください”というユーモアのあるアナウンスもあったので、紳士としてここで脱ぐわけにはいくまいとウェアの上に持参したTシャツや上着、短パンを重ねてパパっと寒さ対策を施し、アミノバイタル粉やプロテインプロテインバーを摂取し、友人のフィニッシュを待ちます。

彼女は途中ご両親と写真を撮ったり(普段取らない)給食を取ってみたりしたらしいのですが、3時間27分台とPBを更新し、「ホンマ大阪めっちゃ短く感じる!」と言っていました。まあお互い地元民やからね。その後も長らく会えなかった分、近況、シューズ談義、練習の話、昔のネタから誰かに直接聞いてほしかった最近の自分の話などもう思いつくままに話しまくり、寒空の下でも楽しい時間はあっという間に過ぎていました。どこまでアイアンマンに挑み続けるのかは分かりませんが、お互い納得のいく人生を過ごせるようにしたいです。それができると信じています。遠く遠く離れていても。

すっかり元の姿に戻った大阪城公園です。

道中ご褒美のパンを買って帰宅しました。

最後に

三年ぶりの大阪マラソンは、やっぱり大阪はええなあと心から思える時間でした。何と言っても応援してくれる大阪のノリが好きです。他所の地域の方からするとちょっと荒く感じるかもしれませんし、言葉がどこまでネタなのか分からないということもあるでしょうが、人情の根っこは脈々と受け継がれており、そこが魅力なのです。気ぃ遣いで自分をネタにしてでも何とか盛り上げなあかんという点は、サービス精神と実はちょっと人見知りな奥ゆかしさが混じっているものでしょうか、でも効率やコスパ、時短といったものが重視されがちな時代こそ、“うそ、あほか、なんでやねん”で大体の会話は成り立っているくせに実は結構真正面から受け止めてくれる大阪人の優しさみたいなものは、絶対に特別なものがあると思っています。

大阪は自分が育ち、社会人になってからも長年住んでいることもあり、当然ながらここで多くの辛いこと、思い出したくもないこと、そしていくつかの楽しかった記憶が生まれ、今もそっと沈んでいる場所です。そのまま誰にも言わず、自分の中に抱えて終わっていきたいものは、どうしようもないですし、もういいんです。楽しかったことは、これまでとつながっていましたし、これからも生きている限りつながっていきますので、そっちを大切にします。

大阪の皆様に支えていただいたお陰で、ようやくこの大会で結果を出すことができました。ほんまありがとうございました!

ここまでご覧いただきありがとうございます。

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