ちょっと長すぎる旅ランブログ

百聞は一走に如かず。きっと貴方が好きな大会が見つかります。

【思い出】第32回 青島太平洋マラソン2018(2018/12/9) アオタイ名物「エイエイオー!」には熱い走りで応えたい!

あいの土山、大田原で痛め続けた左ふくらはぎは、歩くだけでも痛く、大会が迫ってもワクワク感よりも焦りと不安ばかりが募る辛い日々でした。しかし人気の大会で次に行ける保証もないので、(もしかすると突然治ってくれるかもしれないという願望を抱きつつ)当然のように強行出場しました。

通算でフルは50本目でしたが、受付で「エイエイオー!」「やるぞやるぞやるぞ!」等とコールしてもらえるのは初めてだったと思います。自分にはこんなに元気いっぱいの明るい青春はなかったし、これからもないのですが、目の前に横たわる先の知れた未来を信じたくないので少しだけあがいてみよう(ミスチル)という気持ちになれます。

だましだまし走ったものの後半はただひたすら痛みに耐えるばかりで、正直何度もやめたいと思いました。しかし一度もやめようとは考えませんでした。青いジャケットを着て熱心に応援して下さる沢山の高校生ボランティア、そして地元の皆様の思いを無駄にするわけにはいきません。ジョグでもいいからとにかく最後まで行くのだと自らを奮い立たせ、どうにか完走はできました。本当に力をもらえました。

この年は寒かったので、エイドの数が多いことからも脱水の危険はありませんでした。グレープフルーツやみかんはすっきりしますし、日向夏ゼリーも折角なので食べておくことをお勧めします。青島を眺めながらのゼリーは記憶に残ります。

3時間20分を超えたのは20数本ぶり(前年9月、故障明けの田沢湖ラソン以来)でしたが、あの応援の声には明るく力強い走りで応えたいので、いつかまた走らせていただきたいと思います。飫肥(おびてん)にゼリーや果物、黒糖等を食べることでは応えましたが、やはり元気に走ってこそですので。若人に、“おじさんになっても懸命に走っているなんて、中年も結構楽しそうだな”と思ってもらえればランナー冥利に尽きるというものです。

宮崎の皆様、寒い中元気な応援ありがとうございました!

www.aotai.gr.jp

怪我で辛過ぎてコース攻略も何もありませんが、一応もう少しだけ詳しい内容も次のページに書いておきます。何か少しでも参考になりそうなことが書ければよかったのですが……。

2018年は失意の底で終えましたが、キロ7分より遅いスロージョグの導入と、糖質過多の食生活見直しによる体質改善・減量が功を奏したのか、2019年1月のいぶすきで予想外に3時間13分台で痛みなく走れました。そこから勝田3時間3分、熊本城3時間2分、(間にそうじゃ吉備路と能登和倉万葉の里を挟んで)さが桜3時間0分と一気にタイムが伸びました。人間の身体は不思議なものです。

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前日

宮崎空港からのバスは、結構時間がかかったと思います。見えているのに着かないといいますか。サンマリンスタジアムは立派だな、ブースも結構あって流石は人気の大会だなと思いながら受付へ。噂には聞いていましたが、高校生ボランティアの皆さんの応援がすごかったです。「エイエイオー!」「やるぞやるぞやるぞ!」等と声をかけていただけます。フル50本目にして一番の勢いだったかもしれません。結論から先に言うと、個人的には怪我でまともに走れず見せ場ゼロでしたので、ここが今回の遠征のクライマックスでした。とは言えまだ筆をおくのも何ですし、一応最後まで書きます。

大規模大会らしいにぎわいでした。

フィニッシュゲートを見てやる気を高めます。

とりあえず気になったものは食べます。

前日は朝の交通事情と観光の都合を考えて青島泊にしました。温泉も定食屋もコンビニもあります。ただ、当日の7:17青島駅発は空いていたものの、木花から会場がそれなりにあるのと、更衣室と荷物預かりの導線が混むのとで結局整列はギリギリでした。

