破壊力満点のアイキャッチの写真(現場)を見て、マラソン大会のエイドだと思う人がいるのでしょうか。松本清張も思いつかない巧妙なトリック(肉)は真犯人の影すら感じさせません。でも考えてみれば、明治日本の産業革命を誰もが想像すらできなかった程の時間とエネルギーで成し遂げたこの土地の皆様にとっては、日常や現実を超えていくことが当たり前なのかもしれません。47都道府県フルマラソン最後の福岡県で、素晴らしき大規模ご当地大会に出会えました。
北九州といえば誰もが知っているのが八幡製鐵所です。コースも東田第一高炉跡の傍を通りますし、日本製鉄の工場横を通ったりと、前半は高架の鉄骨などからも製鐵の街の歴史を強く感じられます。
関門海峡もすぐそこで、門司、港の街でもありますので、後半はシーサイドコースや赤煉瓦倉庫など、観光客にはたまらない景色が広がります。
お祭りが盛り上がる街というイメージも裏切らず、沿道からは沢山の方が声援を送って下さります。応援ステーションのライブや吹奏楽もあり、シリアスランナーから私のような変な人まで幅広く応援して下さるのがありがたいです。会場もイベントや屋台が多く、大規模大会でありながら大成功していると思います。
冒頭にも書きましたが、エイドも振り切れていましたね。たこめし、フレンチパピロ、栗饅頭、小倉わらべ、マンマ・ミーア大根くらいまではまだ穏やかでしたが(それでも豪華)、銘菓くろがね羊羹は一本で食べきるのに2km以上を要しましたし、小倉牛丸焼きなんてその看板通り丸焼きで、濃厚な味わいもボリュームもぶっ飛んでいます。生成AIでもここまでの世界は作れないでしょう。それが現実にあるのが北九州マラソンなのです。
走りは、流石に別大で出し切った後に頑張るつもりもありませんので、無理せず楽しむスタイルでした。まあ誰も私のタイムなど気にしていないでしょうし。ヴェイパーNEXT%3さんとの相性が悪く、フル2本目にして大破してしまったのがショックでしたが、それを除けば身の丈に合った程よいペースで走れたと思います。怪我もしませんでしたし(3時間2分台。158bpm, 193spm, ストライド1.16m, 上下動比5.0%, 上下動6.1cm, 左右接地時間バランス47.8%:52.2%, 接地時間238ms)。
観光も流石は北九州という充実ぶりでした。小倉城、小倉城庭園、松本清張記念館は勿論のこと、世界遺産の一つである官営八幡製鐵所旧本事務所眺望スペースではボランティアの方に詳しく教えていただけましたし、TOTOミュージアムも日々その恩恵に浴する人類の一人として外すことはできません。
サンドイッチファクトリーOCMさんのオリジナル&チキンとクリームソーダ、シロヤさんのオムレット、揚子江肉まんといった北九州の皆様が長く愛するソウルフードを堪能することもできました。パンも定食もおいしいものだらけです。ぬか炊きやよもぎうどんは時間がありませんでしたが、是非次の機会には味わいたいと思います。
今日で47都道府県フルマラソン完走となりましたが、想像していた通り、走り切った時に特別な感じはありませんでした。“あぁ、今日もめっちゃ楽しい42.195kmだった!知らない世界を楽しめた!”という、文字にするといつもと変わらないものになります。数字は別に誰かに誇るようなものでもないですが、どの土地でも親切にしていただき、笑顔で走ってこられたということは、自分だけの確かな宝物だと感じています。それ以上は望みようがありません。
北九州の皆様、この度はインパクト抜群の大会を開催していただきありがとうございました!歴史と進化の溶け合うこの街に、また遊びに来たいと思います!
