旅ラン東北最後の一県だった岩手県、2018年秋にリーチがかかりいわて北上マラソンで制覇のはずが4度の中止と大会消滅で一体いつになることかと思っていましたが、ついに走らせていただけました。
今回のテーマは「なめとこ山を体感せよ」とありますが、それだけで済むはずはなく、とにかく景色は雄大ですし、応援・エイド・スタッフの皆様は滅茶苦茶いい人ばかりですし、岩手の良さを身に染みて感じる素晴らしい旅でした。自分が縁あってここにいられることに感謝し、生きる喜びが溢れてきました。
走っていて、沿道に出て応援して下さるおばあちゃん、車から手を振って下さる方、ここぞという時に現れて心と身体が欲するものを的確に提供して下さるエイド、交通整理にご協力いただいた誘導員さんと地域の皆様全員から力を借りて、終始楽しく走ることができました。
コース自体はまずまずハードです(いつの間にか自覚のない疲れが溜まる感じです)が、上りも息が上がる程ではなく、白山白川郷ウルトラマラソンに比べると短いので、フル3時間10分くらいの走力があれば走り通せると思います。最後まで余力を残す走り方で9時間45分くらいでした。
終了後も盛岡観光でじゃじゃ麺を食べたり、石割桜や盛岡城跡公園を巡ったり、岩手銀行赤レンガ館やもりおか歴史文化館を見学したりと、存分に岩手を楽しみました。
今回のいわて銀河100kmマラソンに参加させていただき、岩手を堪能できた時間は一生の思い出です。岩手の皆様、最高の大会をありがとうございました!
2024年にはいわて奥州きらめきマラソンに参加しました。フラットコースにエイドの江刺リンゴ、中尊寺金色堂や木村栄記念館などの観光など、こちらも大いに楽しませていただき、岩手がますます好きになりました。
東北のウルトラといえば秋田内陸リゾートカップ100kmも素晴らしかったです。ババヘラアイスもふるまわれますし、秋田の伝統芸能も、見事な田園風景も見られて最高の時間でした。
コースやエイドの写真、移動や観光のメモなどは次のページにあります。長いですが、写真をスクロールするだけでも大会の様子が掴めるかと思います。コメント、スター、↓のバナークリックなど、何でもよいので反応をいただけますと、私が銀河の向こうに旅立ちます。
前日
力を貯めに貯めるべく、8時過ぎまで眠ります。東尋坊愛のマラニック103kmの後は、中7日で日曜に2分オン1分オフ15本(芝生)以外、キロ7分半より遅いスロージョグで平地をうろうろしたり、そもそもオフにしたりと回復に努めてきました。走らなくても朝食はがっつり食べます。翌朝4時スタート、最終の送迎バスは3時ということですので、夜は大至急寝る必要があります。昼もたっぷり食べ、必要な栄養は蓄えておきます。
荷物も現地で一切考えなくてよいよう、全て準備しておきます。朝はギリギリまで寝たいので、携帯するものは一つの袋にまとめます。今回はレストステーションにも荷物を運んでいただけるので、到着時に取り出しやすいよう、色のついた袋に取り出したいものを入れることにしています。でかい袋に何となく入れていると、思いの外袋の中から探し出す手間がかかりますので(疲労時の判断能力の低下と焦燥感をなめてはいけません)。
終了後の給食と、シャワーが使えるらしいのでタオルにボディソープも持参します。こちらも一つの袋にまとめておくと迷わず便利です。あと、これは地味ですが、レース以外では歯ブラシ、歯磨き粉、デンタルリンス、フロス、コインランドリー用の洗濯ネットと洗剤(新たに買うとすごく余る)も大事ですね。遠征らしい遠征は2年ぶりですので何かと忘れている気もします。部屋着や翌朝のジョグ用のウェアを考えると結構なボリュームになりますが、まあリュック一つには収まります。
二年以上ぶりの神戸空港は受付が少し変わっていたものの、別に困ることなく搭乗し、ブランクを埋めるようにあっさり飛び立ちます。とは言え、久しぶりでしたので緊急時の案内を(一番前の席で)真面目に聞きました。フライトアテンダントさんもやりにくかったかもしれません。機内は空いていて快適でした。こんな機会もなかなか無いので、生まれて初めて飛行機でリクライニングを使いました。途中から雲が晴れ、広い大地を眺めながら、これまでのこととこれからのことを思います。ちなみに機内ではシャトレーゼの焼き菓子まで振る舞われました。FDAさんありがとうございます。
