今年でファイナルという報道が三月頃にはあり、“絶対に出なくては!”とエントリーを決めました。実際に参加してみると、走ることで得られる幸せが驚く程詰まった素晴らし過ぎる大会で、秋田の皆様が育んでこられたものの大きさと温かさに圧倒されました。おそらく、多くのランナーの中で、“自分が心の底でずっと待ち望んでいたのはこういう大会なんだよ!”という思いが弾けたことでしょう。
ウルトラはどこも地域の方々の情熱と献身的な努力、そして大会を楽しむ心で成立しているもので、それゆえにランナーは本当に胸を打たれて幸せを感じるものですが、秋田の皆様のこの大会への思いもまた最高でした。こちらもその思いにお応えするべく、“ここだけしかないメニュー”がいっぱいの豪華エードステーション(※原文ママ)では悉く止まってご用意いただいた特産品をおいしくいただき、何やかやと盛り上げたり、最後まで笑顔で手を振ったりしながら走りました。もう楽しくて楽しくて。
前夜祭の飾山囃子とやまぶっつけ、コース中の大きな紙風船、フィニッシュの大太鼓という、伝統文化を全面に出して大歓迎して下さるコンセプトは、走っていて本当に心と記憶に残ります。“ここでしかできない”大会であってこそ何度も出たいという気持ちも強くなります。秋田100kmが築き上げてきたものは、他の地域の方も大いに参考にできると思います。
コースは、他と比べるとそれほどきつくありません。高低図を見ると大覚野峠が存在感満点ですが、そこに至るまでにコツコツ上っては少し下ることを積み重ねていますので、ここぞという坂は正直短いです。飛騨高山やいわて銀河の方が長さや傾斜の点で厳しい坂が多いです。それよりも、朝霧も空も渓谷も林も田んぼも本当に自然の美しさに満ち溢れていて、走る喜びを存分に感じられます。ウルトラランナーの夢が叶うような、彩豊かな旅路です。気温も低くて快適です。
走り自体はいつもの100kmと同じく、無理しないで楽しく走るスタイルでした。やはりズームフライ5のクッションは相当確かなもので、それ程のダメージも負わずに翌朝の弘前観光まで無事にこなせました。
(9時間48分台, 132bpm, 168spm(※途中3km計測できずなのでもう少し高いはず), ストライド1.05m, 上下動6.6cm, 上下動比5.4%, 左右接地時間49.0:51.0)
幸い、秋田県民生協会さんが継承候補に名乗りを上げておられることで、継続の可能性は芽生えました。地域の皆様の高齢化に運営の負担の大きさはありますので、一ランナーがわがままを言うことは憚られます。それでも、この、あらゆる理想が結晶と化したような素晴らしい大会が後世にも伝わり、走ること本来の喜びが湧き上がる体験をできるランナーが後に続くと共に、大会を支えて下さる皆様ともその喜びを分かち合える未来が待っていることを信じたいと思います。
秋田の皆様、最高の時間と笑顔をありがとうございました!
続きのページは全てのエードステーションやコースの様子、観光や移動など、書ける限り書きました。全部ご覧になられる方はおられないはずですが、一部の写真だけでもご覧いただけると嬉しいです。大会に関わって下さった方の一人にでもいいから“これだけ喜んでいる人がいる”と伝わると最高です。
秋田と言えば田沢湖マラソン。暑さと坂がとにかくきつく、今の所怪我以外で歩いた唯一のフルマラソンです。帰りのシャトルバスに向かう途中ではババヘラアイスの販売もありました。
いわて銀河の記事もあります。なかなか骨のあるコースですが、自然を満喫しているうちに終わります。北上市から雫石までひたすら北に向かうコースでしたが、今回は角館から北秋田の鷹巣までということで、いわて銀河の続きのような気分すら味わえます。
コメントなど何かリアクションをいただけるととても嬉しいです。こんな感じの記事もいいな、アリだなと思ったら下↓のバナーをクリックしていただくと参考になります。今後の更新に活かせますので是非お気軽に。
追記:ふるさと納税では角館納豆をいただきました。本物のひきわり納豆です。身体に、特に骨によい名品です。
前日
5年ぶりの秋田へ
100kmは基本的に特別な練習も要らないので気楽なものです。水朝に閾値5kmを19分40秒程、夜トレッドミル(40分, 10km/h, 2%)、木朝に有酸素ジョグ60分程、夜トレッドミル(60分, 10km/h, 2%)と自由です。最近は懸垂逆上がり(自称)ができるようになったのが嬉しくて、首や背中に若干無駄な疲労を残してしまったりしています。
朝は早くないとは言っても準備やワクワク感で就寝は遅くなるもので、結局1:00頃就寝6:10起きでした。まあ前夜にパッキングだけしておけば、ギリギリに起きても引っ掴んで出さえすれば間に合います。
朝食はお皿を洗ったりする時間もカットするべくヨーグルト200gのみにしました。北陸のプレミアムヨーグルト(ホリ乳業)です。前日の夜は豚肩ロースとキャベツ、しめじ、きのこの酒蒸しに金沢大野の醤油ポン酢をかけていただきました。
飛行機は伊丹8:30→秋田9:50ということでそこまで早くありません。6時台後半に出ればよいので、遠征としてはよくある話です。お値段も意外とお安い9,910円。こんなに安く秋田まで行けるとは。角館までの乗り継ぎも割とスムーズなので、この便にしました。天候調査という耳慣れない予告に若干の不安を覚えるも結局何事もなく予定通りに運航。プロペラ機も趣があってよいですね。
無事、予定より5分早く秋田空港に到着し、機外へ出た瞬間、「涼しい!」という喜びに包まれます。これはいつもの道マラの時の感慨です(※2023年はこの限りではない)。周囲からも喜びの声が上がります。
秋田空港から秋田駅まではバスで約40分。今やICカードも使えて便利なものです。950円ですので大きいお札を崩すチャンスにしてもよいかもしれません。意外と空いていて快適です。秋田駅はバス停から木を使ったデザインで香りも漂う気すらします。軽く地元銘菓や秋田犬グッズを見ながら、久々の秋田を懐かしく思います。