すぐそこで開催される下関海響マラソン。坂に暑さにと速く走れる要素が一切ありませんが、とっても素敵な大会です。
大規模大会、シーサイドコースということで共通点も多く、コース難易度的にも近いのが神戸マラソンだと思います。真面目に走ったので写真はありませんが、よろしければ是非。
大規模大会でありながらご当地感も兼ね備える大会では、さいたまマラソンも印象的です。
続きのページでは、エイド、コース、観光など徹底解説していますので、北九州の楽しさも伝わるかと思います。写真だけでもご覧ください。
コメント、スター、↓のバナークリック、SNSなど何でもいいので読者の存在をお知らせいただけますと、私が足軽となり武将隊の捨て駒として大活躍します。
次回予告は、“いわき、ステキ、半世紀からはや8年!”です。
前日
いざ小倉へ
目覚めると6:58。ものすごくギリギリです。しかし深呼吸をして体重を測り、納豆、チーズ、ヨーグルトを食べて食器を片付けるだけの時間はありました。駅まで小走りでしたが、どうにか間に合ってよかったです。
金曜の夜は豚バラ、ほうれん草、人参、葱を炒めて、シークワーサー胡椒と今川酢さんのポン酢で味付けしたものがメインでした。
五島市のふるさと納税返礼品でいただいた、菓子舗はたなかさんのEXTRAブランデーケーキも超おいしいですね。ブランデーが効いていて、チョコも芳醇です。マスカルポーネと一緒に食べるとまたうまいです。
移動は07:50新大阪発→10:02小倉着のみずほでした。株主優待発動で13,160円(7,560+5,600円)です。これくらいの距離になると効きが大きいのでお得感があります。今年は株主優待が高いです(昨年は4,000円台で買えたような)が、まあこれだけ安くなれば文句はありません。
移動中読書は、角川ビギナーズ・クラシック『平家物語』でした。中学で習った「祇園精舎の鐘の声・・・」と熊谷直実・敦盛のくだりしか知らずに人生を終えるのは勿体ない気がしたので、全体を概観しようと思い立ちました。清盛の悶死を始めとする登場人物の悲壮な最期には人生観の違いも感じます。倶利伽羅峠の戦は金沢検定ともつながりますし、壇ノ浦も下関海響マラソンの際の記憶が蘇ります。細かなところでは、梶原景時の像が河口湖にあることも思い出し、全国を回るにも知識があった方が断然楽しいなと改めて思うところです。
ランナー受付
受付会場は駅からすぐで便利です。わざわざ遠くまで行く必要もありません。土曜はキッズマラソンが開催されていたようで、家族連れのにぎやかな声もよかったです。
10時15分頃だと受付はまだ混んでおらず、スムーズでした。衣類回収ボックスがあったので、着なくなった服を少し持ってこられてよかったです。こういう取り組みはありがたいです。
ブースは結構多く、それでいて無駄がないように感じられ、好印象です。この規模の大会なのにご当地感があったからかもしれません。北九州市の夜景で好きなものを選んだだけでエコバッグをいただけたり、ふるさと納税PRで水素の何かが入ったゼリーをもらったりと、大きな街なのに随分と気前がいいです。
下関海響マラソンブースもあり、抽選に参加したところ、B賞で過去大会Tシャツをいただいてしまいました。2019年のものっぽいので、出てすらいませんが、これはもう逆に積極的に着ようと思います。
ミズノブースも頑張っておられました。360°マルチポケットパンツは本当に使いやすいのでおすすめです。
小倉・八幡観光
とりあえず歩いていても大都市ぶりを感じます。商店街も大きく、人も多いです。マラソンのスタート台も準備されており、明日がまた楽しみになります。
小倉城
定番中の定番です。小倉城庭園、松本清張記念館との共通入場券が700円だったので、折角だからと購入しました。小倉城自体は、細川忠興(ただおき)が7年の歳月をかけて完成させ、その後小笠原氏の居城ともなっていたのですが、1837年に火災で焼失してしまいました。今の姿は、高度経済成長期の流れで再建されたものですので、大阪城や岡山城、小田原城などと感じは近く、ミュージアム的な構成になっています(松江城や松本城とは別路線です)。
お城の造りは、四階よりも五階の方が面積が広い珍しい構造で、唐造りと呼ばれていたようです。高さも全国6位ということですが、往時の惣構は驚く程広い範囲までカバーしており、その威容には圧倒されます。
館内の展示も面白く、草刈正雄さんのナレーションで小倉城の歴史を教われたり、もっこで石の重さを体験できたり、佐々木さんになり切って、宮本さんにしばかれたりすることができます。
最上階はカフェになっており、お城感はないのですが、それはそれで目新しい感じがして“これもありだな”と思いました。四階では市民の方の絵画が展示されており、地域に密着した場になっているのだと思います。
近年はエンターテインメント性をより重視しているらしく、小倉城武将隊の方が“明日マラソンですか?頑張って下さい!足が軽くなりますよ!”と足軽のお守りを授けて下さったのがとてもいい思い出になりました。
小倉城庭園
江戸時代の代表的な池泉回遊式の庭園です。書院棟ではお茶の席が開催されていたようで、こちらもできるだけ静かに歩くようにしました。そういうことも含めて、現地で起きることは楽しいことばかりです。
