ちょっと長すぎる旅ランブログ

百聞は一走に如かず。きっと貴方が好きな大会が見つかります。

【思い出】京都マラソン2016(2016/2/21) 過去の自分と走る道 2023年も帰って来ます!

愛媛マラソンに続いてあの京都マラソンにも当選したということで心待ちに練習に励んだ毎日でした。京都は大学時代も含めて7年半程住んだ特別な場所ですので、土地勘もあって楽に走れるだろうという期待感と、その時に自分がどんなことを感じるのだろうかという漠然とした思いを持っての出走となりました。

コースは西京極から嵐山を目指し、広沢池の横を抜け衣笠から中心部に入って金閣寺の傍を通り、北山通を行って帰って府立植物園も走り、賀茂川沿いを下って丸太町を通り東大路と今出川通りを走って平安神宮で終わるという、観光客以上に京都に住んだことのあるランナーにとってとてつもなく贅沢なものでした。地名を聞くだけで情景が浮かびますし、山ほどの出来事を思い出すはずです。不思議な力が湧いてきて、後半もほとんど疲れを感じませんでした。愛媛に続いてビルドアップも決まりました。後半8分程上がっていますね。

Start    00:01:56    
5km    00:28:28    0:26:32
10km    00:53:48    0:25:20
15km    01:17:42    0:23:54
20km    01:42:08    0:24:26
中間点    01:47:20    
25km    02:05:57    0:23:49
30km    02:29:04    0:23:07
35km    02:52:08    0:23:04
40km    03:15:13    0:23:05
Finish    03:24:36    0:09:23

自己ベストを更新し、グロス3時間24分36秒(ネット3時間22分40秒)で終われましたが、このコースを完走するまでに、自分には7年半と3時間25分程が必要だったのだなと、その間にあった沢山のことを思い出し胸の奥が温かくなったのを覚えています。

当時忘れないようにと書いた諸々は、改めて見返すと感傷的過ぎて恥ずかしさや痛々しさも感じるものですが、それも含めて受け入れていければと思っています。

京都マラソン2023は7年ぶりの参加になります。あの日からまた強くなった自分が、かつての京都に住んでいた、いやむしろその後もずっと京都に残っているようにも思える弱い自分と一緒に走り、その駄目だった時間も受け入れてお互いに肯定し合えることを願います。

kyoto-marathon.com

京都観光できて最高!みたいな記事ではなく、個人的過ぎる記事になっていますが、もしよろしければご覧ください。何か伝わるものがあると嬉しいです。

今年も一年お世話になりありがとうございました。2023年が皆様にとってよい一年になりますように。

【追記】

7年ぶりの参加でもやはり35km付近では終わってほしくないと感じましたが、一方で今日まで来た道と明日へと向かうことの意味を思う一日になりました。

savarun.hatenablog.com

前日(受付と懐かしの京都散策)

午前中に前日受付も完了します。とことんがめつい上に怖いもの知らずですのでふるまい酒もいただきます。

この頃は見るもの全てが刺激的過ぎました。

参加賞のバフ、使ったことないなあ……。

もう少し待てば森脇健児さん千葉真子さんトークショーが始まるところでしたが、この日は学生時代にお世話になったアパートの管理人さんにご挨拶をする予定があったので、移動します。『走る男』をKBS京都で何となく見て、走るのも楽しそうだなと思っていた20代の日々が今につながっていますので、森脇さんには特別な憧れがあります。時代の寵児として何とあのSMAPを従えていた時期がありながらも、その後紆余曲折を経て今は関西を中心に地道に活躍しておられる姿に惹かれていました。(その後、年末に道頓堀で開催された公開練習会で一緒にジョギングし、サインをいただきました。生で見ると目元からキリッとした空気が漂っているのが分かります。)

森脇師匠!

