昨年は逆風の中粘ったもののネット3時間0分1秒という結果に終わってしまった神戸マラソン、今年は様々な事情が重なってサブスリーを渇望していたのですが、神戸の皆様の熱い応援にランナー同士の給水での協力や励まし合いも重なったお陰で沢山の力をいただき、グロス2時間59分37秒でギリギリ間に合いました。本当にありがとうございます。
神戸マラソンは「感謝と友情」をテーマに、2011年という我々日本人にとって特別な年から始まった大会で、沿道や街の空気も、ランナーの思いも、他所の大型大会とはまた異なるものがあります。勿論各人考え方や感じ方に差はありますが、心に響くスタートセレモニーや他者に対する感謝の気持ちは、多くのランナーの心に染み込み、この大会に相応しい走りをされる方が多いと感じています。
コースは参加人数の割には狭く、ペースの調整が難しい側面はありますが、“この集団皆でサブスリーを達成するのだ”という一蓮托生の空気がまたたまらなく熱いものでした。大会の思いの中に、“自分自身の走りは勿論だが、他の人を大切にしよう”というものが籠められているためか、周囲の皆様も声を掛け合い、給水も譲り合う場面が多かったのがよかったです。20km過ぎの給水では、私がなかなかコップを取れずに苦戦していたところ、リラックマのウェアを着たランナーさんが水を手渡して下さり、感激しました。お陰様で身も心も大いに助かりました。ありがとうございます。
今年は西の風が吹き、19kmで折り返してから順風になったため、心強いことこの上ありませんでした。それでも浜手バイパスから神戸大橋にかけては苦戦を免れないのですが、ここでも学生スタッフの皆さんがもう声が枯れんばかりの勢いで応援して下さり、どうにか最後まで走り切ることができました。この神戸で目標を達成できたことは自分の人生にとってとても大きな思い出になります。
(164bpm, 192spm, ストライド1.23m, 上下動比4.8%, 上下動6.2cm, 左右接地時間バランス48.8:51.2, 接地時間235ms)
私個人としては、下関海響マラソンでお会いしたランナーさんの背中や交わした言葉であったり、金沢マラソンで必死に完走してくれた後輩のことであったり、沢山のことを思い浮かべながら、力をお借りして走ることができました。自分が生きている中で心から願うものは、こういうことなのだと改めて実感する一日でもありました。それは終了後にメールをくれた友人とのやり取りの中でも強く感じるものでした。力いっぱい走ることが、私なりの「感謝と友情」の一つの形なのだと思います。
神戸の皆様、今年も熱い応援で支えていただきありがとうございました!「ありがとう」を、この街と、そして皆様と分かち合えて幸せです!
冒頭にも書いた通り2022年はネット3時間0分1秒でしたが、この日逆風の中粘った経験が別大の初サブスリー、そして今回のサブスリーにつながりました。
別大の競技場の光景は、生涯忘れることのないものです。
2023年は京都と大阪の連戦もでき、三都を走らせていただくことができました。ありがたい限りです。
続きのページにはレース中の写真はありませんが、こういうシリアスな内容(作戦や心情など)を好んで下さる方もおられると思いますので、よろしければご覧ください(会場や神戸・大阪パン活の写真はあります)。コメントやスター、↓のバナークリックでも拡散でも何でも反応していただけると私の元気の源になります。次回予告は、「しじみと甘味の松江城」です。
追記:ふるさと納税では名刺入れをいただきました。丁度新しいものを探していたところだったので、グッドタイミングでした。手に取る度、神戸マラソンを思い出します。
準備
前々日(受付)
前日に行くか迷いましたが、大規模大会だと電車が混んで疲れるという大阪マラソンのイメージがあったので、金曜のうちに済ませておくことにしました(京都マラソンは前日でも駅から受付会場までは徒歩で行けるので問題なしですが)。結果として、金曜夜はかなり疲れを感じたので、行っておいてよかったです。
三宮からポートライナーで市民広場前まで移動する間も、車窓から夜の神戸を眺めると共にレースでの最後の力の入り具合や感情をイメージします。受け付けは相変わらず大変スムーズなのですが、係の方がとても楽しそうに話しかけて下さるのが印象的で、何となく関西独特の空気を感じます。毎回“大阪とはまた違った文化を持ちながらも、ここもまた関西なのだな”とじわっと来る場面です。こちらも笑顔でお応えすると共に、“普段はだらしなくても、せめて大会期間中はマナーや思いやりを心がけよう”という気持ちになります。