秋田駅からはこまち(「太陽」の、「エンジェル」と付けてしまう貴方はBz世代ですね。Yeah, Yeah!)にも乗れます。立席2,470円で少しケチります(※空いている席に座り、指定券をお持ちの方が来られた際には即譲る仕様。慣れないルールなので少し戸惑うものの、車内放送では案内があり一安心)
角館観光
11:56に難なく角館に到着です。受付までに時間があるので、まずはコインロッカーに荷物を預けます。一番目立つ所にあるものは400円、それに対して内陸鉄道線の駅にあるものは300円で“しめた”と後者を利用したのですが、観光案内所には200円のものがあったと後で知り地団駄を踏みました(セコい)。
地方に来たからにはパン活です。お店で名物を食べると宿の夕食と被る可能性があるという理由もあります。武家屋敷とは反対側に向かうという意表を突いた動きです。パンドコロTOSSIさんはいちじくと生ハムのピザも“おっ!”というおいしさですし、餡バターサンドもよかったのですが、特にいぶりがっこクリームチーズが気に入りました。本場の薫りは流石です。中のクラムが程よい柔らかさで、とてもおいしかったです。
更にこちらも県内で有名というルーシーカンパニーさんにも伺い、かくのだてバーガーJr.をいただきます。ご主人にJr.でないものはあるのか尋ねたところ、元々のかくのだてバーガーは大きすぎたので今はJr.サイズを作っているとのこと。確かにJr.でも持った瞬間重みを感じます。食べごたえもバッチリで、味も好みです。マヨネーズとも合うだし巻き玉子パンと懐かしい味のラムレーズンも買えました。100km頑張って下さいとお言葉をいただき、嬉しかったです。
お腹も満たされたところでいよいよ角館観光の目玉、武家屋敷通りへと向かいます。コースの序盤で通るものの、どうせ暗くて見えませんのでここで行くしかないでしょう。道中、新潮社記念文学館があり、新潮社の創設者が角館出身と知りました。
武家屋敷通りは道幅も広いのですが、ここは400年前からの姿がそのまま残っているということです。両側に伸びる黒板塀が壮観で、お屋敷も非常に重厚です。何せ豪気で。
普通に民家も混じっているので間違いそうになりますが、公開されている石黒家と青柳家を見学させていただきました。石黒家ではガイドの方に解説していただき、爐と洗濯物を乾かす工夫、欄間の影絵が揺れることや樹齢300年のケヤキなどに感心します。奥の展示も、地下の野菜貯蔵庫や雪国の道具などを面白く拝見します。
青柳家は更に広く、建物自体を見るだけでもすごいのに、展示の多いこと。刀も持ち上げてその重みに納得します。蘭画の創始者で解体新書の挿絵を描いた小田野直武のことも覚えましたし、秋田郷土館や武家道具館もあって全部見ているとヘトヘトになりそうです。
武家屋敷プリンも食べ、角館のお土産は今日買っておかねばチャンスがないという判断の下、ゆかり堂のかりんとうやピーナッツ諸越、塩麹を買いました。コインロッカーから荷物をピックアップして受付会場へと向かいます。
受付、前夜祭(驚異の歓迎ぶり)
16:00前に仙北市角館交流センターへ。ナンバーカードとチップなどを受取りますが、もうこの時点で大会の洗練されっぷりに圧倒されます。まずは内容物をすぐに確認できるようスペースがありますし、封筒には翌日の結果速報のQRコードやナンバーカードの説明等があって親切です。ナンバーカードは何を書いてもよいのですが、迷ったら居住地を書くと話のきっかけになるのでお勧めです。
更に袋にはメッセージの書かれたお土産袋まで渡されて、“ここまでしなくても”と思うくらいです。お土産の中は地元銘菓でいっぱいです。
開会式では来賓の皆様のお言葉から始まり、昨年の大会で救命活動に従事された方や最高齢ランナーさん(御年82歳!)、クリスタルランナーさんの表彰があり、それぞれにすごいものだと感心します。中でも1001番平内さんの選手宣誓はとても心に響くものでした。普通に決意を述べるのではなく、思いの丈を語った上で、「以上、宣誓しました」と締めるのはとっても素敵でした。本当に温かい大会だと、よく分かりました。
前夜祭では角館高校の生徒さんに秋田の伝統芸能である飾山囃子(おやまばやし)を披露していただき、太鼓と笛の音、舞に心を奪われます。“この子達は伝統芸能の継承と全国大会を目標に日々頑張っているのだな。日々ぼんやり生きているだけの自分(今も昔も)とは全然違うな”と考えたりもしました。熱気に満ちた演技に、会場も拍手に包まれていました。
更に外では角館のお祭りを代表するやまぶっつけも見せていただきました。曳山に乗っている方が楽しそうですし、周りで押す面々もやってやるぞという気持ちに充ちていて、とにかくお祭り特有の空気がたまらないです。皆さん生き生きしたとてもいい顔をされているのです。そして名前の通り曳山をぶつけるのですが、これが近くで見ると結構な衝撃で思わず“うお!”と声が出ます。しかもこれがインターバルを置きつつ何度も繰り返されるのですが、間にもお囃子が奏でられ、その緩急にまた魅了されるのです。
宿泊(快適な準備)
前夜祭に最後までいると宿の送迎バスに間に合わないのでやむなく会場を後にします。お宿は西木温泉クリオンさんでした。大会パンフの宿泊施設が出た日に片っ端から電話をかけるも悉く満室のご回答があり、“コアなリピーターが一年前に直接予約を取っているに違いない”という事実に気付きます。本当は近場の宿でギリギリまで寝て、寝起きに走り始めるのが好きなのですが、深夜の特別列車で遠方からというのは避けたいので、もう少しエリアを広げて送迎がある宿を探しました。電話の向こうから空きがある旨のご回答があった時は、思わず“お~”と感嘆の声が漏れました。
しかし基本相部屋とのことで、長考に入ります。コロナ以降は相部屋という発想が消えていただけに、“ここでリスクを取りたくはない……。”と煩悶します。悩んだ末に、“同室者もベストコンディションで参加する可能性に賭けよう”と腹を括りました。結果として、体調は終了後も全く問題ありませんでした。
ともあれ、前夜祭会場から送迎していただけますのでありがたい限りです。会場からは15分程で到着。建物は非常に大きく、これなら大人数の収用も問題ないと納得です。到着後、まずは夕食をいただきます。夕食はいぶりがっこやきのこにお味噌、きりたんぽ等地元の名産で大変豪華です。眠り易いようにご飯はおかわりせず、軽めにしておきます。この判断は合っていたと思います。