常設展示では小笠原礼法の解説や慶事に用いられる器や祭具、当時の食事や小倉織など、様々な展示があり、真面目に見ていると結構な量になります。小倉織が様々な文学作品に登場している(泉鏡花や太宰治など)というちょっと細かな情報が印象に残っています。
松本清張記念館
実は松本清張作品を読んだことがなかったのですが、今回の訪問をきっかけに読むようになるのもいいなと思いました。推理小説のイメージしかなかったのですが、実際は社会の暗部をえぐり出すような作品を多く残しておられるとのことで、読んでみたいと思うようになりました。
館内では、再現された自宅を周囲から見ることができるのですが、二階の書斎から伝わって来る空気は、痺れるようなものがありました。あの椅子に座って、あの場所で、何を考えながら言葉を書き残していったのだろうかと。
ミュージアムショップでは、金沢も登場する『ゼロの焦点』、ブックカバー、クリアファイルを購入しました。紙のブックカバーまでかけようとしてくれたので、勿体なさから断ろうとしたのですが、“オリジナルですよ”の一言に甘えて厚意を受けることにしました。この紙のカバーはレアです。
小倉城の周辺は、これだけでも見所が多いのですが、森鴎外も1899(明治32)年6月から2年10か月、第十二師団軍医部長として小倉で勤務していたことから、付近にも縁の地が複数見られました。
官営八幡製鐵所旧本事務所眺望スペース
スペースワールド駅まで電車で移動し、そこから10分程歩いて到着です。ボランティアスタッフのおじさまが、それはもう詳しく八幡製鐵所の歴史や他の世界遺産のことなどを教えて下さり、とても頭に入り易く、また、面白かったです(ブラタモリ気分)。
明治30年(1897)6月、八幡村に「官営製鐵所」が開庁し、明治34年(1901)2月5日には東田第一高炉への火入れが行われたとのことですが、「火入れ」という言葉は炉でしか使わない気がしました。
“明日マラソンでこの辺まで来ます”とか“明日で47都道府県フル完走です”とかこちらが好き勝手なことを言っても大いに喜んで下さり、応援までしていただけました。ありがとうございます。
スポーツデポのすぐ横にある東田第一高炉は昭和37年から47年までの10年間使われていたものです。腐食が見つかり安全点検中のため、中には入れませんでしたが、外から見ただけでも圧倒されました。
パン活
- サンドイッチファクトリーOCMさん
1978年創業の老舗で、北九州出身の方におすすめのお店を聞いたところ真っ先に名前が挙がりましたので、絶対に行こうと思いました。お店は二階で、長い時は階段の下まで列ができているとのことですが、11:10頃は階段の途中くらいで済みました。テイクアウトの方も多いので、意外と回転は速く、店内の座席もすんなり座れます(入店まで10分程度でした)。
メニューも勧められるままにオリジナル&チキンと、クリームソーダにしました。パンは勿論ホットサンドです。北九州女子の定番メニューといってもよいでしょう(女性客が多かったです)。このサンドイッチのたくましさたるや。オリジナルソースの味付けもたまらないものがあり、ここにかぶりつく時間は他のことを忘れます。
クリームソーダはあえて書く必要すら感じない程でかいです。どうやって食べてよいものか迷うくらいです。しかしこれがサンドイッチによく合うのです。そして子供の頃に食べた懐かしい味でもあり、少しほろりとさせるものがありました。アイスが氷にくっついてシャリシャリになっているところとかも。
- SHUN PAN LABOさん
ハード系のパンがおいしいということで狙って行きました。トリプルチーズチョリソーホットドッグは、焼き立てで温かかったこともあり、とびきり美味しかったです。味宝卵のだし巻き卵サンドは、あっさりした味わいでしつこさゼロです。パンはふわふわで、ハード系との違いも新鮮です。ふわっともっちり北海道産小麦クリームドーナツは、もうクリームが中に収まるつもりもなくはみ出てくる贅沢さで、こちらもとてもおいしかったです。
夕食
津田屋食堂さんにて評判のチキン南蛮定食にしました。チキン南蛮の甘辛ソースとお肉の柔らかさもよいのですが、やはり注目はこの惜しげもなくかけられたタルタルソースでしょう。これだけたっぷり乗ってくれて嬉しくない人などいません。うまいうまいと大喜びでいただきました。18時前だったからか、待ち時間なく座れてよかったです。
お宿
アーバンプレイスイン小倉さんです。何といってもスタートから近くて最高です。ギリギリまで眠れます。9,000円は私にしては奮発した額ですが、都会で土曜にこの立地ですから、相当安いと思います。多少年季は入っていますが設備も十分で、スタッフさんの応対も丁寧でありがたいことです。
今日は沢山食べたので、ご当地牛乳とチーズ一つを食べて打ち止めです。アミノ酸も念のため飲んでおきます。その後エイドのチェックや観光計画の確認などでだらだらとしていましたが、23:30には消灯しました。
レース当日
レース前
会場が近いので7時起床です。よく眠れました。Body Batteryは何故か72までしか行きませんでしたし心拍数47は普段より高いですが、そんなことは関係ありません。夜中も一度目覚めたくらいで、思ったより廊下が静かだったのは大きいです。