ナンバーカードと共にスタートセレモニーで使ういつもの黄色い手袋を受け取り、神戸マラソンはこうでなくてはという気持ちになります。ボランティアスタッフの方のウェアも展示されていますが、当日走ると“なんて沢山の方が支えて下さっているのか”と毎度驚きます。
エイドは、今回は可能な範囲で取りますが、基本的にはドリンクのみで走り切るつもりです。冬場であれば3時間くらい無補給でも走り続けられますので、給水に失敗しても嘆いたり焦ったりする必要もありません。不安になったりイラついたりする分、目標からは遠ざかります。
スポンサーブースでは流石は神戸、asicsブースが巨大です。ガチャは行列ができていましたが、おそらく友達と並んでこそ楽しいのでしょうから何が当たるのかも気にすることなくスルーです。試し履きはアプリの登録が必要っぽかったのでパスして、シューズも少しメタスピードシリーズを見たくらいで次へと歩を進めました。
スタッフさんに話しかけられるようなことがあれば、マジックスピード初代(フルでも疲れない)、エボライド初代(100kmでも快適)、エボライド2、ハイパースピード2にライトレーサー4(有酸素ジョグで愛用)、ターサーRP3(富士登山競走山頂の相棒)など、かなり熱いフィードバックをまくしたてることになったと思うのですが。
体組成測定もやっておきます。表示は30分待ちとありましたが、20分くらいで済みました。体脂肪率7.6%は金沢マラソン前日(午前)の8.0%と大差なしです。ほぼ同じくらいの状態で走れるということなのでしょう。
大規模大会はブース周りに人が多く、どうしても映り込んでしまうために写真も上げにくいということも、ある意味新鮮に思い出します。サンテレビ、ガーミン、スカイマーク、神戸空港、富永貿易(マヌカハニーでおなじみ)、山パンといった並みいる面々のブースを軽く見ながら巡っていきます。
絵手紙の展示も毎回あり、この取り組みが恒例のものとなっていることに改めて感じるものがあります。震災当時小学生だった自分と同じくらいの年齢の子供たちが書いてくれているのですから。“しんどくても自分を信じて走ろう”と、メッセージをしっかりと受け止めます。
大会記念グッズもあまり主張の強すぎないものが多い印象で、何となく好きです。
今回はうまいもん横丁という屋台が出ていましたので、折角だからと香住の蟹汁をいただきました。香住ジオパークマラソンも怪我で終わった(完走はしました)ままなのでいずれ再挑戦をと思っていたのですが、残念ながら大会自体が終了してしまい、心の中でのみ生き続けることとなりました。蟹汁はとてもおいしく、黒部のことも思い出しました。ぼっかけコロッケも食べて糖質を蓄えます。
帰りのポートライナーは19時20分頃でも混んでいたので、一本見送って5分後の次の便に乗りました。少し待てば来るのはありがたいです。一本待っても混むことに変わりはなく疲れますが、無理やり乗ると一層辛いので待つのが吉です。
今まで神戸でパン活をしたことがなかったため、今回は先にブーランジェリーコム・シノワさんに寄り、クロワッサンとノワ・レザンを買いました。クロワッサンはパリッパリで香ばしく、ノワ・レザンも果実と生地のハーモニーが絶妙で、我慢できずに食べきってしまいました。
もう一軒は神戸の老舗、ケルンさん。こちらは遅い時間にもかかわらず品ぞろえが豊富で、見た目からして迷います。チョコッペが名物っぽかったのですが、クロワッサンベーグルとミュンヘナーを選択しました。いずれもおしゃれでありながらも庶民的な部分もある懐かしい味で、神戸の懐の深さを感じるものでした。
夜は他にレタスとチーズのサラダ、納豆、ヨーグルト、プロテインバーを摂取しています。カーボローディング気取りの食事は大体前日だけにすることが多いのですが、今回は金夜にも投入してみることにしました。
前日
パン活@大阪
やることもないので寝られるだけ寝ることにして8時過ぎに起きました。年に何度かしかない眠りっぷりです。身体も勿論ですが脳のためにもこういう機会は作っておきたいところです。大抵レース前日は観光で身体を痛めつける傾向にあります(例:長井2023)が、たまには完全休養で大人しく過ごすこともあるのです。
遠征ばかりであまり大阪にいないので、貴重なパン活のチャンスです。自転車で少し回るだけで名店に巡り合えることも今更ながら知りました。