温泉にも入って手早く準備を整え、19:30には眠れるだけの体制に持ち込めました。アイマスクと耳栓も持参しています。同部屋の皆様もウルトラ慣れしており、とてもスムーズで快適でした。20:00前には横になり目を閉じます。
レース当日
レース前
余裕のある準備タイム
バスが2:30発ということで1:50くらいに起きることにしました。他の大会だと“寝坊するのでは”とビビって夜中に何度も覚醒するものですが、相部屋だと“最悪誰かが起こしてくれるはず”と大船に乗った気持ちでいられるため、却ってよく眠れるのかもしれません。この時間に起床したとは思えないくらい眠れ、心拍数も平常と変わらずでした。これで今日は大丈夫です。出発までにできる範囲で服装を整えます。
バスに乗る前に外に出るとひんやりした空気と目の前のオリオン座が日常から離れた世界を展開します。レースこそまだスタートしていませんが、素敵な一日はもう始まっています。
会場には3時前は着き、建物の中でおにぎりやゆかり堂のかりんとうやきな粉飴を食べたりしてゆっくり過ごします。アクエリアスは甘過ぎて飲むのがキツいと感じました。ワセリンやテーピングといった残りの装備を整えていると、すぐ横に「鼻水と咳が止まんなくてさ~」「え~大丈夫?」とかデカい声ではしゃいでいる集団が発生したので恐ろしくなって移動したりもしましたが、基本スタートまでは暇なので、荷物を預けてからも目を閉じて静かにしていました。外は棒立ちには寒いですし、別にピリピリしたスタートでもないため、ギリギリまで館内で座って力を温存しました。
スタート前は「熊に負けずに走って下さい!」という洒落にならない秋田ジョークもあったりで、和やかです。気温も11℃とのことで絶好のウルトラ日和です。まだ暗い中、いよいよ秋田の大地を北に100km駆ける冒険の旅が始まります。
装備
いつもの100kmと同じ、アンダーアーマー青半袖、白アームスリーブ、ミズノバイオギア、ユニクロエアリズム、スポーツデポのマルチポケットパンツ、ザムストソックスにニューハレ二重です。
シューズは飛騨高山があまりに楽に走れたので、今回もズームフライ5にしました。少しアウトソールが減っていますが、今回の一本ならまず問題ないレベルです。
終了後もまずまずアウトソールが残ってくれましたので、あと一本くらいはいけるかもしれません。
100kmはエイドも多いので、持ち物も左程必要ありません。アミノ酸と経口補水液を混ぜたジェルフラスコ1つ、アミノバイタル粉3つとアミノプロテインで十分と判断しました。中間点への荷物には念のためのアミノ酸に加え、日焼け止めと経口補水液、アクエリアスも入れておきます。
フィニッシュ後のお楽しみにプロテインバーも二本入れておきます。きりたんぽもいただけるとのことですので、それらを食べたい一心で走ることにします。
レース
序盤~前半
- 序盤
まずは涼しい中軽く下り、少し行っただけで早くも武家屋敷通りに至ります。前日に観光しているので、どの辺りを走っているのかイメージできます。4時台の武家屋敷通りは、黒板塀に広大なお屋敷ですから、荘厳さすら漂う独特の空間です。灯りが灯されてはいますが、足元はやや見えにくいです。そんな中でも早朝から応援して下さる方が多く、勇気づけられます。写真なんてまともに写るはずもないので後で笑える写真になるだろうと撮ったところ、これはこれでアーティスティックな仕上がりになりました。
武家屋敷通りが終わって右折すると少しだけ上りますが、すぐに下ります。前半はこんな感じで、少し上ってはしんどくなる前に結構下ることを繰り返しているうちにいつの間にか上っているという不思議なコースです。しばらくは西木地区の方、さっき出発したクリオンさんの方へ平坦な道を進み、5kmの看板を通過します。
6kmくらいでは少年野球のメンバーも迎えてくれます。高架が見える辺りで既に遠くから元気な声が聞こえてきますので、そこに近づくのが楽しみです。走っていると西木地区は日本一大きな西明寺栗の産地であるといった情報も得られます。確かに足元に栗が落ちていて、踏んだらこけそうだなと思ったりもしました。
朝日も少しずつ明るさを増してきたと感じる頃、周りの方の息も、自分の息も白いことに気づきます。いくらなんでもそこまでの気温ではないので、どうも霧の影響のようだと思いつつも、ようやくいい季節になってきたことに自信を得ます。朝の光も霧もあらゆるものがこの瞬間だけのものですし、しっかり見届け、吸い込み、堪能しようと考えていました。
それと同時に、数少ないこのブログの読者様が知りたいのは、“どんなに胸をワクワクさせる光景が広がっているか”(であって間違っても見ず知らずのおじさんの自撮り連発ではない。そういや今回自分が写った写真は0枚でした)だと思いますので、要所要所で写真も撮っていくことにします。
8km辺りでは裏声のミッキーさんが、10kmの少し前には立派な秋田犬様がおられ、まだ暗いうちから応援していただけることに感謝します。
10km過ぎで最初のエードステーション(※原文ママ(看板))です。最初から果物が振る舞われるのでまずは秋の味覚リンゴからスタートします。バナナもパンもオレンジもありました。期待通り充実していますので、余計な持ち物は不要です。ここでスタートから60分くらいです。
- 前半①
十二峠の辺りも少しだけ上っていたと思います。が、すぐに第2エードステーションなので心配無用です。こちらでは早くもおにぎりをいただき、流石に秋田のお米はおいしいとテンションも上がります。サイズも食べ易く調整していただき、洗練されています。
6時には朝の光と山の影、霧が織り成す光景に見とれながら走っていました。17kmかそこらで坂を上っている時に霧が濃くなり、更にいい感じの世界を演出します。
19km手前の第3エードステーションではレモンをいただき、回復によさそうだったのでこの後も多用しました。確かこの辺りからコーラと見せかけてコーヒーが登場していたと思います。秋田にはコーヒー文化が根付いているのかもしれません。給食の内容を吟味していることもあり、エイドの滞在時間が段々長くなっていきます。「ファイナルと聞いて大阪から飛んできました」ということをお伝えすると喜んでいただけますし、話し出すとこちらも嬉しくて結構長居してしまうものです。
