ご無沙汰しています。この間怪我で全く走れない時期がありつつも富士登山競走オンラインや夏場の調整が功を奏して体調が戻ってきたところで、金沢マラソン2021年を正式に開催すると決断して下さりました。自分にとって第1回の金沢マラソンは、文字通り人生を一変させてくれた大転換点で、運命的な出会いでした。
大会自体が信じられないくらい楽しかったこと、それ以後の日々の中でも充実した気持ちで過ごせたこと、そして気付いた頃には沢山の素敵な想い出が積み重ねられていたこと、これらはどれもあの日の金沢マラソンがなかったら知ることも感じることもできなかったものです。
金沢は、祖父母の代からルーツを有すると共に自らの生誕の地でもありながら、育った大阪や京都に比べて馴染みの薄い土地でしたが、金沢マラソンのお陰でまた新たなつながりが芽吹き広がり色を増すと共に、埋もれていた記憶が掘り起こされ、自分が世界の中で根を張り枝を伸ばしてこられたのは金沢があったからだと認識することにもなりました。
自分と母親の間にも大会での応援やハイタッチだけでなく、日常生活も含めて多くのかけがえのない時間が生まれました。金沢マラソンには感謝してもし切れません。
当時は自身2度目のフルマラソンということで全く余裕が無く、3時間半でいけると(大した根拠もなく)踏んでいたのに下方修正を繰り返してグロス3時間41分11秒でようやくフィニッシュしたという体たらくでしたが、我慢できずに書いた大会レポを改めて読んでみると、生き生きした喜びを抑えきれなかったことがよく分かります。
感謝の気持ちでいっぱいです
よくぞここまで応援して下さる方が!というくらい途切れなく応援の声が続き、走っていて最高の気分でした。雨にも関わらず、小さなお子さんからお年寄りまで、沿道の皆さん、ボランティア・スタッフの皆さんが笑顔で応援して下さり、本当に嬉しかったです。
太鼓や吹奏楽、ハイタッチにエイド等々で力をいただき、なんと幸せなのかと思いながらの42.195km、これ以上ないくらい楽しみました。給水の数、長さも十分ですし、雨が降っても水たまりもほとんど無く、距離表示も見易い等、レース中不満なことは何一つありませんでした。
街や景色だけでなく、こうして大会を作り上げて下さった皆さんには本当に感謝していますし、金沢という場所とそこにおられる方々のことが一層好きになりました。
ゴール後にタオルや飲み物を渡して下さった方々に「すっごく楽しかったです!」と言えてよかったのですが、まだまだお礼は言い足りません。
金沢にはまた行きますし、来年も金沢マラソンに出ます。
前日受付から始まり、テーマソング、公道を思い切り走ること、沿道の絶え間ない声援など、全てが初めての経験だらけで、もう夢中で終わってしまいました。
- スタート直後の太鼓や加賀友禅大使の皆様のお見送り
- 武蔵から香林坊、片町を抜け犀川大橋へと向かう中心地
- 広小路の坂を上る給水の多さと水色のジャケットを着たスタッフの皆様
- 山側環状を巡っての最高点での纏や少年野球チームの応援
- クランクの多い旧市街地での応援の近さ
- JRの高架を潜る際の端の上からの応援
- 田園風景と遠くに見えるイオン
- 自信が無くて食べられなかったカレー
- 駅西50m道路の長さ
- 終盤川沿いから西松屋に折れた頃の苦しさ
- 全くスピードが上がらない中、祖父母に見せたかったなと考えたこと
- 競技場直前で3時間45分のペーサーから必死で逃げたこと
など、今でも次々に枯れることもなく湧き出てきます。
その頃は“一生懸命走るべきなのにお菓子を食べるとはけしからん”くらいの考えだったのですが、第3回以降思う存分食べまくる路線にシフトしようとは夢にも思いませんでしたね。
駅西50m道路も、第3回以降は色づいた木々を楽しみながら加速する場所になり、西松屋も競技場への道も恐れず、満面の笑みを浮かべながらフィニッシュできるようになりました。
今年は後のことも考えず、全力を尽くします。目標は二つだけです。
①立ち止まって母親と記念撮影をする
②3時間を切る
できるはずです。
頑張りますのでよろしくお願いいたします!