ブランジュリータカギさんは種類も豊富で、こんなによきパン屋さんが近場にあったのかと思います。バーガーがどれもでかくて映えます。悩ましいところですがタルタルフライドチキンバーガーを選びました。こちらはとにかく分厚く、お肉もタルタルの味もよかったです。ヘーゼルナッツチョコも期待通りの香ばしさと歯ざわり、そしてチョコのおいしさで大満足です。
パンデュースさん(本店)は外国人のお客さんも多かったです。こちらもとてつもなくおいしそうな、それも各地の素材にこだわったパンが沢山で迷いに迷います。クリームパンは非常に繊細かつ柔らかな味と食感で、大変美味でした。ミナミちゃんサンドは熊本県のミナミノカオリにアプリコットの甘みとクリームチーズが加わり、最高のデザートになりました。石川の大聖寺駅にもあるとのことで、ご縁も感じます。
お昼を過ぎてからブンディールケケさんへ。意外なことにまだオープンから2年とのことですが、お洒落でパンも美味しいのでますます繁盛することと思います。ここでも迷った末に選んだ湯葉のキッシュは正に湯葉という味わいで、非常にバランスがよかったです。カヌレも表面のカラメルのカリっと感と中の生地の濃厚さがとてもよかったです。
ベーカリーみやぱんさんにも行けました。くるみ大福は牛皮入りで、家まで待てずに外でいただきました。サイズも手ごろで幸せです。レーズンブレッドは夜と翌朝に食べる計画です。
夕食はまつやとり野菜みそで、豚肩ロース、白菜、人参、ほうれん草のみそ鍋でした。みやぱんさんのレーズンブレッドもおいしくいただきました。就寝前にはアミノ酸も飲んでおきます。
レースのシミュレーション
天気予報と前年の気象情報も確認しておきます。雨も降らず気温も9℃→15℃と快適なものであることに加え、西風、つまり折り返してから順風になる嬉しい予報です。大会プログラムには2022年大会は12時時点で「風速1.2m/s, 西南西」とありますが、記憶としても強めの逆風だったことから気象庁の10分ごとのデータを確認します。北東から8~10m/sの風が吹いていた、と記憶と整合するもので、西風有利とみて間違いなさそうです。まあ風向きは変わるものなので、どう吹こうが騒がずに対処するしかないのですが。
コース動画はGoogle Earthのものがあったので繰り返し見ておきました(いけてる新動画はあまり参考になりませんでしたし。かっこよくはあります)。バーチャル感はともかく、記憶と重ねながら細かな上りやランドマークを確認できてとてもよかったです。6km台で高架を潜ってからの狭い道、9km過ぎの軽い上り(復路は通らない)、15kmからの小さいアップダウン二つ、19kmの折り返し、25km過ぎの上り、周囲も疲れてきて混むので取りにくい26km台以降の給水、32.5kmのイオンと35kmの二つ目のイオン、36km付近の景色と37km過ぎの浜出バイパス、その先2kmで広がる空、40km過ぎてからの下りと悔いを残さないために力を振り絞るべき最後のシーン、これらを頭に叩き込みます。
練習
下関海響マラソン後は目立った筋肉痛やだるさもなかったので、大きな谷は作らずに練習を継続できました。
月:観光スロージョグ60分、火:オフ、水:スロージョグ45分、木:有酸素ジョグ63分(12.7km, 138bpm, 196spm, ライトレーサー4)、金:有酸素ジョグ60分(12.3km, 133bpm, 195spm, ターサーRP3)、土:スロージョグ(7km+8.4km)、日:雨でオフ
月:朝寝坊でオフ、夜トレッドミル60分(10km、2%)、火:2分オン1分オフ×10(490~520m, 最後560m, ズームフライ4)、水:有酸素ジョグ43分(9km, 139bpm, 198spm, ハイパースピード2)、木:擬似本番スタート走1,000m×3(4:10, 3:51, 3:36 ズームフライ4)、金:雨でオフ、土:オフ
ナイキ厚底はやや独特なのでズームフライ4を履く機会を増やしました。概ね別大直前と同じくらいの感覚で走れています。ヴェイパーではない分タイムは劣りますが。朝暗くなったこともあって最終週は7時頃まで覚醒しなかったり、風邪を予防するために雨の日に走らなかったりしましたが、その分しっかり休めたと思います。
ガーミンさんは相変わらずあり得ない数字を出してきますが、遅いよりは精神衛生上助かりますので、応援メッセージとして受け取っておきます。
レース当日
レース前
夜中は一度覚醒してから考えごとが払拭できず再入眠に苦戦しました(し心拍数も高めでした)が、そうは言っても22:10消灯ですから十分回復できます。二度寝も決めて5:40頃に起床しました。