20km辺りまでは日陰も多いのですが、それ以上に霧のバリアが日光から全身を守ってくれたと思います。とにかく涼しいので、キャップは腰に差したままです。霧は急に晴れ、成る程そういうものなのかと感心します。霧が消え去る前の、青空と薄く残った霧とが混じった時間は、短くも美しいものでした。
- 前半②
今回走っていてすごいなと思ったのは、あきた海ごみゼロプロジェクトの呼びかけに応じ、コース上のゴミを回収しながら走っておられるランナーさんがおられたことです。走り続けるだけなら案外楽なのですが、あれだけ短時間に加減速を繰り返すと、相当エネルギーを消費しますし、目配りも姿勢も疲れる要素だらけです。それでもこの自然を守ろうという熱意から活動されているので、素晴らしいことです。
22kmくらいでは目の前に伸びる道と林の組み合わせがきれいで、“秋田はいいなあ”と思う時間です。因みにこの少し後でイチゴ牛乳戦士にお会いしたので思い切って「去年えちごくびき野に出ておられましたよね?」と話しかけてみたところ、やはりご本人でした。昨年の秋田100kmにも出ておられたとのことで、あちこちで見かける人気ランナーとなっています。
24km過ぎではオレンジやレモンをしっかりいただき、例によって大阪から来ましたという話をしたりしながら交流します。柑橘系は後々効いてきます。この頃はあまり考えていませんでしたが、もう全体の1/4くらい来ているのですね。時の移ろいは早いものです。
27km辺りからは時折スノーシェッドが現れるようになり、白山白川郷ウルトラマラソン等を思い出します。柱の間から見える外の色もきれいなものです。
第5エイドではスイカが登場しますので二切れいただきました。おにぎりも種類が増えています。山菜は多分ミズのコブではないかと思うのですが、その場ではきちんと聞き取れなかったか失念したかで確信が持てません。後から調べてこれが音的に近かろうと考えていますが、何分元々の知識が乏しく……。しかし歯ざわりも味もしっかりしていて、元気が出たのは間違いありません。
30kmを過ぎて少し行った辺りで、紙風船の応援もあり、秋田に来たのだなあと改めて感じます。紙風船は上桧木内かと、地域の文化を学べる機会でもあります。それにしても沿道応援が予想以上に多く、本当に孤独な道のりはほとんどなかったのではないかと思うくらいです。
その先は川沿いを走る素敵な時間です。こうして見ると日陰も多くてまだ涼しい時間帯でした。
中盤
- 中盤①
30km辺りから日光が遮られない場面が増えるので、キャップを装着します。基本的に北上一辺倒ですので、キャップは後ろ前に被り、首筋を保護します。そうは言っても風も涼しいですし、まだ全然暑くありません。
起床時にトイレに行ってから5時間30分以上経過していましたので、第6エードステーションでは満を持してトイレ休憩を取りました。競歩選手のように悠々とピットインし、この先に備えます。ここでは“ここだけしかないメニュー”の南瓜がありましたので、お礼を言っておいしくいただきます。甘さがまた程よいのです。この先もですが、“ここだけしかないメニュー”は本当に他所にはないので、逃さずに食べていく必要があります。ランナーの心を捕らえる高度な作戦、商売上手です。因みに、この1kmはガーミンさんで8分14秒かかっています。
山道でも応援して下さる方が多く、本当に力になります。どこかは正確には思い出せないのですが、途中可愛いワンちゃんを連れている女性がおられたのですが、私が近づいたタイミングでそのワンちゃんがいきみ始めて排便するという事件が発生し、女性「ウンがいいね~!」、私「ホンマや、めっちゃついてるわ~!」と爆笑するシーンもあったりしました。あの時のという方がおられましたらご一報いただけると喜びます。こういうこともよく覚えています。
第7エードステーションでも美味しいあきたこまちのおにぎりや梨をいただきます。紅茶や麦茶も序盤から提供されていて、ドリンクの種類も多彩です。
それらしい応援メッセージ(大覚野を全集中で越えて行け、だったかな?)もあり、ここからはいよいよ上りかなと思うのですが、銀河なめとこラインとは違い少し上ると小休止の下りがあって、“あれ?この調子で本当に大覚野峠の頂点にたどり着くのかな?”とすら思います。なかなか上りに切り替わらないのですが、ようやく40km辺りからはやや長めの上りになっていたと思います。
一段階上って右にカーブすると目の前に更に長く延びる坂道、そして斜度表示は7%ということで、慣れていない人はここで歩いてしまうかもしれません。“まあウルトラはそういうものだから”と受け入れて進んでいくと、どこからかお囃子の音らしきものが聞こえてきます。これは応援の方が待っていて下さる頂上が近いパターンだと鼓舞しながら上っていくと、スノーシェッドの前に噂の巫女さんエイドが。“ここがそうなのか”と思いながら写真を撮ったりで応援にお応えします。
光を感じながら青いスノーシェッドまで抜けると下りに切り替わります。“どう考えてもなめとこラインより楽だ。こんなにあっさり終わるはずもない”と半信半疑で下っていくと、第8エードステーションに到着し、どうやら本当に大覚野峠を越えたらしいと認識します。真ん中の方が盛り上がっているグラフを見ると、人間何となく正規分布の線対称なイメージを抱きがちですが、大覚野峠は40km台前半なので、グラフは少し左寄りです。この辺はいい加減な私も時々間違います。
ガーミンさんによると上りの一番遅い区間でキロ5分35秒、心拍数155bpmとのことです。ゼーハーするしんどさではなく、これくらいならまだ余裕があります。姿勢が崩れないように呼吸をしっかり意識すること、腕を使って地面反力を得ることを意識したのがよかったです。