前日食べまくっているという自覚があるので、今回はいつもよりパンを一つ減らしてみました。今回の金沢スイーツ、別所のかすていらも朝食にしました。最後までエネルギー切れにはならなかったので、これくらいでよいのだろうと思います。
お腹も少しは目覚めてくれたので、シャワーを浴びてゆっくりテーピングやソックス、ワセリンといった準備を済ませます。ゆっくりし過ぎた結果、宿を出たのは8:07くらいになりましたが(遅っ!)、ミッションとしては“8:30の荷物預かり締め切りに間に合いさえすればよい”のみですので、問題ありません。8:24にはシューズも履き替え、8:27には荷物を託しました。係の女の子が“頑張ってください!”と言ってくれるのが嬉しいですね。
これだけギリギリでも間に合うのは、動線がよいからだと思います。紫川を渡る辺りでも、スタートブロックへの道と歩行者用の道が分かれているので、容易に進めてよかったです。何回やっても一切改善しないしするつもりもない大阪マラソンとは大違いだと感じました。
SAブロックは本当に近いので、直前まで公園で動的ストレッチをしたり、スタート前給水で準備したりできます。余裕を持ってアミノ酸も摂取できました。
そしてSAブロックはとても薄いので、ものすごく前の方まで行けてしまいます。スタート台の間近ですから、スタート直後に撮影などしたいという邪念が生じることすらありません。この距離で君原健二さん、増田明美さん、渋井陽子さんといったレジェンドのご尊顔を拝めます。すぐ横では(今年もぶっちぎりでフィニッシュした)北島寿典さんがおられたりで、私は完全に場違いでしたね。
スタート前の空気も和やかでしたし、司会の方や全体の調子もご当地感があってとてもよかったです。
【ちょっと真面目な話】
練習
別大で自己ベストを更新できたので、心身ともに一区切りとして一旦緩めました。週末もつい負荷をかけたくなるところですが、寒波到来で金沢もかなりの積雪となったため、結果的にオフとリカバリージョグに収まってよかったと思います。雪をギュッギュッと踏みしめる感触はよいものです。
一週間経って身体を動かしたくなったものの、あまり負荷をかけ過ぎるのもどうかと思ったので、2/11(火・祝)は10kmではなくレースペースインターバルにしました。
日:別大マラソン 2:54:50 PB
月:観光スロージョグ105分(15km、ナイキフリー)
火:オフ
水:有酸素ジョグ31分(Zone1, 5.29km,105bpm,185spm,Hanzo R)
木:有酸素ジョグ45分(Zone2, 8.43km,115bpm,186spm, ライトレーサー4)
金:有酸素ジョグ51分(Zone2, 9.80km, ターサーRP3)
土:オフ 雪かき!
日:有酸素ジョグ120分 雪道(Zone1, 21.05km,122bpm,185spm,デュエルソニック3)
月:有酸素ジョグ60分(Zone3, 12.11km,130bpm,192spm,ライトレーサー4)
火:レースペースインターバル1km×12(レスト90秒, 3:58/km, ソーティマジックLT2)
水:有酸素ジョグ37分梅観賞(Zone1, 6.52km,111bpm,186spm,エボライド)
木:有酸素ジョグ51分(Zone3, 10.27km,129bpm,191spm,Hanzo R)
金:有酸素ジョグ35分(Zone1, 6.13km,115bpm,184spm,ズームフライ4)
土:オフ
練習はそれなりにはできていたものの、このところ左臀部が気になるため、そこまで必死に走るつもりはありませんでした。腰や臀部周りだけでなく、背中や腹筋も積極的にほぐすようにしています。
シューズ
道マラ以来二度目のヴェイパーNEXT%3さんです。勝負シューズMETA SPEED EDGE+の次につけるハイエンドシューズですが、タイムを全く度外視する大会で履くには惜しいためなかなか出番が回ってきません。しかし“終盤でも脚が回るためピッチ走法にはとてもよい”という天の声を受け、履きこなすためにもご登場願いました。
後にも書きますが、シューズ自体はとてもよいものの、私には合っておらず、走行距離112kmにして大破という悲劇に直面しました。
ウェア
10年前から買い直しつつも着用しているアンダーアーマー水色ノースリーブ、ミズノマルチポケットパンツ、ザムストソックス、ニューハレ踵二重と一切の無駄のないストロングスタイルでした。
完璧な曇りだったため、キャップは不要と判断しました。最後まで日は出なかったので正解でした。手袋などの防寒具も勿論なしです。
持ち物
ジェルフラスコ二つに、経口補水液(1/2袋に水250mlくらいで濃くはない)にアミノ酸1/2袋を溶かし、それぞれマグオン蜜柑味とコーダプラムを混ぜました。後者も不味くはなかったので、ありっちゃありな配合です。
レース
序盤~前半
- 序盤(緩い上りだからか早々に決着)
スターターは君原健二さん。号砲からたったの4秒でマットを通過してしまいました。周囲が速くて速くてついていけませんので、邪魔にならないつもりのペースで走りますが、ガンガンぶち抜かれます。もっとスピードが出ているつもりでしたが、入りは4:30/kmで、“今日は駄目な日かもしれない”と弱気になります。