まずはドリンクを調合します。ジェルフラスコは120mlくらい入るので、経口補水液一袋を200ml程の水に溶かしたものを半分ずつ入れ、片方には柑橘系のマグオンを、もう片方にはカフェイン多めのコーダを入れて混ぜます。大体30分おきに、前半は青い方を、後半は黄緑の方を摂取します。左端のアミノバイタル粉はレース直前に飲みます。右端のアミノ酸やアミノプロテインは終了直後用で、ポケットに入れて走ります。同じく終了後用のプロテインバーはリュックに入れておきます。今回は自宅から直行で荷物も少ないため、他にプロテインシェーカーにプロテインをたっぷり詰めて持っていきました。
持ち物を確認してから朝食です。もうシンプル一本やりです。野菜は普段の食事で足りていますし、糖質も前日たっぷり摂っています。その割には起床時66.0kgと全然増えていないことに疑問はありますが、過剰摂取で重いのも辛いので、ポジティブに解釈することとします。
テーピングを施し装備も整え、トイレも済ませて出発です。ここ数日は起床後しばらくするとお通じがあるリズムになっており、終盤走っていてもかなりの安心感がありました。
6:58発の阪神に間に合い、座れそうだったのでこちらに乗り込みました。7:12発でもいいやと考えていたのでラッキーです。車内ではただひたすら目を閉じて省エネモードに入ります。
7:30には神戸三宮に到着し、地下は迷うので地上に出ます。毎回感心するのですが、とにかくスムーズな動線と丁寧なご案内は素晴らしいの一言です。
余裕を持って荷物預けのトラック前に至り、服を脱いでセンサーを装着しヴェイパーさんに履き替えます。腹持ちのよいプロテインバーも食べ、アミノバイタルも8時過ぎに飲んでおきました。本当はもっと直前に飲みたくはあるのですが、水が少ないと苦かったり粉っぽかったりするので、ここは快適さを優先しました。
8:15頃にはスタートブロックに入り、Aブロックのそこそこ前の方に陣取れました。スタートロスは25秒で済みましたから、まずまず成功といえるでしょう。大して寒くもなく、座って目を閉じてじっとしていました。もう何も周りのことは考えません。
スタートセレモニーの時間となり、自然災害で亡くなられた方に黙祷を捧げます。キャップも手に握り、深い気持ちに沈みます。『しあわせ運べるように』も目を閉じて聞いていましたが、ふと目を開きビルの間から青い空を見た時に少し涙が流れました。歳を取るとこういうものかもしれません。皆で手袋をかざし、ひまわりを咲かせます。
ラジオ関西のパーソナリティーさんの、“自分のために走るのは勿論ですが、それ以上に人々のために走るマラソンを目指しているのが神戸マラソンです”という言葉も染み、“今日は絶対にイライラしないようにしよう”、“声を掛け合って助け合うようにしよう”と自分の中でもテーマが見えました。
大規模大会ですので、スタート前に周囲のご迷惑にならない程度に肩甲骨周りと股関節周りの動的ストレッチをするのが精一杯ですが、何もやらないよりはよいと思います。
レース
序盤~前半
- 序盤
スタートは少し進みにくく焦りそうなものですが、ここでどうこう言っても疲れるだけなので、気にしません。あの田中希実さんのご尊顔を拝めたこととその小柄な身体で爆走しておられることに勇気をいただき、出発です。
いきなりの左折も毎度のことです。3時間15分のぺーサーさんもおられたので、集団が形成される前に抜いておきます。またすぐ左折し、元町で龍の応援を見たと思ったら右折という流れもお馴染みです。1kmの入りは4:30で、ウォームアップができていないことを考えると十分です。
2km辺りのガンバフンバ隊に3km付近の太鼓もよく覚えていますし、右手道路の向こう側にある湊川神社も初めて見届けられました。3kmでネット13分くらいだったので、“十分上がっている。この展開ならいずれぺーサーにも追い付く”と思いました。この辺りの直線は、ただただ広い所を贅沢に走らせていただけることに感謝するものの、なかなか覚えられないところです。
5km過ぎでは最初の給水です。左右両サイドに配置されており、奥の方を狙えばほぼ無理なくコップを掴めます。今日は徹底して快適に走ることにしていましたので、コップを取る前は早めに“入ります”の合図を出し、入りたそうにしている方の気配を感じれば“どうぞ、入って下さい”と譲り、ゴミを捨てる時も後ろの方に断ってからシュートしました。これをやるとお互いストレスなく励まし合えたりもするので、とてもよかったと思います。