冬だからか割と静かな感じでした。

宿泊は、青島フィッシャーマンズビーチサイドホステル&スパ(7980円)。四人まで泊まれる部屋を独りで占拠するという暴挙です。

海が近いです。

折り返し地点も見ておきます。かなりの風でしたが、明日が良い日になってくれることを願います。

何とかここから上げたいところですが。

橋を渡って青島神社にも参拝します。滅多に引かないおみくじではを引き当ててしまい、「待ち人 来ず 切り替えよ」とあったのが完璧過ぎました。そこまで言わんでも。と言いますか、凶なんて滅多に出ませんよね。

病気はしばしば訪れる危機を乗り越えれば快方に向かうとあり、厳しい内容であることは否めないのですが、前向きに捉えようと思います。

おみくじの時点で既に敗色ムード濃厚です。

鬼の洗濯板をこの足でしかと踏みしめられたのもよかったです。余程のことがない限り、なかなかここまでは来られませんから。

一つ一つが最初で最後の経験になるかもしれません。

夕食はチキン南蛮御膳です。宮崎駅まで行く時間と交通費を考えると最もリーズナブルな選択ですし、味も量も満足いくものだったのでよかったです。

定食が一番です。

当日

レース前

23時消灯6時過ぎ起床です。寝坊しました。朝風呂は諦めて食事を取り、シャワーで髭を剃ります。起きた時点ではふくらはぎの痛みがかなり緩和しているように感じたものの、駅まで歩く間に既に痛みを感じます。会場到着後、テーピングを三重にして足首をガチガチに固めました。着替え後にアミノバイタル青を飲んでおきます。

その土地の牛乳を買うのも楽しみの一つです。

既に書いた通り、結局整列はギリギリでしたので、スタート位置はBブロックの後方6分の1くらいです。どうせ速くは走れませんし、タイム狙いの方の障害物になってしまうのも嫌なので、後ろの方で別にいいのです。真面目に走る方は到着時間や導線の事前確認など、少し工夫した方がよいかもしれません。

レース

前半(序盤は混むので要注意)

スタート直前にポケットのおにぎりを食べ忘れていたことに気付き、慌てて食べます。既にちぐはぐです。ゲストの篠原信一さん(柔道・左端)が文句なしにでかくて説得力があります。奥襟を取られたら命はありません。最初は道幅が狭いため、かなり混雑して走りにくいと思います。自分は怪我人なので今日は仕方ないのだと、現実を受け入れて進みます。スタートロスは41秒でした。

最強の柔道家の一人ですね。

コースは別大を思わせるものがあります。見通しのいい道路を行って帰って来る時間が長いですので。高低差も少なく、走れる人ならあまり心配する必要はなさそうに思います。ただし宮崎のイメージとはかけ離れた寒さで、当日はともかく前日は相当強い風が吹いていたと記憶しています。

5kmくらいまではかなり混んでいました。グロス24分55秒は遅すぎるのですが、徐々にならしていけるのは分かっていたので、左程気にしないことにします。それよりも左ふくらはぎのことが頭から離れません。激痛ではないものの、練習で痛いものがそのまま痛いという残念な状態が続いていました。現実的な目標は3時間15分だと思っていました。

既視感のある風景がしばらく続きます。
中盤(落ち着いて走れば気持ちいいはずですが……。)

大淀川を渡る橘橋の前付近で一部アスファルトが粗い箇所がありました。ただ、対策らしい対策は思いつかないので、ただ落ち着くしかないでしょうね。県庁の前の通りはクス並木がきれいでしたので、せめてこの景色は覚えておきたいと写真を撮ります。メインストリートは応援も多く、何とか頑張りたいとは思うものの、宮崎神宮で折り返す辺りでは既にかなり落ちそうな気配を感じていました。

すれ違いは元気をもらえます。

中間点で1時間38分20秒くらいでしたので、これは後半上げられないと3時間15分を超えると認識しました。しかし全く上げられる気もしなかったので、せめて3時間20分には収めたいと考え直します。ランナーなら誰しも経験しているかと思いますが、この下方修正の繰り返しが萎えるのです。下方修正が一度でピタッと止まったことはなく、大抵後ろに後ろにずれていきます。それでも大体4'35"/kmくらいは出ていると信じて周りについていくようにしました。15kmからの5kmは22分49秒でしたし、ピッチも30kmまでは185spmをキープできていたので、悪いなりによく耐えていたとは思います。