空港から北上直行のバスは少ないのですが、案内所の方に教えていただき、花巻空港駅までバス、そこからJRなら早く着くとのことで助かりました。バスは交通系ICカードが使えて便利です。途中で他の参加者の方にも話しかけていただき、やっぱり大会はいいなあと思い出しました(こういう時は話しかけてほしいオーラを出すため、分かりやすい服装を選びます。今回は直近の黒部名水マラソンTシャツでした。)。
18時には宿に着き、「出発は何時頃ですか?」「2:30くらいです」「ですよね~」といういつもの和やかなやり取りを交わします。北上パンションホテルさん、ありがとうございます。
そのまま大人しく寝ればよいのですが、やはり北上もどんな所か知りたかったので、夜の街に繰り出します。繁華街はスナックが多く、旅行に来た感が強まります。さくら野百貨店は、一階しか行けませんでしたが、地域のお菓子や食べ物が多くて楽しい場所でした。卵、牛乳、チーズとパンを仕入れて帰宅です。少し食べて風呂で身体を軽くほぐして明日に備えます。結局だらだらしたこともあり、就寝は9時前になりました。耳栓をして少しでも眠れるように努めます。
当日
レース前
何とか2時に起きられました。朝食は歩きながらでもできるので、後回しにしてまずは着替えです。前日の準備のお陰でスムーズに進みます。
持ち物はアミノバイタルプロ2本とムサシの計3本、傾向補水液のジェルフラスク2つ、メダリストのアミノダイレクト、塩熱サプリ5つです。レストステーションには日焼け止め、アミノバイタルゼリー、アミノバイタルプロ、一本満足バー、塩熱サプリです。給食ではフルーツがいただけるという事前情報があったものの、東尋坊愛のマラニックのようにひたすら食べる大会ではなく、どちらかというとシリアスな大会なので、自分で多めに準備しておきます。そしてやはり今回もジェルは不要と判断しました。開始前にアミノバイタルプロを一本飲みました。
雨と曇りがメインなので、暑さは大したことないと考え、サンシェードはなしです。キャップのみでいけるはずです。脚の筋肉の保護と日焼け対策としてミズノのバイオギア、疲労軽減と捻挫防止のためニューハレ二重、これもいつも通りです。日焼け阻止のアームスリーブは、スポーツデポの安いやつです。ウルトラでの身体の変化のデータをもう少し取りたいので、心拍センサーとランニングダイナミクスポッドも装着します。
シューズは、東尋坊愛のマラニックに引き続きasicsのエボライド(初代モデル)です。2と少し迷いましたが、初代モデルの方が反発が強くて自分好みなのと、2はまだ馴染んでいないように思ったことから、こちらの方が成功確率が高いと判断しました。
今回はasicsではエボライド2か3、ライトレーサーに加え、メタスピードスカイかエッジの方までおられました。ターサーも見かけ、ちょっとすごいなと思います。ナイキ勢も人気で、ヴェイパーやアルファ、ズームフライ、ライバルフライ、ペガサス(多分)辺りが見られ、かなり本気のシューズを選ぶ方もおられる印象でした。ニューバランスのHanzoでリズム良く走っておられる女性も見られましたし、adidasもそこそこ見ましたが、ミズノはライダーがいたかいなかったくらいだと思います。ホカオネオネもウルトラになると急に存在感を放ちます。
宿を2:50くらいに出ると(ギリギリやないか)既に雨が降った跡があり、今日はどれくらい降るのだろうかと考えたりもします。狙い通り3時発の最終便に乗りましたが、実際は乗り遅れが生じないよう3:10くらいまで待っていました。早く着くのを好まない自分には好ましい展開ですので、とにかく目を閉じて一分でも脳を休めます。