ゴミ箱に捨てない人にイライラしたのも過去の話で、今は“コースに捨てることすらできないでタイムだけ残しましたのサブスリーと、ゴミ箱に全て完璧に捨ててのサブスリーでは全く価値が異なる”と切り捨てられるようになりました。
6kmを過ぎて左折、高架を潜って狭い道へと進むのも予習通りです。応援がまた一段と増えたことを感じつつ左を見ると、鉄人28号のモニュメントがあり、神戸マラソンらしさを感じました。7kmでネット29分43秒程。十分です。ぺーサーの金色の風船も見える距離になってきました。
- 前半
ここからは特に道幅が狭いので、焦って前に出ようとしても疲れるだけです。“28km以降になれば大分バラけるだろうから、それまでは絶対に上げないでおこう”と決めます。今年は折り返しまでは逆風だったので、ある程度固まっていた方が風の影響も和らげられるという考えもありました。
ぺーサーにあまり近いと給水や接触で気を遣うので、これ以上は近づかないようにします。右手の線路沿いの斜面には沢山の応援メッセージのタペストリーが掲げられており、ここでも元気をいただきました。
9kmくらいで少し上って線路を跨ぎ、海岸線沿いに出ます。ここでも集団との距離を縮め過ぎないようにしつつ、リズムとフォームを確認します。いい感じの向かい風で、折り返し後に期待が持てます。
塩屋の跨線橋を渡り、復路では25km過ぎの坂になることを確認しておきます。給水は周囲との接触を考えるとコップ1つになることが多かったですが、今日の気候なら問題ありません。14kmでネット59分20秒台でしたので、非常に安定していると自信を持ちます。
中盤
- 中盤①
15kmで左折して橋を軽く上り、漁港の方を経由します。そして500mくらいでまた小さな橋を渡ります。ここも事前にGoogle Earthで予習済みです。これくらいのペースで走ると大体この辺りでトップ選手とすれ違います。海外招待選手が飛ぶように走っていきます。先導車が来たなとぼんやりしていると一瞬で通り過ぎ、肉眼で明確に捉えることができませんでした。
このエリアはまた一段と狭く、前が詰まってしまうのですが、ここで焦ってペーサーを追うと接触・転倒の危険がありそうに思います。やや無理に追い越しを試みている方もおられましたが、ペーサーさんとの距離もそこまで開いていないことを確認しながら、後半で抜けばよいと割り切っていました。
明石海峡大橋を見つつ舞子公園の前を進めば、待望の19kmの折り返しが近づいてきます。去年はここで転倒した方がおられ、コーンとポールが飛んできて巻き込まれそうになったので、かなり慎重に進みました。段差もあるので油断できません。コーナーも最短距離を無理に狙うと前の人に挟まれます。ここは欲張らずに、順風になってからの盛り返しを信じます。
20km過ぎのエイドでもなかなかコップが取れずに苦戦していたのですが、ここでなんとSブロックゼッケンのリラックマウェアの男性が水を取って差し出して下さり、感激しました。お礼をしっかりお伝えできましたし、“これはこの先どなたかに同じことをして恩返しをしたい”と考えました。物理的に助かったのは勿論のことですが、それ以上に”こうして他のランナーのことを気遣って下さる方もおられるのだ”と嬉しくて励まされました。あの時は本当にありがとうございました。
中間点は右折前と予習済みです。グロス1時間29分54秒。去年あの逆風の中を1時間30分01秒で粘れたのですから、今日の順風ならかなりの確率で間に合うと思いました。
- 中盤②
ここからは細かい上りに一喜一憂せず、周囲との接触に気を付けながら進む時間です。緑の屋根も二つ目の橋を上りながらの左折も全て覚えています。東垂水付近の23kmでは、“25kmの上りまであと2kmか”と考えていました。
25kmの歩道橋辺りからの上りは案の定多少堪えるのですが、そこまで辛くはありません。ただ、周囲がこの付近くらいから疲労に耐えられなくなってくるため、非常に走りにくくなります。
更にその先の給水ともなると一時停止に近いくらいの動きにならざるを得ない場面があるので、周囲のランナーさんの動きの見極めがかなり大事になります。できるだけ奥のテーブルで、早めの合図とお礼の言葉を組み合わせることで最低限一つは水かスポドリを取り続けました。ただ、いざとなったら取らなくても大丈夫という自信もあったのは、心理的には大きかったと思います。