懐かしの市バス206番に乗車して高野に移動し、長年過ごしたアパートで管理人さんにお会いできました。この時既に御年75歳でしたが、お元気「そう」ではなくお元気そのものでした。若い人と接したり掃除したりしていると年齢を感じないと仰っていましたが、それにしても明るさと健脚ぶりには驚かされました。色々と最近のお話も伺えて楽しい時間で、ここに住んでいてよかった、また来ようと思いました。(その後も桜や紅葉の季節には毎年のように京都に訪れており、タイミングが合えばご挨拶に伺っています。2022年に管理人業務から引退されましたが、2021年の3月末にもお会いでき、桜を見ながら出町柳まで数kmを一緒に歩くという僥倖に恵まれました。こんなに元気な80歳はなかなかおられないでしょう。)

ついでと言っては何ですが、どうしても昔の自分が今も生きていることを確かめたい思いが強かったのでしょう、別に行かなくてもいいカナート洛北を巡ったりしました。他に行くとこないのかと自分でも思いますが。

このなか卯は割と新しい気が。キッチンとまと畑さんのお惣菜はよく買いました。

出町ふたば著名な餅を食します。そこまで並ばずに買えたと思いますが、当時からすごい人気でしたから、もしかすると記憶の改竄が行われているのかもしれません。甘過ぎず、すっと入ります。

何故そこまで大行列なのかと思わないでもありません。実際超うまいですが。

一日中、仏に逢うては仏を食せくらいの勢いで、覚えているだけで菓子パン5つ、大福、ずんだ餅、ロールケーキ、アップルパイ、シリアル3杯、チョコレート相当量、鍋焼きうどん、水炊き、米1合を食べました。燃料切れはあり得ない一方、イメージする動きができるのだろうかと若干の不安はありました。

京都もパン屋激戦区なのです。

当日

レース前(食べに食べつつスムーズな移動)

5時20分起床。コーヒー、アップルパイ、チョココロネ、著名な餅を食します。

電車は座れこそしませんでしたが、乗車時間も知れていますので問題ありません。到着後スポーツドリンクをいただき、更にアップルパイ、ソイジョイ、ゼリーを食べます。相当舞い上がっていたのか手荷物預け袋を家に忘れるという失態を犯しましたが、佐川急便さんによる救済(有料)があり事なきをえました。配慮が行き届いていて感心しました。こんなミスをしたのは後にも先にも京都マラソンだけですが、大会に出る度に毎回この失態を想起して京都マラソンの思い出に浸れるのもご縁というものでしょう。

更衣スペースが球場だったのでトイレが充実していました。別に行きたくなかったのですが一応軽く寄っておきます。スタート位置までの混雑もなくすぐに辿り着きました。(かつての奈良マラソンはスタート位置の手前にトイレ待ちの壁があり油断すると間に合いませんでしたね)。

あの全国高校駅伝でおなじみのスタジアムです。贅沢。

谷口キヨコさん(※京都なら知らぬ者はいないDJ。明るい声と絶妙のテンポで関西人に元気を与え続けています。)の貫録の司会に気持ちを高めます。黙祷で、復興は道半ば、続けねばと改めて思います。

レース

序盤から中盤(嵐山から市内中心部へと)

とりあえず混雑していますが、公道に出て桂川へと向かいます。阪神の桧山さんとは競技場を出てすぐくらいの位置でお会いでき、握手していただけました。プロ野球選手とこんなに近い距離で話したりできたのは初めてかもしれません。“やはり野球選手はでかい”という驚きはいつもどおりです。そりゃあれだけ打球は飛ばすしクロスプレーはあるしで当然ですよね。

序盤はかなり遅くはありましたが、こんなものかと思っているうちに嵐山が見えてきます。端的にいい眺めでした。何度も桜と紅葉を見に来たお気に入りの場所です。色々あって打ちひしがれた時もここを散策しました。自分の中では“困った時の嵐山”という合言葉もあったくらいです。