SAブロックはとてつもなく速い人のためのエリアだったようで、陸連登録してたまにサブスリーというだけで私のような者を放り込んだのはどうだったのでしょうか。個人的にはスムーズでお得でしたが。最初の跨線橋で2:50:00のペーサーさんに抜かれ(後ろにおられたのですね)、デンソーの池内綾乃選手にも軽やかに置き去りにされます(今日から応援させていただきます)。私は、“意外と速く走れているので、その流れで最後まで行けました”というような域には達していないのです。
全然上がらず4:30/km辺りを連発していますので、早い段階でサブスリーのペーサーさんにも10分ちょいであっさり抜かれます。“まあそんなもんだよな。別大頑張ったし、スロースターターだし、ちょっと上っているし。昨日も明らかに歩き過ぎだったし。いい時は5kmから上がるけど、上げたところでエイドで止まるしな。”などと早くも速く走る路線に見切りをつけます。ちなみに5kmで437人もの方に抜かれています。遅くてすみません。
沿道で応援して下さる方も多いですので声援に応えたり、写真を撮ったりしながら進んでいきます。太鼓の音は遠くまで届きますので、準備がしやすいです。
最初のエイドは5kmで、緩やかに上りながらだったと思います。遠くの山(皿倉山でしょうか)を見ながら進んでいくと、急に下りに切り替わり、一気に走り易くなります。ガーミンさん的には、それまでキロ4分20秒台だったところが、4分10秒台も普通に出るようになっていました。下りも応援が多く、気持ちよく下っていけます。
7kmで手元31分ちょいくらいだったと思います。今思えばそう悪くはありません。
- 前半(製鐵所跡から街中へ)
8km行かないくらいで、昨日も来た東田第一高炉跡の迫力のある姿が見えるようになります。どんどん近づいて来ますが、本当にでかいです。“かつてはこの辺り一帯に工場が立ち並んでいて、七色の煙が上がっていた。環境汚染もひどかった”といった昨日のボランティアスタッフさんの解説を思い出していました。
右折すると第二エイドですが、ここはあの安川電機の皆さんが給水を担当しておられ、中本健太郎さんや北島寿典さんになった気がして士気が上がりました。
イオンの横は少し上りますが、左折するとまた一気に下ります。下りの途中で私設エイドでしょうか、何やら用意していただいているのが見えましたので、スピードを落としてみたところ、食べやすいサイズにカットしていただいたバナナでした。この一手間がランナーにとってはありがたいのです。バナナ丸ごと一本ボーンでもネタにはなりますが、ゴミ箱に間に合うか問題や食べにくさ問題もありますので。
10kmにもエイドがあり、給水はバッチリです。取ってコップ一つ、取らなくてもよいと判断するエイドもいくつかあるくらいで、非常に恵まれています。後の方のテーブルでコップを取るとゴミ箱に間に合わないこともありますが、少し行った先にゴミ袋を持っていて下さるスタッフさんが常におられ、確実に託すことができました。この辺りも大会としての完成度が高いです。
10kmの先に少し上りがあり、若戸大橋が遠くに見えます。もっと近くまで行くかと思いきや、この坂の上でないと見えなさそうです。この坂の下りでは、子供達が力強く太鼓を演奏してくれていました。
12kmは戸畑駅の辺りでしょうか。大型商業施設も増えて来て、大都市の空気を感じます。卓球の早田ひな選手が北九州のこの辺りのご出身だったような。13km手前の戸畑郵便局の辺りは軽く上りますが、そこまで辛いものではありません。応援が多くて嬉しいことです。ランナーからはよく見えていますし、声も届いています。コースも広くて走り易いです。
14kmで手元1時間1分ちょいでした。実はこの辺りでは本当に珍しいことに若干腹痛の気配を感じており、“47都道府県ラストの思い出が初のトイレピットインになるかも。でもそこで自分を過信して悲惨な事態を呼ぶと最悪なので、やばくなったら尊厳を取ろう。”などと普段考えなくて済むことも考えていました。最終的に一切トラブルなしで終われたのは、本当によかったです。
中盤
- 中盤①(豪華給食陣がお目見え)
15kmのエイドからは待ちに待ったご当地給食が登場します。ここは、ネジチョコを確実にゲットしました。公園のベンチからロケットランチャーまで生活の隅々に使用されている(であろう)ネジを模した北九州ならではのお菓子です。
この一袋にボルトとナットが入っており、嵌めこむこともできるという趣向の凝らされた面白いお菓子なのですが、指先が冷たかったので開封の儀に苦戦し(2分以上格闘)、開けたら開けたで二つをファンブルしないように取り扱わなくてはならない上に写真も撮らなくてはならないというハイレベルなプレイをこなす展開になりました。味もよかったので、お土産に買いました。
17km辺りで高速道路?の高架横を通りますが、ここも薄い黄緑の鉄骨が何とも一大工業都市感を放っており、北九州ならではだと思いました。アンダーパスは短いですが、北海道マラソンや熊本城マラソンを思い出す場面でもありました。