この海沿いの景色はとてもきれいで、往路のランナーさん達とのすれ違いで声を掛け合っている方々を見ると“やっぱりマラソンはいいな”と思ったりもします。ここでも沿道の応援、スタッフの方が多くて元気が出ます。往路でも聞こえて来た「愛は勝つ」が心に響くお年頃です。
須磨浦公園の辺りも応援が多く、「サブスリー!」、「いける!粘れ!」という声が飛び交います。一つ一つの言葉の熱にどれ程力づけられたことか。そして昨年も応援して下さった会社の先輩を探してずっと右に寄っていたのですが、去年と同じ歩道橋の少し手前にいて下さる姿を見つけ、思い切り手を振り目を合わせてお礼を言いました。「3時間いける!」との声には、「今日はいきます!」とお応えできました。ここは本当に力をいただきました。
28kmでネット1時間58分台だったと思います。この余力でこの残り時間なら、ほぼ確実に間に合います。あとたったの60分で歓喜の瞬間が訪れるはずです。
後半~終盤
- 後半
もうすぐ目の前に3時間のペーサーさんと集団が迫っています。順風を味方につけているうちにいつの間にか詰まっていました。“これはいつでも抜ける”という感覚は、大阪マラソンと似ていると思いました。脚も左股関節が若干疲労しているくらいで、腿も平気、特に膝から下に疲労や異常がないことに自信を持ちました。悪い時は膝、ふくらはぎ、足裏、足指のどこかに異常が出ますが、今日はそれもありません。ひたすら二時間以上のジョグを重ねて脚が強くなったのだと思います。
ここは確実にペーサーさんに運んでいただこうと決めます。例年神戸マラソンのペーサーさんは本当にぴったりのタイムで走って下さるので、最後だけ前に出ればよいはずです。ここであえて前に出るには早いと判断しました。勿論周囲は集団になっていて接触の危険もあります(予想より粘っている人数が多かったので)が、ここから先は一蓮托生、この方々を信じて走る方が成功の確率は高いと思いました。
30km過ぎでも落ちる感じもなく、無理なく進んでいきます。後で心拍数を見ると28km以降は170bpmを超えていますが、主観的には160bpm前後で余裕がありました。練習であればすぐにばてる心拍数ですが、それでも平気なのはレースならではです。かなり静かな気持ちで走ってはいましたが、アドレナリンはたっぷり出ていたのかもしれません。
32.5kmのイオンが一つのランドマークです。この次は35kmの二つ目のイオンだと考えていると、ノエビアスタジアムの前ではまた大きな声でヴィッセル神戸のサポーターの方々のコールが響いてきて、力が湧いてきました。しかし周囲の疲労も積もり積もるところで、自分の目の前で二回、転倒がありました。気遣うことと励ますことしかできませんが、気配からしておそらくすぐに立ち上がっておられたと思います。
35kmではグロス2時間28分44秒。去年より1分以上早い通過です。もう確実だと思いました。ペーサーさんからもタイムと共に「全員でサブスリーいきましょう!」という檄が飛び、「おお!」と周囲が一丸となる瞬間がありました。集団で走るとこういうよさもあるのだと心に響きました。
終盤
35kmの給水だったかと思いますが、左を走っておられる方がドリンクを取りたそうにするも入りにくそうだったので、“ここは恩返しのチャンス”と考えて二つ取って一つをお渡ししました。とても感謝していただけたのも嬉しいのですが、「一緒にサブスリーいきましょう!」と声を掛け合えたのも力になりました。この方からはフィニッシュ後にご丁寧にお声がけいただき、“あの時の給水でそこから頑張れた”とまで仰っていただけました。
この辺りでも脚が持つことは確信していましたが、右肋骨周辺に痛みがあり、下手をするとさしこみにつながりそうな感覚があったので、無理はできないと悟ります。秋田100kmの時も後半4時間くらい痛かったですし、心拍ベルトの締め付けがきつ過ぎたのかもしれません。1km程我慢しているうちにやや薄れてくれました。
36kmで右折し、倉庫と思われる景色の中、浜手バイパスに備える流れも分かっています。給水は更に難度を増しますが、もう皆で行くしかありません。「サブスリー!」の声が至るところから背中を押して下さる中、神戸の中心部を感じて右折すれば浜手バイパスです。ペーサーさんを信じて追いかけます。
毎回書いていますが、浜手バイパスの上りそのものは跨線橋+αくらいのものですので、大したことはないのです。ここは強めに腕を振りつつ、ピッチを上げて上ります。どちらかというとその先の、神戸大橋への道が難しいように思います。疲労が押し寄せるから、何か距離感が掴めないというか、自信がなくなるのです。しかし浜手バイパスの上りからずっと、自分も周囲も誰しも不安と戦いながらも力を振り絞る、横からは学生スタッフさんの声が枯れんばかりの応援が飛ぶ、この時間は、苦しくはありながらもあまりに強く心を掴んで離さない、魔力を秘めたものだと思います。