スタート会場の北上市陸上競技場は、聞きしに勝る立派な作りで、とにかくきれいで快適です。ここでいわて北上マラソンのフィニッシュを経験したかったな……と思いました。トイレも男性小なら余裕がありましたので、一応行くだけ行っておきました。
スタートは隣の補助競技場なので、歩いて移動します。いくら夏至直前かつ東日本でもまだ暗いです。MCさんの明るい声、室伏広治さん達の激励のメッセージに鼓舞されます。大谷翔平選手、のご親戚の方のメッセージで和むというのはおそらく鉄板ネタかと思います。大谷翔平選手や菊池雄星選手、佐々木朗希選手が過ごしたのが岩手だったと改めて戦きました。
レース
序盤~前半(なめとこ山に入るまで)
まずはトラックを回り、トラックを出たら北上総合運動公園をぐるぐると回ります。気づけば5kmくらいで、このまま100km走らされるのではと不安が頭をよぎる頃にようやく外へと旅立つことが許されます。運動公園周回では、まだ暗いため足元が見えにくく、地味に凸凹に嵌まりやすいのが注意点です。私は序盤から二回足を取られかけて冷や汗をかきました。
6.2kmで最初のエイドですが、この付近では雨が強く降り、この先の道のりが不安になります。でも冷静に考えると、シューズが濡れるのはどうせ避けられず、多少気持ち悪いくらいくらいのことですし、暑いより涼しい方が絶対にいいので、特に悲観的になる必要はないのです。唯一の問題は、スマホ操作が躊躇われるくらいで、このエイドだけ撮影できずでした。アクエリアス、水、個包装の梅やお菓子です。
ここで応援の方からの「すぐ止むよ!」という声に「本当かな?」と思ってしまいましたが、その後は天気が安定していたので、あの男性は気象予報士か何かなのだろうと思います。
期待通りの緑の中を少し上ります。この辺りではとにかく上げずに体調の確認がメインです。何せまだ4時台です。こんな時間に走ったことはございません。感覚的に絶対に最後まで持つペースに抑えつつ、心拍数も上がらないことを確認します。
右折して少し行くと下りになり、11kmのエイドです。ここも最初と同じく、飲み物と個包装のお菓子などです。水分はまめに取っておきますが、食べ物はまだ不要と考えました。
橋を渡って少し上り、14.7kmのエイドに到着です。ここも過去二つのエイドと同内容です。下りに転じて上りに切り替わる辺りに21.2kmのエイド、ここも同内容ですが、確かトイレに行列ができていたような。北上線を陸橋で跨いだ先?のファミマ前の信号で20秒程止まりましたが、それよりも6時台からわざわざ応援して下さる方がいることに感謝していました。
緩やかに上り、24.4kmのエイドですが、何とここもこれまでと同じで、この大会はこのまま最後まで行く修行モードなのか、蛙の声がよく聞こえるばかりじやないか、と誰しもが思い始めた頃、28.8kmのエイドでは待望のコーラ、スポーツ羊羹、そしてわざわざ個包装にしていただいた林檎までが登場です。正に“万を持して”でして、最初5kmの周回からの解放よろしく、人の心理を知り尽くした心憎い演出に誰もが普段以上の安堵に包まれます。
その先に高村光太郎関連の施設があったような気もしますが、確か熊への注意を呼び掛ける看板もありました。危険な場所ではクラクションを鳴らして熊にも存在を知らせて下さっていました。35.4kmのエイドではいよいよ銀河なめとこライン突入直前ということで、エイドの皆様のテンションも上がっています。パンをいくつも勧められ、控え目に一ついただいただきます。ベリーベリーとクリームチーズのパンをもぐもぐと食べつつ、温泉郷を通り、段々と山が深くなることを感じとります。この辺りでアミノバイタル粉を投入したと思います。
中盤(上って下ってレストステーションまで)
40.1kmのエイドではやはり銀河なめとこラインがそうさせるのか、元気いっぱいの激励が続き、断り切れずに梅を三つも掴まされました(笑) こういう応援、大好きです。あと、このエイドでトイレ休憩を入れました。二基しかなかったものの混雑もなさそうでしたし、後半はできるだけ行きたくないので、余力のあるうちに済ませておくことにしています。今日はこの一度だけで足りました。