18kmのエイドでは、小さなマドレーヌとランデヨイトサが出ると予習しており表示にもそう書いてあるので、いざ取らんと接近すると、どう見ても普通のクロワッサンしか見当たりません。しかし差し出してくれていますので、ありがたく受け取り(それも二つも)、とても喜んでいただけました。折り返しつつ食べたのですが、やけにおいしく、その辺のクロワッサンとは異なると分かりました。後で見るとクラウン製パンさんのものとのことで、こちらも北九州のご当地フードでしたね。ごちそうさまでした。
日本製鐵の工場もあり、しみじみ北九州にいるのだと感じます。また高架の横を走り、下りになる頃に19km付近の西小倉駅まで帰ってきます。
20km過ぎではペアリレーマラソンの中継点もあり、人も多く、司会の方の声も明るく、盛り上がっています。“ここまで戻って来たな。後は10kmくらい行って帰って来るだけか”と気持ちも楽になります。
21kmで手元1時間31分くらいです。中間点はグロス1:31:33でした。
- 中盤②(自分史上最大の羊羹を)
22km辺りになると、左手に海が見えてきます。風は前から吹いていますが、幸運にもそよ風レベルで気になりません。“いい眺めだな”と思いながら淡々と走っていきます。
23kmのエイドでは、たこめし、栗饅頭、フレンチパピロ(抹茶)が出ますので、全て確実にゲットしました。
食べ易い順番を冷静に判断し、まずはたこめしからいただきます。タコ殴りとかタコ部屋とかとは一切関係なく、純粋にタコが入っており、おいしさとタウリンが染み渡ります。食べやすいサイズと包装も、“この大会はランナー目線で考えてくれている”とよくわかるものでした。
続いて栗饅頭もいただきました。栗あんがおいしく、これは元気が出る給食です。お茶と食べてもいいですね。フレンチパピロは軽さ、小ささ、包装を落とすリスクなどを総合的に考慮し、腰のポケットに収納して走りました。
25kmは門司駅の傍ですので、下関海響マラソン後にちょっとだけ来た門司赤煉瓦プレイスも見られて、“割と近いんだな”と思うと共に、記憶も蘇りました。沿道には応援が多く、“マラソン大会は本当に沢山の方の善意で成り立っているのだ”と感じていました。
赤煉瓦の建物を左手に眺めて進むと、向こうから先頭の選手がやって来ます。今回も北島寿典さんがダントツで走って来られました。やはりオリンピアンは違いますね。かっこよかったです。
さて、この後事件が起こります。27kmエイドでは小倉わらべと銘菓くろがね羊羹を取るぞと予習しており、前者は軽やかにゲットできたのですが、後者はスタッフの男性が差しだしてくれているものが、明らかに羊羹丸ごと一本なのです。“こんな高級品を贅沢にいただいて本当によいのだろうか”と思ったものの、身体は正直ですので、しかと受け止めました。“でかい!でかい!”と笑いながら走っていたので、沿道の方からも笑い声が上がりました。分かり易さは正義です。
いただいたからには食べるしかありません。衛生面、風味などを考慮しても今走りながら食べるのが唯一の解です。まずは小倉わらべを腰のポケットに収納し、思い切りかぶりつきます。うむ、うまい。甘過ぎない一方で小豆の風味がしっかりしていてたまりません。それはとてもよいのですが、一向に食べ終わる気配が見えません。もぐもぐタイムはまだまだ続きます。結局、29km過ぎまで2km以上に渡って羊羹を食べ続けるという金字塔を打ち立てました。自分史上最大の羊羹でした。
28kmでは手元2時間1分7秒。しかしまだ羊羹を食べ続けています。
後半~終盤
- 後半(門司港レトロで折り返し)
高級羊羹を食べ続けて血糖値も爆上がり、とっても元気です。何としても30kmの給食までには食べきらなくてはならないというプレッシャーもありつつ、何とか完食しました。そして息つく間もなく30kmエイドではマンマ・ミーア岡村大根をいただきます。“おでんみたいになっていたらコースアウトしよう”と思っていたのですが、小さく切っていただいていたので、上手く二つゲットできました。スイーツが続いていたところでホッとする味を挟んでくる辺り、ランナー心理を細かに解析していることは想像に難くありません。
門司港駅の周囲もまた一段とにぎやかになり、走っていてとても楽しいです。吹奏楽も力を貸してくれます。この付近で3時間のペーサーさんとすれ違いました。3分程のビハインドでしょうか。今更追いつくこともできませんので、“関門橋がよく見える!嬉しい!”という感情がメインでした。
関門橋、門司港レトロを視界の先に感じながら折り返します。ここで若干の余裕が生まれた(口とお腹に)ので、大事にしまっておいた小倉わらべをいただきます。一口でほろっと上品な甘みが広がり、また食べたくなりました。
そのまま帰らせてはもらえず、地味に謎の引き返しルートを走ることになりますが、折り返しの角度は緩やかですし、ここは一番海に近づくので、景色が楽しめてよかったです。
34km付近も海の真横を走ります。弱い追い風で、とても楽でした。特に力むことも、走れなくなる気配も感じずに進みました。北九州は色々な顔があり、その豊かな表情を感じられるコースです。正に関門海峡に当たりますので、対岸には佐々木さんと宮本さんがしばき合った巌流島があるはずです。
35kmはグロス2:31:10でした。真面目に走れば3時間1分台で終われますが、38kmには伝説の小倉牛丸焼きが控えていますので、先の展開は全く読めません。
- 終盤(思った以上に小倉牛!)