今回、自分が何としてもサブスリーを達成したいと願ったことにはいくつかの要因があるのですが、その一つに、下関で、“サブスリーを達成したければ、サブスリーが当たり前の集団に身を置くべし”という教訓の意味を実感したことがあります。“サブスリーくらいでビビっていてどうするの?俺たちはもっと上を目指しているだろ?”と言葉で言われたわけではないのですが、その姿や言葉の重みから伝わってくるものがありました。自分も年齢を重ねても自己ベストを狙い続ける、その背中に近づきたいと心底思いました。私が願う生き方はそういうものなのだと気づけました。
とにかく39kmで視界が開けることを心待ちにペーサーさんから離れないように走っていきます。ついに神戸大橋の上に出て、眺望も広がります。これまではここで“もうサブスリーは間に合わない”という悲壮感と共に走っているのですが、今日は“思った程風が強くない。給水に備えて左の方を走ろう”と考える余裕がありました。
わずかに上りながら、渾身の応援を身に受けて進み、いよいよ赤いアーチに至り40kmです。ここで設置された時計を見ると2時間50分38秒、予想以上に余裕がないことに驚きます。後でラップを見るとここだけ21分54秒かかっています。昨年は21分24秒でしたから、”今年は大体10分くらいの持ち時間があって悠々と終われる”と思っていただけに衝撃を受けます。ここから多少落ちて9分10秒かかるようなことがあっては本当のギリギリです。しかもそれくらいかかることはざらなのです。
この先思い切った下りがあることも何度も見たGoogle Earthでインプット済みですので、もう行くしかありません。“ペーサーさんに運んでもらえば楽して終われるかも”などと邪なことを考えている場合ではないのです。腹を括って右側に進路を取り、下りを利用して一気にペーサーさんの前に出ます。弾もうがピッチが落ちようが構っていられません。今日がダメならもう私の生涯にチャンスは訪れないかもしれません。
今回サブスリーを渇望した要因の一つには、金沢マラソンで動かない全身を抱えながら何とか力を振り絞って前に進み、笑顔で完走してくれた後輩の姿に感銘を受けたということもあります。そして今体調を崩している別の同僚に、少しでも勇気を届けられればという思いもありました。ここで私が頑張ることでどれくらい彼らに伝わるものがあるのかはわかりませんが、今この瞬間に力を出し切りたいと私が願ったことだけは確かなものです。それでよいのです。
41kmの表示を見て右折、すぐに左折して歩道橋までの直線、ここでは今回もバンドの演奏があり、ブルーハーツの『やさしい歌』に力をいただきました。“前はサブスリーに届かない状況でモンゴル800に諦めない気持ちをもらったよな”と思い出しつつ、今回はサブスリー達成の最後の一押しなのだと鼓舞されます。
信号二つ先の右折でラスト500mです。流石に疲れを感じますが、ようやくここ、神戸でサブスリーが達成できるという喜びが湧き上がるのを感じながら、この光景を目に、そして脳裏に焼き付けます。これまで三度までも跳ね返されてきたこの道に、ようやく一つの足跡を刻めるのです。充たされる思いがありました。
最後は何人か抜きつつ上げていきましたが、それでも2時間59分の声が聞こえて来て“やっぱギリギリなのか”と焦ります。しかし最終的にはしっかりと2時間59分台であることを見届けて笑顔で、万感の思いでフィニッシュすることができました。私なりに、感謝と友情の一つの形を表せたと思います。本当にありがとうございます。
アフター
会場
ほぼ同時にフィニッシュされた周囲のランナーさんと握手して健闘をたたえ合い、タオル、メダル、水、バナナ、ゆで卵などを笑顔でいただきながら歩きます。少し涙が出そうにもなりました。この先自分がどうなっていくのかもわかりませんので。しかしこうして走る中で得られる沢山の喜びは他の何にも代え難い、考えてみれば自分は失うものなど何もないのだから、好きに生きていけばよいのだという確信も芽生えました。
いただいたものはゴミ箱にすぐに捨てられるようその場で食べ、アミノプロテインとアミノバイタル粉も摂取し、荷物を受け取ってからチーズ、プロテイン、プロテインバーも食べてリカバリーに努めます。ヴェイパーさんはダメージもありますが、よく頑張ってくれました。