当分下りということに安堵しつつしっかり休憩します。きゅうりのお漬物などをいただきつつ過去にも田沢湖マラソンには出たことがあるとお話しすると、“来週も出るのか?”と訪ねられ、“いえいえ田沢湖マラソンは先週終わりましたよ”と言うも分かっていただけず何度かそのやり取りを繰り返すという謎の展開にも和みました。“まあヘーゲルも対立があることこそが真だというようなことを言っていたので、ここで正す必要など一切ないよな”としょうもないことを考えたりもしました。”あとは下りだから鷹巣まですーっといくべ”という声に押されてまた走り始めます。下りなのに7分29秒かかっている辺り、いかにのんびりしていたかが分かるというものです。
- 中盤②
この先は秋田マタギロードというエッジの利いた名前の道をかなり長い時間下ります。ガーミンさんによると6kmくらいは止まらずに走っているようです。下りで地面を蹴ったり無理に飛ばしたりすると後で大変なことになるので、ひたすら流れに任せて落ちていくのみです。一番速くてキロ4分54秒くらいまででした。それでもレース後の筋肉痛を確信するだけの衝撃と長さでしたし、現に筋肉痛は腿前と体幹周りが最も強いです。
スノーシェッドは光と影の関係上、足下の微妙な凹凸が見えにくいのと、後ろから車も時折来るのとでそこそこ気を付ける必要があります。着地衝撃を和らげるために砂の部分を走ってみたりもしましたが、右との段差が判別しにくくあまり続きませんでした。それでも左から差し込む光はきれいで魅了されますし、走っている喜びが勝ります。これだけ雪の深い地域の冬はどんな生活だろうかと想像したりしつつ、悠々と下っていきます。心拍数も120台と下がり放題です。
「あに」という表示が現れると下りの終点が近いと分かります。第9エードステーションの近くには応援の方も沢山おられ、また元気をいただけます。預けておいた荷物も極めてスムーズに手渡していただき感謝です。“荷物預かり=大規模エイド”という思い込みがあったため、ここが普通のエイドだったことに少し意外な感じがしましたが、まずは日焼け止めを再度塗りたくり、予備に入れておいたアミノ酸を取り出します。ここまでにスタート時のジェルフラスコと合わせて2袋摂取しており、手持ちのものと合わせて残り3袋あれば丁度いいという判断です。梨やオレンジでの補給もばっちりです。あれだけ止まっている割にはキロ8分48秒とスムーズに出発したようです。
ここでは50kmのスタート前の方が待機しておられ、声援を送って下さります。わざわざナンバーカードから名前を調べて呼んで下さる方も何と多いことか。ひたすら笑顔でお応えしまくりです。
50kmの距離表示で9時20分、意外と時間がかかっています。実は序盤からGPSとの誤差がかなり大きく、大体30kmで1kmずれるペースだったので、“今日は103kmちょいだ”と覚悟していました。ここでもきれいに1.6kmくらい差がありましたので、後半の展開が見ものです。シリアスランナーの方には死活問題かもしれませんが、ほのぼのランニングおじさん的には、秋田の大自然を全身で感じながら長く走れる分にはお得というものです。
第10エードステーション、ここは笑内(おかしない)ということで、普通の人には読めません。大阪なら放出、金沢なら大豆田くらいの難読漢字でしょうか。ここでもリンゴや梨、紅茶をいただきます。エイドでの滞在時間はそこまで長いわけではないため、短時間で盛り上げる必要があります。“大会が最後かもしれないので大阪から飛んで来ました、秋田は景色もきれいで何を食べてもおいしく、そして美人が多い”という骨子が決まってからは表現を臨機応変に替えつつ同じネタを違う場所でやる感じで交流を重ねます。待っていて下さる皆様には、やってよかったと少しでも思っていただけるといいなという関西人魂です。
- 中盤③
萱草大橋からは内陸鉄道の大又川橋梁が望めます。川の流れ、木々の緑との調和がとてもきれいで、こんな景色を見られるなんて、もう走らせていただいたことにただただ感謝です。土地勘がなくても見逃しようのない絶景スポットですので、予習なしでも大丈夫です。あれこれ書くよりも、写真だけでも見ていただく方がよいでしょうし、それよりも現地で実際に見ていただく方が何百倍も胸に沁みると思います。紅葉の季節はまた素晴らしいでしょうね。
この橋を過ぎて少し行くと左の脇道へと誘われます。ここは緑も多く日陰もあるので快適です。富士登山競走序盤っぽい雰囲気ですがそこまで上っているわけではありません。ここでも嬉しいことに太鼓の音が聞こえてきて前に進む勇気がいただけます。わざわざ待っていて下さることに感謝です。
四万十川桜マラソンの終盤とも似た道を進むと60kmの看板が。もうすぐエイドですよという応援もあり、気持ちよく進みます。左折すると第11エードステーションです。ここでは見慣れない食べ物があったため名物かなと思って訪ねると、梅を割ったもので特段珍しいものではありませんでした。しかし姿が変わるだけで特別なものに見えますし、梅も欲しかったのでありがたくいただきました。この辺りでアミノバイタル粉をジェルフラスコに入れてドリンクで溶かす作業をやったはずです。
63km辺りでトンネルには入らず左に折れるのですが、ここでも太鼓の応援があり嬉しかったです。他の方も立ち止まって写真撮影をしていました。私も大きく手を振ってお礼の気持ちを表現しました。広いコースのどこに行っても完全に応援が途切れたと感じることがありません。途中すれ違う車から応援して下さる方も、どこよりも多かったように思います。
第12エードステーションでは珍しいものがあったので聞いてみると、“ここだけしかないメニュー”の玉葱ということでいただくしかありません。玉葱自体の甘みと香りも勿論ですが、この甘辛の味付けがまたよかったです。そしてこちらはお店で販売している商品でもあったようで、社長さん自ら“私が調理しました”とご挨拶して下さったので、こちらも深々とおじぎをしてまた皆で笑います。
この通りは建物が多いこともあって沿道で応援して下さる方も多いので、ずっと笑顔で手を振りながら進みます。ただ、エードステーションの直後にグッと上る坂があり、結構堪えるかもしれません。まあ“いぶすき菜の花マラソンならこれくらい普通にあるよな”と思いつつ腕振りを使って上ります。少し進むと65kmの表示で、この辺りでは既に平地になっています。