後半~終盤(トロピカルロードを楽しむ余裕なし)

痛みが爆発しないことを祈ってばかりいたので、帰路の景色はあまり覚えていません。さっき通った道をさっきより遅いスピードで進むしかないと思うと、あの見通しのいい道が随分長く、緩やかな傾斜すらもいちいち辛く感じました。状態がよければこんなはずではないのに……とネガティブなことばかり考えてしまいます。考えたところで何一つ解決しないのにです。

29.8kmの給水ではもう歩きながら取りたいくらいの気持ちでしたが、歩いたところで実はそれほど楽にはならないと分かっているので、とりあえず30km台まではエイドで止まらずに補給するように努めます。とにかく今日できる一番のことをやろう、と考えるしかありませんでした。

運動公園に戻って来ると応援も多く、よしここからと仕切り直せる頑張りどころのはずですが、もう痛くて仕方が無いのでどうしようもありません。気持ちも切れ、33.5kmの給水では歩きながらバナナを食べました。水を取った後は速やかにテーブルから離れるのが鉄則ですが、十分に距離を取っていなかった時間があり後続の女性ランナーの邪魔になってしまったのは申し訳ないです。

一度止まりはしましたが、どうにかジョグに復帰して、キロ5分は保てているはずと言い聞かせてトロピカルロードを進みます。25kmから30kmまでは23分12秒と粘りましたが、次の5kmは24分28秒まで落ちています。

この辺りで2週間後の加古川DNSやむなしだと考えていました(※実際には性懲りもなく強行出場でイップス的な症状に陥り3時間26分台で大いに凹みました)。そうなるとアオタイが年内最後になるのですが、それにもかかわらず脚が終始痛くて動かないという現実が立ちはだかります。タイムも悪く脚も痛いだけで残りの時間を耐え続けることはひたすら辛いですし、怪我が長引くのではという不安もありました。それでもこの応援は無駄にはできないので完走だけはしよう、正直やめたいけど、やめないぞと腹を括ります。

こうなった以上、37km手前のエイドしか心の支えはありません。折り返してきたサブ3ランナーと数kmの差をつけられていますが、今の自分はせいぜいキロ5を切る速さで、見るからに練習不足のランナーにすら離されていく始末です。万事休す。青島を望みながらの日向夏ゼリー飫肥は、無力な自分への諦めと、応援していただける幸福感が混じった複雑な時間でした。

爽快に走りながらこのエイドを堪能したかったです。

39km付近ではまばたきをすると立ち眩みのような症状が出て、“原因は今探っても仕方ないけど、倒れないためにとにかく息を止めないように”と考えていました(鳥取ラソン2016でも同様の異常に見舞われ、意識が飛んだことがあります。この時は数日前の朝に両ふくらはぎがつっていました)。終了後の尿の色からしても脱水ではありませんでしたし、鉄分も今回は多めに取っているので、当時は理由がわかりませんでした。ただ、2019年に糖質過多の食生活を見直してからは同様の症状に襲われてはいないので、どうやらこの辺に大きな要因がありそうです。

アオタイに出た以上は少しでもいい思い出を持って帰りたかったので、最後の40.2kmの給水もタイムは気にせず黒糖、グレープフルーツ、みかんと気になったものはしっかり食べました。その先は上げきれずにたらたら進むも、途中何度も唾を吐いてうざかった色白肥満ランナーが41kmで止まっていたので、ここは絶対に勝とうと思い残りの距離はとにかく肘を飛ばして加速しました。

ラストはスタジアム外周を走るためなかなか終わらない気分になりますが、それまでがどんなにボロボロでも、ここだけは誰にも抜かれないくらいの気持ちで頑張った方がいい気がします。順位を落とすと後悔しそうです。