序盤は確実に水を取るように心がけます。コップの口を潰しては持って走り、次のエイドで交換ということを続けました。ちびちび口の中を潤し、暑さを感じたら背中にかけたりします。持っている時間が長いので手首が疲れましたが、トータルではよかったです。衝突回避のため基本的に奥の台で水を取ること、ゴミ箱付近はいきなり寄せてくるランナーもいるので横にも距離を取ることを心掛けました。フルマラソンも5回目ともなると学習します。

広沢池も自転車で通ったなと思い出したりします。この辺りから上りが増えますが、これでもかと下を向いて気のせいと片づける高橋尚子さんメソッド(※愛媛マラソン前日イベントで仰っていた方法。下りは“私は小石”理論です。)で速く走りました。仁和寺僧侶応援団には圧倒されました。あんなに大勢で並んでいただけるとは。大日如来様の力をお借りして進みます。

きぬかけの路を上ったと思えば、少し行くと下りもありペースが安定しなかったのですが、落ち着くところに落ち着くので左程気にしないことにしていました。立命館で給水があり、左大文字が近づいた辺りで15kmですかね。

中盤(北山通と府立植物園)

この辺りはやや土地勘が薄めなこともあり、少しどの辺りを走っているのか分からない時間がありました。賀茂川を上っている時は体感的に遅く、今日はベストは出ないだろうなと思いました。

賀茂川を渡って折り返し、しばし下ると北山通が近づいてきます。ふと、これはもう、単に走るだけの話ではなく、大袈裟に言うなら、自分の人生の何かなんだなと、北山通に入った辺りで胸に迫るものがありました。これはまた必ず出たいと、まだ終わってもいないのにそう考えていました。

中間点でネットがサブ3.5から20秒遅れくらいでしたので、最低限3時間半は行けそうだと気付き、勇気が湧いてきます。この先は風が押していてくれるのかと思うくらい身体が軽く、勝手に動いていきました。高野川手前で折り返し、“ああもう何もしないでこのままここに住み続けたい”というどうにも叶わない願いが湧き上がってきます。高野川は桜のきれいな場所です。

当時のコースは折り返しが多かったのですが、下鴨本通を折り返した後に八ッ橋エイドがあったはずです。この付近は道も狭く、スピードを落とさざるをえなかったのですが、やはり経験と度胸が不足していたため、肝心の八ッ橋を取ることができず無念の極みです。

府立植物園も大好きな場所です。いつの季節に来ても様々な花や木々が目と心を癒してくれます。ここで、小学校低学年くらい(?)の女の子に「自分の限界まで頑張れー!」と深く厳しい応援の声をいただきました。返事はしましたが、届いたかな。周囲の大人たちも笑っていて、とにかく楽しかったです。

後半~終盤(万感の思いを抱き平安神宮へ)

賀茂川沿いを下る河川敷は前日の雨の不安がありましたが、思った程影響もなく一安心です。ただし道が狭く、不運にも31km辺りでペースランナー(多分3時間半)を取り囲む集団の渋滞に巻き込まれて大幅に減速するしかありませんでした。折角調子が出てきたところでこのジョグペースは勿体ないと思ったものの、“丸太町通りに出るまでは休む時間なのだ、ラストを思い切り上げよう”と割り切りました。遅くとも河川敷に入る前には集団の前に出ておかないと駄目そうです。当時の自分のレベルでは無理でしたが。

30km以降は水を取らず、当時はポーチに挿して持参していた自分のボトルを使いました。後半のエイドは止まる人続出でぶつかったり、水が飛んで来たりするので、とにかく距離を取ることに徹する作戦です。

御所の南を通り市役所の前でターンして残り7kmに至った時は、“ああ、もうあと少しでこの夢のような時間が終わってしまう”と寂しくなると共に、“何とか30分で行けないかな”と考える余裕もありました。流石に当時の自分にキロ4分15秒で押せる走力などあるわけないのですが、何故か疲れも感じず、不可能などないくらいのテンションだったのだと思います。