応援ステーションでのバンド演奏で力をもらい、風船の応援を裏からも見届け、エイドで急に止まる気満々のランナーを事前に察知して安全にやり過ごし、ただ変わることなく走っていきます。頭の中では、“小倉牛まであと13分くらい”と考えていました。
37km付近も変わらずフラットで走り易いです。往路のランナーさんも笑顔の方が多かった気がします。38km手前の応援ステーションではよさこいで盛り上げていただきました。力強さとリズムは、テンションも上がりますね。
そして、行く手にはついにエイドが見えてきました。何やら煙も上がっていますし、間違いありません。ここはただ食べるだけでは意味がありませんので、堂々とコースアウトして、文字通りの小倉牛丸焼きを間近で見学します。焼かれているお肉もうまそう過ぎます。
小倉牛はパックで提供されているのですが、ちゃんと味わいたかったこととゴミもすぐに捨てたかったことから、ここではしっかり立ち止まっていただきました。焼き加減は最高。香ばしくて温かいですし、肉汁も脂も格段にうまいです。フルマラソンどころではありません。バーベキューにしても突き抜けています。しっかりお礼を言って、お水もいただいてから再出発しました。この1kmはガーミンさん調べで5:15/kmということで、ロスはわずか1分程で済んだようです。ちなみにこちらでもフレンチパピロをいただきました。
さて、体力的には余裕があったのですが、前半から明らかにヴェイパーNEXT%3さんの感触がおかしく、アウトソールの底が剥がれているのは間違いないと思うようになっていました。クッションはよく、確かにピッチを上げるだけで程よく進んでくれるのですが、流石に足裏のバランスの崩れは脚にもよくない影響を与えていると感じました。
そこに加えて濃厚な小倉牛の香りが口内はおろか胃袋にも充満していますので、正直最後上げる自信はありませんでした。しかし“47都道府県フル完走は、いい思い出にしたいし”と40kmからは“トン”、と切り替えました。9分だけは切っておきましょう。安西先生も言いました。“肉を食べてからがフルマラソンですよ”と(言ってません)。
41kmまでもそう上がらないにせよ、キロ4近くは出ているはずなので、怯まずに進みます。“小倉牛を食べている間に置き去りにされたランナーさんに負けてたまるか”という謎の意地や、“残り550mってどれくらいかかるのだろう。2分ちょいだろうけど”というようなことを思いつつ、ピッチは高く保ちます。
42kmまで来ると“よぉ帰って来て、あんたは偉い!”といった言葉もいただきます。右折すると思ったより近くにフィニッシュゲートが見えて“もう終るのか”と思いましたが、冷静に考えるとそれくらいの距離ですね。47都道府県のどこに行っても大事にしてもらえるランナーのありがたさを胸に刻みつつ、マッスルポーズでフィニッシュしました。
アフター
会場
鉄鉱石をイメージしたデザインに小倉織のストラップが馴染む完走メダルをかけていただき、ドリンクをいただいてからチップを返却します。アミノバイタル粉とアミノプロテインも即摂取です。フランソアのメロンパンも福岡らしいですね。おさかなのソーセージを配布しているおばさまに、とても楽しかったこと、47都道府県のフルを完走できたことをお伝えすると、とてもよろこんで下さりました。
荷物の返却はスムーズで、“そんなにでかい声を出さなくても”と思うくらい元気いっぱいに高校生?が番号を呼んでくれて、和みました。ただ、更衣スペースが参加人数からすると信じがたいくらい狭く、既にかなりいっぱいでした。誰しもこのままではまずいと思っているため、着替えを終えると(長居はせずに)スムーズに更衣室から出ていかれるように感じました。
ヴェイパーNEXT%3さんは、左踵はべろんべろん、右踵は消失という惨憺たる有様でした。私がこんな形でシューズをすり減らすことはここ数年なかったのですが、走りに合っていないということなのでしょう。黒爪はなく、フィット感はよかったのですが。あの段々のアウトソールは引っ掛かり易そうですし、現に捲れてしまっているので、走り方にもコツが要りそうです。流石にもうフルでは履けない損傷ぶり(練習でもどうかと)ですので、さが桜はEDGE+さんかヴェイパーNEXT%2さんのどちらかになると思います。