そしてこの先ではついに北緯40°Photoスポットが現れます。もしかすると見落としていたのではという不安もあったため、一安心です。折角待っていて下さるので、立ち止まってパネルの前でポーズを取って写真に納まりました。ここで撮っていただいた写真はフィニッシュ会場で販売されていますので、いい思い出になると思います(私は自分自身の写真はあまり欲しくないので買わない選択をしましたが……。)
この辺りで6時間14分くらいですので、あと1/3はかなり適当に走っても10時間を切れると分かります。なお、GPSとの乖離はこの頃には収束してきて、1.5kmくらいで安定していました。そこから少し短くなって最終的には1km強までで収まってくれて103kmコースにならず一安心です。地球が球体であることから、北緯40°を越えると何かが変わるのかもしれません(そんなわけない)。いわて銀河の時も後半一気に距離が短縮された記憶があるのですが、まあこれはこれで面白いものです。
後半~終盤
- 後半
大会の冠でもある北緯40°を過ぎてすぐ、橋の上から木々と川の流れを見渡せる場所があり、ここもとにかく気持ちいいです。ガーミンさん的には5分15秒から5分32秒と幅があるので、もしかすると少し上りもあったのかもしれません。
何はともあれ15分くらい行くと第13エードステーションです。梨やレモンといった充実の果物陣、皆様の優しい応援の声に癒されます。この辺りだったかで“大体70番くらい”と教えていただいたので、展開的にあと20数人くらい抜けると分かります。でも別に頑張るつもりもありませんので、“100kmの大会は、そない必死こいて走るもんちゃいますから”と談笑したりしてからゆっくりスタートです。
70km地点は確実に上っていました。確か、終盤戦のキリのいい数字ではここと80kmは上りだったはずです。72kmの第14エードではコーラがあったのでいただきました。ここに来るまでにも炭酸はあったと思いますが、コーラはあまり見かけなかったと思います。そしてここではおばあちゃん手作りのバター餅とお漬物(二種類)がふるまわれます。そう、“ここだけしかないメニュー”です。「うまいべ?」と次々に差し出されるのでお断りする理由などありません。二つずつおいしくいただき、お礼を言ってまた出発です。
スタートから7時間を過ぎ、日も高くなってきました。その分青空も緑も鮮やかに眼に映ります。75km付近には常設のトイレがあったので、ここでピットインしておいてもよかったかもしれません。
そしておそらく76km辺りには黄色とピンクのあのパラソルが。そう、ババヘラアイスの販売です。しかし今日の私は一銭もお金を持参していませんでしたので、ここは泣く泣く通り過ぎます。しかし後になって分かったことですが、ここは予告編でして、言うなればババヘラフラグだったということです。
トイレは最後まで持ちそうだと思いましたが、フィニッシュ後に余裕を持って過ごしたいので、第15エードステーションでは仮設トイレに立ち寄っておきました。手を洗ってから炭酸飲料やレモンをいただきつつ、“何か名物あります?(関西弁のイントネーション)”と尋ねたところ、“変わった食べ物はないけど、私たちの笑顔がある!”と最高のご回答をいただき、また大いに盛り上がります。そして次は待望のババヘラアイスが待ち構えているという貴重な情報までゲットします。この1kmは9分36秒でした。
- 終盤
丁度正午、79km付近ではあまりに見事な稲穂の色に“うわぁ、すごい!”という声が漏れました。隣におられた方とも「めっちゃきれいですね!」と喜び合います。ここは思い描いた原風景、これぞ秋田という素晴らしい瞬間でした。田んぼアートは時期的に少し前かもしれませんが、一度内陸鉄道から見てみたいとも思いました。
エイド間の被り水スポットでも飲み物を用意していただいていることがあり、こちらは遠くから一反木綿のひらひらが見えていたこともあって止まるぞと決めていました。コーラをおいしくいただいたところ、鬼太郎コスの男性から“大阪人だったら阪神が優勝して嬉しいでしょう”という全く予想外の質問を受けてうまく返せず自分の引き出しの少なさを思い知りました。まさか“一週間くらいしてから優勝したらしいと気付いた”と言うわけには……。大阪人のキャラ設定としては早口の関西弁だけでは足りないという教訓を得てまた旅路に戻ります。
そして第16エードステーションに到着、もうババヘラアイスがあると分かっていますので、もう“これから漫才始めます”くらいの勢いでこちらから拍手しながらピットインするようになっていました。まずは瑞々しい梨等の果物をいただき、続いて待望のババヘラアイスを受け取ります。口どけがさらっとしていて、“そうだった、こんな食感だったなあ”と5年前田沢湖マラソンの後に食べた味と冷たさを思い出します。そして一つ食べたくらいでは許してもらえるはずもなく(褒めています)、勧められるままに二つ目をいただきます。作って下さるおばあちゃんの笑顔があまりにも素敵で。“ババヘラアイス知ってます?”“当たり前ですやん、これを楽しみに大阪から来てますねん”というようなやりとりを楽しみ、随分長居してしまいました。
因みにこの先で信号待ちが重なったこともあり、この1kmは11分42秒を記録しています。でも信号待ちの間も誘導のスタッフさんにお礼を言えたりするので、よいものです。
東尋坊愛のマラニックを思い出すような橋を渡り、その先に背中に羽を付けた女性が応援うちわを使いながら誘導して下さることに笑顔になりつつ、残りの道のりを進みます。
しばらくは左手に田んぼが広がり、また豊かな実りの季節を感じる至福の時間です。第17エードステーションでもスイカをいただき、まだまだ元気な姿を披露します。
85kmの看板からそこそこの区間、左手の柵?のお陰で影ができていてありがたかったです。その途中にも応援して下さる方、誘導して下さる方が沢山おられ、できるだけ目を合わせながらお礼を言って進みます。温度計は23℃くらいになっていましたが、風も涼しく、“これは絶対に脱水にもならないし最後まで余裕で終われる”と分かります。ポケットに入れたサンシェードも使わず、キャップを後前に被ったままです。それでも安全のために被り水スポットでは両腕に水をかけていただきました。掌と腕を冷やすのが最も冷却効果が高いことと、頭から被ると乾く過程で黴臭くなる場合があることを考慮しての暑さ対策です。