ペースは無理せず、大体42.195kmでサブ4くらいです。経験上、これくらいのペースであれば全体として成功で終えられる確率が高いです。それにしても周囲の方はえらく速く走っておられるように感じられ、全体のレベルが高いのか、後半落ちてくるかのどちらかだろうと考えていました。いずれにせよ自分は淡々と、最後の最後まで余力を残すいつものスタイルで行けばよいので、あまり気にしません。
44.2kmのエイドでは何とアミノバイタルゼリー(数種類ありました)まで用意していただき、これは肉体的にも精神的にも大いに助かりました。この先は上りがきつくなり、かつ57.5kmの最高点までは基本上りで、その時点でどれくらい疲れているのか分からないため、誰しも不安を感じます。私はこの辺りで既に腹筋の奥の方に疲労を感じ、これは結構上っているのではと思いました。
それでも豊沢ダムの景色はきれいで、走っていて気持ちよかったですし、何せなめとこ山ですので、不思議なことが起きるかもななんて考えているうちに、距離も進むものです。49.6kmエイドでは林檎様再登場で士気が上がります。50kmで10分程貯金ができたので、下り基調の後半と余力からして、十分10時間は切れそうだと考えました。
次のエイドまでは7km以上空きますし、前腕から肘を強めに振る必要がある坂が続き、一番しんどい気分になるかもしれません。ただ、トンネルに入る直前で私設エイドを出して下さっている方もおられたので、きっとお世話になったランナーも多いことでしょう。
私は前日に、高低図にエイドとトンネルの位置を書き入れる作業を行っていたのですが、何を勘違いしたか長いトンネルは最高点の後だと思い込んでいたため、「このトンネルは何だ?」と思いながら、しんどくないペースで腰から前に倒れる感覚で進みました。概ねキロ6分30秒くらいまでの落ち込みに抑えられましたし、イメージ程きつい坂ではなかったため、然程苦しむことなくトンネルを抜けて最高点のエイドに到着しました。これはいけると油断も生まれます。コーラを沢山飲み、アクエリアスもジェルフラスコに補充していただき再出発です。
この先の下りは本当に爽快なものでした。雄大な山の新緑に、ただ身を委ねるだけの時間、何年も走っているからこそ経験できる、もう他では味わえない瞬間なのだと、生きてきた喜びすら感じました。ウルトラはこういう瞬間が訪れるのがたまらないのです。
その後も緑とせせらぎの道を快適に進みます。日陰も比較的多く、涼しいのも助かりました。61.9kmエイドまでは下っているだけなのにコーラまでいただき、楽勝ムードが漂います。
この後もこの調子でいけるだろうと軽い気持ちでいましたが、ふと見るとレストステーションを前にしてキロ6を越えてしまい、異変を感じます。普段ならこの落ち込みはもう10km以上行ってから起きることですので、早すぎます。体力の衰えか、あるいは上り下りで間違った走りをしてしまったのか、そういえば右ふくらはぎに若干つりそうな感じがあるな、左足小指も擦れていると次々に不安要素が湧いてきます。実はここは緩やかに上っていたため、意識しないと落ちてしまいがちなエリアだったのですね。足の違和感は残念ながら当たっていましたが。
ペースが落ちていようと残りは30kmちょいですので、いけるはずです。大崩れは厳禁なので、レストステーションにはしっかり立ち寄り補給します。ここで10時30分です。まずはエイドで食糧補給と共に手持ちのアミノバイタルプロを使い切り、荷物を受け取り、予定通り日焼け止めを塗りたくり、アミノバイタルプロ、経口補水液の補充などを行います。一本満足バーは見送りました。かぶり水は出発前に浴びましたが、日焼け止めの前の方がいいですよね。ここではCGCのすけそうだらソーセージが提供され、「あ、ふれ愛交差点(※)に載ってたやつだ!」と思って受け取ったのですが、そこで食べる余裕はなく、荷物袋に入れて後でいただくことにしました。(※CGCグループ加盟店に置いてあるレシピ満載の情報誌。このブログの数少ない読者さんに分かるのか?)