川端通を北上する時は、逆風と周囲の力尽き具合に、自分も遅くなっていると感じましたが、もう感覚に任せてあまり時計は見ないようにしました。今出川通の上りは流石に脚の疲れを感じました(心肺は平気)が、苦しくなったら下を見ろ理論と奈良に比べれば楽勝の呪文でどうにかしました。とにかく場数を踏むことに尽きると思います。ここでまさかの管理人さんの応援にも出会えて、本当に嬉しかったです。

折り返して下り、京大のタテカン(ご時世的に大分減っていたかも)に囲まれながら左折すると勝手知ったる東大路です。ここも顎を引いてフォームを崩さないように努めました。ここまで来れば後はもう2kmもありません。ラストを思い切り上げても問題ないことを愛媛で経験できていたので、とにかく少しでも速くと念じます。ゴール前も上げ続け、フィニッシュの瞬間は、京都で自己ベストを更新できたと分かり、嬉しくて、子供のように喜んでいました。「よかった!」という言葉が漏れました。

走りながら色々思い出していました。大学にも馴染めず、部活も勉強も、何をやっても上手くいかなくて自転車で独りふらふらしていました。喜びを求めておいしいパン屋に行ったり、やることもないのでキャッチボールしたり、狭い世界で威張ったり、イライラしたり不安になったり。京都にはその日までの自分の大体のものが埋まっている気がしました。

高校までは自力ではどうしようもない面が大きいですし、何なら大人のせいにしても間違いではありません。自分が初めて諸々の駄目なものを自分で引き受けなくてはならない状況になったのは大学以降でした。大阪に戻ってからの失敗も京都時代の駄目の先送りが現実化したもので、元を辿れば京都時代に行き着きます。

京都にいれば、何故だか色々許してもらえる気がします。“成長しなくては、成功しなくては自分の人生に意味がない”という脅迫めいた内外の声に取り囲まれて進み続けるしかない世の中にあっては、気付いてしまってはいけないのかもしれませんが、多分その許しが本当のことのようにも思います。本当は別にどうでもいいのだと。

人間がその短い一生で特別な関係を持つ土地は限られています。自分にとって数少ないそのうちの一つである京都で、こういう形でまた時間をつなげられたのはとても大きいことでした。よかったという言葉には、そういった多くのものを含んでいます。

大きくうなずいて生きていけるようにしたいです。

アフター

まずはビールとヒレカツサンドで乾杯です。これほどビールがうまい瞬間はまたとありません。宮城県人会ブースであんころもち。前日はずんだをいただきました。疲れたでしょうとあんこを多く盛って下さり感謝です。

とにかくマラソン前後に食べることが生き甲斐でした。

抹茶ソフトは勿論のこと、抹茶豆大福も食べました。

味も分からないくせに日本酒の飲み比べまで。

カレーは辛さもあっておいしかったです。

確かこの後も途中のフレスコだったかでパンを買ったと記憶しています。解放感から食べまくったという記録と記憶しか残っておらず、人として大丈夫かと思わないでもありません。

最後に

7年近く前のことなのに、こうして振り返っていると情景と興奮、歓喜がありありと蘇って来ます。つい最近のことではないかという感覚は、客観的には錯覚でも、主観的には確かなもので、時間とは本質的にはそういうものなのかもしれません。

京都マラソンを走った時間は、自分にとって、京都という街が占める意味はあまりに大きいものなのだと改めて思い知る時間になりました。好きとか愛着があるとかそういう話ではないようです。ご縁というと柔らか過ぎ、因縁というと重過ぎるのですが、何と言うか、根っこが残っていて枝も絡まっている感じです。京都について聞かれても、「昔住んでいました」と言うのが最も正しく、頭の中と心の底にあるものは誰にも伝えることはできないのだと分かっています。

スタッフの皆さん、沿道にいて下さったおじちゃんおばちゃんお子さん学生さん、京都時代にお世話になった皆さんに感謝するそれはもう特別な、言葉にすることなどできない7年半と3時間25分でした。本当にありがとうございます。あの頃から続いている道がどこに向かうのかはわかりませんが、とりあえず元気に生きています。2023年も京都を走らせていただきますので待っていてください。