88km頃には少し上りがありましたが、ここでも太鼓で応援していただけましたし、“おらが作った”と干し柿をご用意して下さっていますので、喜んでいただきます。噛み応えも甘さも絶妙で、おいしいものを作るにはどうしても時間がかかるということを実感する体験でした。ありがとうございます。
- 最終盤
第18エードステーションではあきたこまちおにぎりの上に何やらおいしそうなものが。お尋ねすると“ここだけしかないメニュー”のししとう味噌ということで、スルーする選択肢はありません。ししとうの味がバッチリ効いた、食欲をそそりまくるうまさでした。
気温が30℃くらいになってしまうと終盤は胃が食べ物を受け付けないものですが、今日は涼しい上に余力を残しまくっているのでガンガン食べられます。時間外受付もやってますくらいの勢いです。“大阪人のくせにおもろいこと言われへんけど、食べまくるだけで喜んでもらえるからネタとかいらんと分かりましたわ”“こんなことばっかりしてるからどんどん抜かれてまいわすわ”といったやり取りがあったのですが、真面目な話、自分が用意した食べ物をおいしそうに食べてもらえることの喜びは大きいと知っているので、これはウルトラマラソンに限らず、生きているうちは極力続けていきたいと思っています。
さて、こんなことばかりしていますので、当然ながら同じ人を何度も(下手すると7、8回くらい?)抜く展開になります。若干気まずくはありますが、途中で話しかけた方から“交流もしていて素晴らしい”というお言葉をいただき、嬉しかったです。後で記録を見てみるとサブ10で20回目の完走を果たしておられたようですので、あまりの高みに敬服するしかありません。
91km付近の被り水スポットでは、またも“ここだけしかないメニュー”のリンゴジュースを提供して下さっているのでありがたくいただきます。こちらも社長さん自らふるまっていただき、拝みながら堪能しました。折角ですのでスイカに葡萄も遠慮なくいただいてしまいました(ちょっとは遠慮せえよ)。
第19エードステーションの前にはまた上りがありますが、あまり長くなかっただろうというくらいの印象しかありません。ここに来ても衰えを見せぬ食欲を武器におにぎりやレモンを大喜びで頬張ります。“大阪にも遊びに来てや”と言うと“秋田から出たことがあまりなくて”と仰る方もいて、ふと、“人生の時間はあっという間に過ぎるし、それは環境で決まる。自分はこうして飛び回っているけど、犠牲にしてきたものも沢山ある。どういう人生になるにしても、必ずそれぞれに幸せがあるはずで、優劣をつけられるものでも誰かが決めてくれるわけでもない。誰もが今いる場所でできるだけ幸せを追い求めるしかない”というようなことを考えました。
この後は最後の上りがありますが、13時45分時点では日陰で涼しく、特に困ることもありませんでした。そしてこの距離で空港とトンネルがある光景、トンネルの先に待つ気持ちのよい下りは、隠岐の島ウルトラマラソンと重なるもので、様々な楽しい思い出が蘇ります。
信号待ちを挟み右側の歩道に乗れば残りは4km、しかもここはひたすら下りですので怖いものなど何もありません。ただひたすら、今日一日の過ぎ去ってしまった時間を思い出しては現在に意識が戻るといった恍惚状態にあったような気もします。
最後の第20エードステーションでもレモンや炭酸水、麦茶などを存分にいただき、“今日一日本当にありがとうございました!”とお伝えできました。“来年も開催できたら是非来て。またお会いしましょう”と言っていただき、グッと来ました。
もう残りは3.5kmでエードステーションもありませんので、最後くらいは本気を出すことにします。ラストの橋を渡る時は、最後どこまで上げられるかを考えていました。最終盤でも応援が多く、力が湧いてきます。久々にスパートをかけて見せ場を作りたいという気持ちになりました。
最後の商店街に入ったところで、「○○さん、商店街に入りました。最後まで頑張って下さい」というアナウンスもあり、100km近く走って来たとは思えないフォームでスパートをかけます。途中信号待ちで止まった時間もありましたが、商店街を右折し、大太鼓とお囃子が響くフィニッシュエリアでフルマラソン以上のダッシュを決めて左折、最後も笑顔でテープを切りました。
100kmという数字自体にそこまでの思い入れはないのですが、それよりも、あの雄大な自然の中を走り、支えて下さる沢山の方々の応援を受けながら最後まで走り切れること、その中で意識以前に湧き上がってくる“今、この瞬間走りたい”という気持ちは、自分が走ることの原点なのだろうと改めて思いました。それはスピノザを引くまでもなく、本当に自分が望んでいることなのかもしれません。何かを手に入れれば幸せになれるかも、あの人に認められれば幸せになれるのかもなどと己の外に何かを求めてもおそらくまたすぐに寂しくなるのでしょうが、形に残ったり人から見えたりしなくとも、自分の中に確かに感じられる力が瞬間的にでもあれば、その人は幸せだったといえるのでしょう。たとえそれが明日思い出せないものであったとしても。
アフター
レース後
会場
フィニッシュ後はすぐに水やタオルをいただけて、更にスムーズに完走証と荷物も受け取れます。見て下さいこの完走証を。こんな立派なものをいただけるなんて。香りも心地よく、充実感でいっぱいです。
アイシングのテントもあり、氷袋も受け取れることに大会の洗練されっぷりを思い知ります。これは回復には非常に役立ちますのでありがた過ぎです。ソックスに挟んでふくらはぎを冷やしたり、腿の上に置いて火照りを抑えたりします。
その上銭湯までの送迎もあり、すぐに入浴したい方には最高です。私は時間と栄養補給の都合上残念ながら見送りましたが、全てが手厚くて感心し切りです。
持っていたアミノプロテインと荷物から取り出したプロテインバー二本を食べて落ち着いたところで、次はふるまいテントへ向かい、きりたんぽ鍋とお蕎麦、発泡酒に炭酸水をいただきます。完走を労っていただけて嬉しいものです。100km走った後のふるまいは満足感もあっておいしさが尋常ではありません。