満足感に浸りながらゆっくりと着替え、外に向かう途中、パネルの前で記念撮影もしていただけました。普段一人で大会に出場した際には自分の写真が残っていなくても全く意に介さないのですが、やはり記念になりますので、ご厚意に甘えました。スタッフさん、ありがとうございました。
外に出てお味噌汁で温まり、有馬温泉のサイダーと炭酸せんべいまで受け取ります。金曜日に見たフラワーアートも、今日は穏やかな気持ちで見つめることができました。
戻って来られるランナーさんをしばし見届け、自分が見た光景を思い出していました。歓喜の瞬間は、傍から見ていても嬉しいものです。
今年は待ち合わせ広場にキッチンカーも沢山出ていました(自分の知る限り最多)ので、少し並んで唐揚げとビールを購入し、安堵しながらおいしくいただきました。今日くらいは心からホッとして眠りたいところです。
ステージでは女子の表彰のタイミングに居合わせたので、堀江美里選手のお話や、市民ランナーの星、山口遥選手達も勢揃いしての撮影でも楽しく過ごせました。
その後しばらくしてから高校生のヒップホップダンス、チアダンスも披露していただいたのですが、(毎度毎度噴出する“自分が高校生の時はあんなにキレのある動きはできなかった。というか何もできなかった”という凡庸な思いはさておき、)やはり笑顔で楽しそうに踊っている姿は何よりもよいものだと思いました。“自分も、ランナーにとっての舞台であるコース上では、笑顔で楽しく走りたい”と気持ちを新たにしました。
記念にクリアファイルとおみやげのクッキーを買い、チャリティバスのチケットを受け取り、名残惜しい気持ちもありながらも会場を後にしました。バスは絶対に座れますし、すし詰めにならないので快適です。送り届けていただいた場所には、「日本マラソン発祥の地」の記念碑がありました。
三宮巡り
これまではどんなに強がっても敗北感を拭えない結果には抗えず、早々と帰宅してしまっていましたが、今日は心穏やかに観光に勤しめます。生田神社にお参りして、今日無事に走らせていただいたこと、願った結果が出せたことのお礼をお伝えします。こちらは源平合戦の歴史もあり、ついこの間壇ノ浦を見て来た身としては縁を感じるものがありました。
北野異人館街にも行ったことがなかったので、函館チックな急坂を上り、異国情緒溢れる建物群を外から眺めてきました。普通に時間を作って観光に来たいものです。
神戸でのパン活も次がいつになるかわかりませんので、レース後にもかかわらず巡ってきました。Piccolo Ho Marettaさんは高架下にあるのですが、ムッシュドジェノベーゼもセーグルラムレーズンバターも大変おいしく、あっという間に食べてしまいました。クロックムッシュは種類が豊富だったので、また食べてみたいですし、近所に住んでいたり職場が近くにあったら通い詰めてしまいそうです。
THE BAKEさんではブリオッシュショコラとゴルゴンゾーラはちみつバターを購入しました。特にゴルゴンゾーラはパンチが利いていて、チーズ好きにはたまらない逸品でした。
夕暮れの三宮を見やり、優しい気持ちで帰宅しました。電車に揺られていると、大阪マラソンで再会を喜び合った友人からおめでとうメールが届き、彼女もまた元気で走り続けていてくれることを嬉しく思いました。私たちはこういう生き方を心底望んでいて、それはこれからも変わらないのでしょう。
最後に
何度も挫けてきた神戸マラソンでようやく願った結果を残すことができました。タイム自体もですが、今回はしっかりと思いを込めた走りもできたのが自分にとっては大きかったです。
國分功一郎先生の人生相談の中に、“確かに一の努力で十を習得する人はいるが、凡人であれば十の努力で十を習得すればよい。問題は、十の努力をしてでも手に入れたいと願うかどうか。それが「欲望」である”という趣旨のことが書いてあったと思うのですが、自分にとって、こうして色々な方と様々な形でつながり、その声に応えたいという強い願いがあったのだと、走っていて実感しました。
神戸の皆様のこの大会にかける情熱は、何度出ても心に強く響きます。震災時に何もできない小学生だった私も、何度も神戸を走らせていただき、皆様の声に力をいただき、生きる喜びを感じることができています。
これからも一緒に、この大切な大会を新たなステージへとつなげていきましょう。今年も熱い応援、本当にありがとうございました。
ここまでご覧いただきありがとうございます。チラ見でも何でも、とっても嬉しいです。