更衣室の面積を犠牲にした分、エキスポのブースと表彰式が行われるステージも建物の中にありました。雨風を考えるとそれもありだと思います。珈琲がふるまわれたので、ありがたくいただきました。下関海響マラソンブースではティッシュとふく煎餅までいただいてしまいました。東北・みやぎ復興マラソンが終了し、ぐんまマラソンが3日ではなく4日ということを踏まえると、今年の11月3日は下関もあるかもしれません。
プロテインを飲みプロテインバーを一本食べたところで気づいたのですが、どうしたことかあまりお腹が空いていません(ヒント:27kmと38km)。それでも野菜たっぷりの豚汁は魅力的でしたので、300円という良心的な価格にも惹かれて購入しました。飲食スペースもまだ座れる場所があったので着席し、おいしくいただきました。味噌があっさりしていたのが新鮮で、具沢山の野菜の仕上げに食べやすい春菊を最後に乗せるという乙な逸品でした。福岡も農業が盛んですしね。
会場は恐竜スーツを着た子供達のイベントがあったり(大人数で動き回っている姿は、画的に面白かったです)、沢山の出店があったりと、流石北九州の方はお祭りが好きだなと思いました。別に関西の大会に恨みがあるわけではありませんが、“神戸マラソンだったら帰るしかないよなあ”と、地域差を感じます(私の中では神戸マラソンは真面目に走れさえすればよいので、満足しています)。
小倉観光
華の湯 片野店さん
13:40小倉発のモノレールで移動しました。片野駅から歩いてすぐです。着いた頃はかなり混んでいてロッカーの空き待ち状態でしたが、私が帰る頃(14時半頃)には落ち着いていました。水風呂もあったので、念入りに交替浴をしておきます。サウナはとても混んでいたのでパスしましたが、リカバリーは進んだと思います。タオル持参で入浴料800円です。
TOTOミュージアム
片野駅からも歩ける距離だったので徒歩にて訪問。世界のTOTOの成り立ちから始まりその発展の姿を学べますし、誰もが気になって仕方がない便器の歴史や最新技術についても知ることができます。
水回りの進化は目を見張るものがあると感銘を受けると共に、昭和の住宅のトイレやキッチンに懐かしさを感じました。自分も年を取りましたし、色々な思い出があって今に至ったのだなと。
揚子江さん
歩いていると運よく発見。小倉を代表するソウルフードの豚まんが食べられる大チャンスです。割ってみると豚肉と玉ねぎのあんが輝いており、ジューシーな味わいもたまりません。生地にもこだわり、一つ一つ手包みかつ低温で時間をかけて作っておられるとのことです。よいものはやはり違います。
シロヤさん
こちらも長く小倉で愛されるお店で、小倉観光ではマストです。全体に売り切れ寸前でしたが、名物のオムレットとレーズンパンを購入しました。オムレットはミニサイズで、その懐かしい味は、今の若い世代にとってもまた懐かしい味として受け継がれていくのだろうと思いました。レーズンパンは小豆かと思うくらいの勢いでレーズンがぎっしり詰まっています。どちらもおいしかったです。
新幹線改札内でお土産の栗饅頭とネジチョコを買い(くろがね羊羹を買わずすみませんでした)、17:12小倉発→21:18新大阪着のこだまでのんびり帰りました。バリ得で10,800円とお安いです。時間はかかりますが、移動中に振り返りをこなせるので、帰りに長時間椅子に座っていられるのはむしろありがたいのです。
帰宅後、シャワーを浴び、納豆とヨーグルトを食べ、洗濯・乾燥を済ませて日常に戻りました。マラソンは何回走っても幸せなものだと思いながら。
最後に
これまで行ったことがなかった北九州は、歴史も新しさもある街で、暮らしている方も元気な方が多いように感じました。街を歩いていてもお店の中に入っても、何だかエネルギッシュな気がしましたし、この街のことが好きな気持ちも、単なる都会とは異なるように思いました。だからこそ、お祭りも盛り上がりますし、歴史も継承していけるのだと思います。
マラソン大会は気合も入っていますし、運営もスムーズで工夫を重ねておられることが分かります。何年か前に定員割れになっていたかと思いますが、是非多くのランナーに走ってみて、その街の力と、衝撃のエイドを体感してほしいと思います。間違いなく、他の大会では生まれない強烈な記憶が生まれることでしょう。
大会に関わって下さった皆様に、改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
ここまでご覧いただきありがとうございます。