後半~終盤(上りを粘れば下りに。最後まで笑顔で)
この1kmは11分台でしたし、大体エイドに寄ると1分以上遅くなっているのですが、かぶり水、写真撮影、お礼や会話(大阪から来ましたとお伝えすると大抵喜んでいただける)も欠かせないので、それは必須だと理解した上で残りの距離と持ち時間を考えます。
どう考えてもキロ6ではまずいので、時速10kmは下回らないようにします。いつもならウルトラではタイムの計算などしなくてもそこそこで終われるのですが、今回はここまで来たからには絶対に成功させていい思い出で終わりたいという思いが強く、ひたすら時間を気にしました。「頑張ったけど10時間0分何秒だったよ」と「頑張って10時間切ったよ」では、伝えられる感情が全く異なります。こういう時には正しい動きだけが助けになるので、できることをやるしかありません。ピッチ維持に専念し、この辺りは190spm以上に回復しています。
次のエイドは69.4kmと割とすぐな上、アミノバイタルゼリーまでいただけてまた気力も戻って来ます。エイドの方もノリが良く、写真撮影に応じて下さりました。お陰様で完走できましたよ。ありがとうございます。73.5kmエイドでもコーラをいただきます。
しばらく10.2kmくらいでやきもきしつつ進みますが、トンネルに入る前くらいで10回以上完走のロイヤルギャラクシーマスターズクラブの方(ゼッケンが紫で名前が印字されています)に抜かれたので、これはこの先上げるべきなのではと考えました。とはいえ、トンネルもあまり速くないままだったのですが、外に出てからは明らかに下りになり、勇気づけられます。ここでようやく下りは拳を落としてバランスを取りつつ、ただ重力に任せて落ちる動きを思い出します。この下りでは残りのエイドを考えても十分な貯金ができました。
79.8kmのエイドでは林檎で元気を出し、更に下り続けます。83.3kmのエイドではもうあと15kmと励まされ、スポーツ羊羹もいただいて脳も何とか持ってくれそうだと感じます。80kmから85kmの表示がやけに近い気がしました(計算上一気に余裕ができました)が、これ幸いと捉えることにしました。
88.1kmのエイドでも残り11kmちょいと教えていただき、どうやら本当らしいと安心します。埼玉から来られたピンクアフロの被り物の女性ランナーと「ふざけた格好している割に速いっすね」などと話したりします。
次まで7km以上空くのはキツいなと覚悟していましたが、何と92km付近に私設エイドがあり、よく冷えたお水と共にこの先上りがあると有益な情報をいただきました。ありがとうございます。この坂はそう長くはないものの、やはりペースが落ちて気持ちも萎えるので、肘を大きく飛ばしてピッチは維持といういつものスタイルで上りきります。周りもきつそうですが、もうここまで来たからには共に頑張るのみです。でもこの後でも抜かれましたし、全体で単独走になる時間もほとんどなかったので、おそらく参加者の層は結構厚いと思います。
下って右折すると、雲のかかった山も空を写す水田も本当に大きくてきれいで、いよいよ終わるのだと喜びを感じます。95.8kmのエイドでも林檎をいただき、残りの道のりへと足を踏み出します。ここで左ふくらはぎ上部に痛みを感じ、もしや長脛かと思うものの、東尋坊終盤でも同様の痛みが出つつも悪化しなかったため大丈夫だと割り切ることにします。
残り4kmからは1km毎に表示があり、励まされます。キロ6より遅くても、もうセーフティリードです。橋を渡り、最後の坂の前の98.3kmのエイド(マップには載っていなかったので嬉しさも増します)で一日ありがとうございましたとお礼を言い、坂をリズムで上ります。もう残すところわずかですので、皆さんも頑張れると思います。