着替えも建物の中で空いているうちに済ませることができたので、しばらく会場の中をうろうろします。北秋田のお土産も沢山揃っていますし、北緯40°のフォトスポットで撮影していただいた写真も早速販売されています。折角なので自分用のいぶりがっこクリームチーズとお土産の太鼓万頭を買いました。
フィニッシュ地点の大太鼓は走っている時からものすごい大きさだと分かっていましたが、冷静に見るとその時の記憶よりも更に大きい気すらしました。これが何台も並んで練り歩くのですから、その見応えは想像を絶するものでしょう。伝統のお祭りを前にすると、普段囚われている常識がいかにちっぽけなものかと思うところです。
過去大会のポスターを見て、ここまで受け継がれてきた歴史が、きっとこの先も続いてくれることを願いました。
少し応援をしつつ最後の商店街の写真を撮ってから、鷹巣駅へと向かいます。会場からはかなり近かったです。本当は後夜祭までいられればよかったのですが、いつかまたその日が来ることも願いつつ、電車に乗り込みます。
弘前へ
秋田を目指すよりも弘前の方が近く、弘前→神戸が意外と安い(FDAで8,900円)ということで弘前泊です。鷹巣16:48発、弘前17:49着です。弘前は2016年に弘前・白神アップルマラソンで訪れて以来で、また来たいと思っていました。
お宿はハイパーヒルズ弘前さん。4,180円と驚く程安かったこと(まさかの朝食付き!)に加え、すぐ近くにアサヒサウナさん(水風呂もあり)があることも考慮してこちらに決めました。
会場できりたんぽとそばを食べている頃はかなり満腹感もあったのですが、やはり夕食は肉を欲したのでふぁーすとさんへ。名物もよいのですが、地元の定食屋さんに行くのが好きなのです。豚カツ定食はボリュームもあり、非常に満足しました。
その流れでアサヒサウナさんに行き交代浴に勤しみます。水風呂がかなり冷たく、夜の熟睡具合と翌日の回復ぶりからするに効果はかなりあったようです。宿で洗濯・乾燥まで終えて猛烈に眠くなってきたので23:30頃には消灯し、深い眠りへと落ちていきました。
翌日
弘前公園観光
割とぐっすり眠れて5:30頃に覚醒しました。朝日が美しかったのでそのまま起きるとします。流石は弘前、朝は肌寒いくらいで、走るには快適そのものです。長い下りの宿命で腿前は筋肉痛が結構ありますし、姿勢を維持し続けた背中もだるいのですが、怪我もなく、日常生活には支障なしといったところです。
弘前公園は桜の名所として有名過ぎる程有名ですし、ランクラで走り込んでおられる方も多いイメージですので、ワクワクしながらスロージョグ(キロ9分くらい)と歩きで散策します。日本一の幹周りを持つソメイヨシノ、桜通り、弘前城天守を見たりして、出会う一つ一つに驚きを感じながら巡ります。
遥かには岩木山も高くそびえます。朝早くからラジオ体操に集まっている方が沢山おられるのは、日本中どこでも同じだなとつながりを感じます。
折角ここまで来たのですから、アップルマラソンのスタート地点も懐かしく思いながら見てきました。岩木山を望みながらの下りはあの日の記憶と同じで、やはり印象深かったのだと分かります。しかし最後にこの上りは結構しんどいよなと改めて思います。
憧れの弘前公園と懐かしのアップルマラソンの振り返りはずっとやりたいと思っていたことなので、果たせてよかったです。
ホテルの朝食は予想以上に豪華でありがたい限りです。とろみ白菜肉団子に鯖塩焼き、卵焼き、納豆、牛乳でたんぱく質もたっぷり、野菜も菜の花ともやしの胡麻味噌あえ、切り干し大根、きんぴらごぼう、キャベツなど豊富で助かります。日曜夜泊とはいえ、こんなに安くてよいものかと思いました。
弘前市内観光
弘前と言えば甘党で知らぬ者のいないラグノオの本店がありますので、外せません。店内にはお馴染みの商品が勢揃いしており、やはり楽しいものです。あまり見たことのないポロショコラアイスをいただき、あのポロショコラとチョコアイスのハーモニーに満たされます。お店の前には少しお得なお楽しみ自販機があったのでやるしかありません。白桃のゼリーが当たり、お土産が増えました。
続いて人気の老舗店、叉二パンさんへ。お目当てのアップルパイは開店直後だったためか見当たらずでしたが、クロワッサンの味は他所と比べても好みでしたし、チーズソフトはクリームチーズも入ってかなりおいしいものでした。洋菓子のアルハンブラもナッツ沢山でよかったです。
まだ時間があるので青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)にも入館し、一つ一つの部屋の意匠、漆喰の壁や天井の金唐革紙も含めて見学してきました。棟梁の堀江佐吉氏は伝説ですね。この時代の偉人は皆桁外れです。いわて銀河の翌日に岩手銀行を見学した思い出も甦ります。
駅までのんびり歩き、11:21には弘前駅から青森空港に向けて出発です。もう少し観光したいところですが今回はここまでです。お昼寝タイムだからかあまり景色を楽しむこともなく、寝てしまいました。
青森空港でもタムラファームのアップルパイと嶽きみロールケーキを食べ、よき思い出を積み重ねます。13:15青森発のFDAでも梨恵夢が出て、やはりいわて銀河を思い出しました。今回大会に参加できて本当によかったです。ありがとうございました。
最後に
あまりにも伝えたいことが多過ぎて、大長編になってしまいました。走っている間も、終わってからもずっと心が満たされているような感覚で、どうすればよいか戸惑うくらいでした。自分が走るようになった“本当に走りたい”という願望が、言葉にできない態様で渦巻いていたからかもしれません。それだけ特別な体験をさせていただきました。
秋田の皆様、第31回大会では温かく応援して下さり本当にありがとうございました。私の拙い文章からでも今大会に関わって下さった皆様に喜びが伝わること、また、この素晴らしい大会が後世にも伝わっていくことを願っています。またお会いできる日を楽しみにしています!
ここまでご覧いただき本当にありがとうございます。