フィニッシュ直前でグロス3時間20分を少し超えてしまいましたが、感覚的にネットで3時間20分は切っていそうでしたので、最後の砦だけは守るべく精一杯上げました。頑張ったといっても2.195kmに9分46秒かかっていますから、いかに状態が悪かったのか今振り返っても心配になります。

奇しくも2017別大と同じくらいのタイムで終了しましたが、あの時は3時間15分を狙いつつもビビッて上げられなかった一方、今回はどう考えても無理な状況で3時間15分を目指し、終盤ボロボロになって精神的にきつい展開になったものの走り切りました。タイム以外で、自分が成長したといえるレースだったかもしれません。

アフター

当日

フィニッシュ後、コーラを4杯飲み、水をもらってアミノバイタル粉を摂取。参加賞のマンゴー風味メロンパンを食べ、持っているゼリーも飲み干しました。着替え後はひたすらです。どんなに結果が振るわなかろうと食べることは諦めません。練習も含めて、今日できたからそれでよしとか、今日できなかったからおしまいというわけではありません。まだまだ先は続くのです。

食べなきゃ始まりません。

そう言い聞かせてはみるものの、実際の所、結果が悪いと観光も含め何もかもが虚しいです。シャトルバスが空港を経由した際、このままおうちに帰って引きこもりたいとすら思いました。まあ宿も取っていて飛行機も翌日ですので、絶対に泊まるのですが。

新幹線が来るわけでもなく小ぶりな印象でした。宮崎も車社会です。

ニューウェルシティ宮崎さん。これで4900円はお値打ち。

ものすごく寒かったのですが、じっとしているのも気が進まないのでスロージョグでうろうろします。8.2kmを55分程でしたので、今考えると速いです。おそらく強がって、無理をしたのでしょう。

メインストリートの橘通。夜は結構きれいです。

不完全燃焼のもやもやで景色もいまいち楽しめませんでした。

地鶏だけは絶対に食べなくては。

当地では有名らしいチーズ饅頭。甘さ控えめでおいしいです。

スーパー銭湯(540円)で全身をほぐし、コインランドリーで洗濯を済ませ、酒を飲むでもなく打ち上げもひっそりと好きなものを食べるだけでした。

他にファミマのスパイシーチキンも食べています。

翌日

次に来られるのはいつか分かりませんので、ジョグにでかけます。フェリーターミナルまでは行きましたが、シーガイアは遠すぎのため断念です。

とにかくじっとしていられない性分です。

緑道を通って宿に戻り、朝食です。

公共交通機関は本数が少なすぎて頼れないため徒歩で宮崎神宮へ行きました。昨日のお礼と回復祈念が目的です。おみくじは大吉で「病気 気に病むな 治る」とあったので、励まされました。

駅の顔嵌めパネルもどうぞ。

そんなええもんちゃうで。

あまりコースが思い出せないくらい、怪我のことばかり考えていました。

時間的には県総合文化公園に行くのが精一杯でした。平和台公園まで行くとバスの本数的に間に合わないと判断しました。

美術館は休館日でした。月曜だとそんなもんです。

駅付近の通りはお昼時ということもありそれなりににぎわっていました。駅前のオブジェには「のぼらないでください」と書いてありましたが、のぼられてしまいそうなデザインです。

お店は結構あった印象です。

のぼってくれといわんばかりの。

駅でお土産を買い、宮崎空港から伊丹へと向かいます。

これ菓子は甘くてふっくらでした。柚子胡椒も重宝しました。

最後に

元々は“フラットなコースで2018年のベストを出すぞ”というつもりでエントリーしたものの、現実には故障でまともに走れずとても辛い経験になりました。それでもあの宮崎の地で沢山の方の応援を受けながら走れたことは、当時からいい思い出として記憶に刻まれています。長いことやっていれば上手くいかないこともありますが、走っていたからこそあの時間があったわけですし、多少無理を押してでも出場したことは正しかったと今でも思います。

あの元気な高校生たちも今は卒業してそれぞれの道で頑張っていることでしょう。自分も先の知れた未来であっても少しでも多く、生きていてよかったと思える時間が持てるよう、自らの生き方を自分で決めていきたいと思います。

宮崎の皆様、素敵な時間をありがとうございました!