上りきって左折すれば残り1km、右折してゴール会場へと向かいます。終始余力を残すスタイルなので、最後まで怪我が無く筋疲労が許容範囲でありさえすれば、スパートは必ず決まります。グリコーゲンだって余っています。そしてもう終わるという安堵感、ここまで来たのだという充実感、そして生きているという喜びでいっぱいですので、精神的には200%くらい元気です。というわけでいつもの如く最後は力強いフォームで、「100km走って来たとは思えません!」というお言葉をいただき、全力疾走でフィニッシュです。
アフター
当日(フィニッシュ会場、じゃじゃ麺、石割桜、開運の湯)
とりあえずお水をいただき、手持ちのアミノバイタル粉とムサシを摂取します。あまり余韻に浸っているとシャワーが混むので、写真を撮ったら早々に荷物を受け取り、更衣室へ直行です。シャワーは少し待ちましたが、着替えやタオル、ボディソープ一式を袋に入れておいたのでスムーズでした。着ていたものは荷物預け袋二重で持って帰ります。体重は68.0kgだったと思います。
シューズを見るとかなり前足部が減ってきていますが、ミッドソールの感触的にもまだ100kmを一本は問題なくいけるはずです。今回は珍しく右踵部分も減っており、着地時にミスったのか、右足のダメージの一因にはなっていたようです。左足は紐がわずかに緩かったのか、小指が内出血していました。これも珍しいです。あと、タイツを履いているのに何故か股が擦れたので、もう少しワセリンを増量する方がよいのかもしれません。
平均心拍143bpm(疲れないレベル)、平均ピッチ180spm(エイドで落ちているので上出来)、GCTバランス49.1:50.9(最後まで崩壊せず上出来)、平均上下動6.3cm(このペースならこんなもの)でした。
外でプロテインバーを食べ、電話をしてからまずは盛岡駅行きのバス乗車券を買います。そして参加賞のチケットでいただいたBBQソーセージ、富士宮焼きそば、あんパン、ビールのうまいこと。ソーセージってこんなにうまかったっけと目を見開きます。ビールは二年以上ぶりですし、焼きそばに至っては何年食べていないか分かりません。あんパンも餡がこれでもかと入っていて最高です。
しばし会場でのんびりしてゴール付近の写真を撮り、さんさ踊りの皆様にお礼を告げ、15時発のバスで会場を後にします。ありがとうございました。
駅から宿に移動し、まずはパイロン本店へと向かいます。やはり盛岡に来たからにはじゃじゃ麺でしょう。やはりと言っておきながら何の下調べもしていなかったので、書かれているままに作ってみましたが、これが正解なのかは分かりません。
ついでに近くの石割桜も拝み、少し距離はあるものの散歩も兼ねてスーパー銭湯(開運の湯)へと向かいます。東尋坊愛のマラニックの後比較的上手く回復できたのは当日の交代浴の効果だと考えられるため、ここは行っておくべきだろうと判断しました。水風呂と温泉で血行を改善し、自分の手でマッサージもしておきます。あまり引き伸ばすような強いストレッチは怖いので控えましたが、交代浴+マッサージと、シャワーのみでは大分違いが出ると感じています。
帰りに盛岡駅で豚の角煮と湯田牛乳、小岩井牛乳を仕入れ、パンでサンドして食べました。コインランドリーで洗濯・乾燥を終え、全て整えてから22:30には眠りに就きました。
翌日(盛岡城跡公園、岩手銀行赤レンガ館、もりおか歴史文化館)
いつもと変わらず5時半に起き(前日より3時間半も遅くてよいとは)、多少だるさはあるものの動いておいた方がよいくらいの感覚でしたので、とりあえずスロージョグで観光に出かけます。先に言っておくとキロ9分くらいです。最初は硬かった左ふくらはぎと右足底も、徐々にほぐれていき、大きな問題はなさそうです。
朝の涼しい空気の中、盛岡城跡公園を訪れました。実は丁度10年前、自分の人生で失意の底にいた頃に少しだけ立ち寄ったことのある場所でしたので、今回いい形で記憶を塗り替えることができて本当に良かったです。啄木歌碑とも再会できました。
新渡戸稲造生誕の地も近くにあったので行ってきましたが、今の若い人は知らないでしょうね。何せ昔の5000円札ですから。
その後北上川沿いを走ってみたり、踏切や陸橋を渡り、街中を巡って帰りました。北上川は犀川や浅野川と全然様子が違うのは当然ですが、街中に融雪装置がないのが個人的には成程と思いました。
さて、朝食です。ウルトラ翌日という錦の御旗の下、思う存分食べまくります。そのためのバイキングです。ほぼ全てのメニューをいただきましたが、中でも筑前煮とカレーがおいしかったです。決してがめついのではなく、バランスよく食べようという発想です。決してがめついわけではありません。食後はシェフに笑顔で(マスクしてますけど)「美味しかったです!」とお礼を伝え、気持ちよく出発です。それにしてもホテルパールシティ盛岡さん、日曜は観光客が少ないとはいえ一泊朝食付きで4,200円は良心的過ぎるのでは……。本当にありがとうございます。
宿から近かったので、石川さん家(啄木新婚の家)も行ってみました。花婿のいない結婚式(そんなんありか)、武家屋敷(誰も刀で切りつけないのでは)、わずか三週間の滞在(もうちょっといてもよいのでは)など、エピソードに事欠かない場所でした。
国指定重要文化財である岩手銀行赤レンガ館も外せないので見学してきました。銀行として2012年まで営業していたとのことで、怪人二十面相が狙いそうな重厚な金庫や意匠を凝らした暖炉、高い吹き抜けの天井や品のいいシャンデリア等々に感心し、銀行窓口の内側で銀行員気分を味わってきました。庭にはバラが咲いていて、あの特有の香りがしました。金沢の富樫にあるバラ園を思い出します。
もりおか歴史文化館の展示も見てきました。ちゃぐちゃぐ馬子の衣装は豪華でおお~と思いますが、15kmを4時間練り歩くって42.195kmや100kmを軽装でサポートを受けながら走るのよりきつそうだと個人的には感じました(走っている方には伝わるかと思います)。大きな山車もあり、二階の有料ゾーンでは南部氏の鎧(獅子と牡丹)や薙刀などが見られ、大砲は加賀藩から贈られたなど、金沢との結びつきも知ることができました。能面の展示は、徳川綱吉のせいだよな……加賀宝生も大変やったしな……と思うなどしました。
12:30発のバスを逃すと空港に辿り着けないので、泣く泣く盛岡冷麺とトロイカのチーズケーキを断念し、バスに乗り込みます。空港では待ち時間がたっぷりあるので、安比高原ソフトクリームと小岩井のチーズを食べ、お土産も購入して締め括ります。
機内から見る岩手の大地に別れを告げ、中央アルプスも望める好天に感謝して神戸空港経由で無事に帰宅しました。ありがとう岩手。
最後に
初参加のいわて銀河100kmマラソン、「なめとこ山を体感」するだけに止まらず、雄大な景色、優しい応援・エイド・スタッフの皆様と直接つながることができ、岩手の良さを身に染みて感じられる素晴らしい旅になりました。これまで走ってきてよかったと、生きる喜びが溢れてくる時間でもありました。
今回のいわて銀河100kmマラソンに参加させていただき、岩手を堪能できた時間は一生の思い出です。岩手の皆様、こうして最高の大会を作り上げていただきありがとうございました!
ここまでご覧いただき本当にありがとうございます。